年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

隅田川:築地の市場

2009-04-06 | フォトエッセイ&短歌
 わが国最初の鉄道ターミナル駅「旧新橋停車場」を汐留に戻り、築地川に沿って隅田川に向うと巨大な東京都中央卸売市場の迷路に迷い込む。何しろ、毎日の生活に欠くことのできない水産物・青果物・食肉などの生鮮食料品の卸売市場で、特に水産物は日本最大である。卸売市場としての規模も世界最大だそうで構内が迷路状態になるのも無理はない。

<午後の構内はセリの活況ある喧噪も清掃も終わり静かに明日の入荷を待つ>

 世界最大と云ってもピンとこない。一日平均3300トンの魚や野菜などが入荷し、およそ21億円が取引されている。世界にその名を知られ「観光名所」となり、最近は外国人見学者も多いが、セリの現場ではトラブルが頻発し一時見学中止騒動も起こっている。
 江戸時代の日本橋魚河岸がルーツであるが、関東大震災で壊滅、一時芝浦に仮設されたが、生鮮食料品は隅田川から船で運ばれたり、汐留駅から貨物で運ばれるなどの輸送面から、現在の築地に開設される。トラック便が主流になりまた豊洲への移転問題がすすんでいる。

<巨大な胃袋を思わせる、昼でも暗い構内。フォークリフトの野菜の区分作業>

 築地の埋立工事の安全祈願がされた波除稲荷神社から、築地市場勝どき門に抜けると、勝鬨橋(かちどきばし)の袂に出る。そこには「かちときのわたし」の当時の記念碑がある。
 1905(明治38)年、日露戦争の旅順要塞陥落を契機に、京橋区民の有志が「勝鬨の渡し」と名付けて渡船場を設置し、東京市に寄付したとある。旅順の陥落で日本中が提灯行列で沸き立っていた歴史の1頁を物語っている。1940(昭和15)年、勝鬨橋の開通まで銀座・築地方面と月島と結ぶ重要な交通手段であった。

<碑には京橋區祝捷會挙行之日建之。月島地帯の発展を支えた渡船場の碑>