年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

隅田川:陸蒸気走る

2009-04-01 | フォトエッセイ&短歌
 浜離宮庭園の大手門の一帯は「汐留:しおどめ」である。江戸城の外堀は江戸湾(江戸湊)に直結しているので、満ち潮・引き潮の影響を受ける。そのため海と堀とを仕切る堰を造って潮の干満を防いだのが、この地域で「汐溜り」といった。汐留の地名の由来である。
 汐留駅という駅名はあるが地名は「新橋」である。

<大手門橋。汽車開通後に汐留は首都東京の表玄関として大変に賑わう>

 日本初の鉄道は1872(明治5)年、汐留(新橋駅)~横浜(桜木町)に開設された。計画が決定されたのは1896(明治2年)で、首都東京と港がある横浜の間、29kmの敷設である。自力での建設は無理なので、技術や資金など全てイギリスからの援助に頼った。計画から開通まで3年間がかかった。
 「異人切り」を画策していた尊皇攘夷論者の方針転換は早かった。明治2年といえば江戸無血開城の翌年、まだ新政府の土台どころか「目とも鼻ともつかない」段階で鉄道開設の計画を始めたのだ。

<開業当時の旧新橋停車場とプラットホームが実測に基づいて忠実に再現>

 開業時、運賃は「賃金」と呼ばれ新橋~横浜間、下等で37銭5厘、中等で75銭、上等は1円12銭5厘だった。37銭は米1斗(約15㎏)だったから相当の高額だった。陸蒸気(おかじょうき)と呼ばれ凄い人気で乗客は1日平均4347人。
 歴史家のアーノルド・J・トインビーは、「人類の歴史の奇跡の一つは、日本の明治以降の近代化である」と述べている。鎖国から、汽笛一声新橋を経て、近代日本へと日本は猛進していく。



<線路が再現されている。正面は測量の第1杭を記念する歴史的な0哩標識>