年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

毛野国・去らずの梅

2008-12-03 | フォトエッセイ&短歌
 去る11月22日は小雪。江戸時代の暦家はこの時期の自然を短詩で謳う。
  初候:虹蔵不見 (にじかくれてみえず)  陽気もなく虹を見ない
  次候:朔風払葉 (さくふうはをはらう)   北風が木の葉を払う
  末候:橘始黄 (たちばなはじめてきなり) 橘が黄葉を始める

 24節気の小雪はすでに過ぎ去り、何かと忙しい師走の風が吹きすさぶ。カレンダーの最後の一枚がハラハラと我が残り少ないカミの如く揺れて動く。締まりのない風情と世情が続きました。衆院解散・補正予算・新特措法…極め付けが定額給付金と、太郎くん何をやってんだか。

<「秘やかに落葉松の降る今朝の冬」(白堂)。書も白堂翁。朔風の候です>

 足利学校(栃木県足利市)は室町文化の地方普及という項目で歴史の教科書には必ず出てくる当時を代表する最高の教育機関である。しかし、その創建については様々な説があって定かではない。はっきりしている事は関東管領上杉憲実が再興し盛時には3000人の学生が学んでいた事である。
 釣瓶落としの晩秋の夕暮れ、閉門が迫り「夕焼け小焼けのメロディ」が流れる。暗くなった足許を気にしながら出口に向かう。『これ、去らずの梅じゃない』『嗚呼、不断梅よ』女性はしばし足を止める。
 方丈から漏れる灯に梅の木が浮かび上がり、鋭い棘の枝に梅の残実が陰っている。

<樹齢百年を超えるという足利学校の孔子廟側の不断梅(ふだんばい)>

 「去らずの梅」とは何ともロマンティックだが、残念ながらこの言葉を知らない。ようやくたどり着いたのが「不断梅(ふだんばい)」である。実が熟さないため、青い実が黒くなり冬まで枝に残るので、常に実が断えないことから、その呼び名があるという。ちなみに、伊勢の白子観音には「不断桜」(ふだんざくら)があるとか。
 それにしても秀逸「去らずの梅」と表現した彼女の姿は夕闇の中に消えた。楚々とした立ち居振る舞いの女を連想したりして…!

<小雪の節気は関東平野にも南下し本格的な紅葉の晩秋を迎える>