年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

毛野国・樺崎の如来

2008-12-24 | フォトエッセイ&短歌
 足利市の樺崎寺(かばさきでら)は中世を代表する豪族武士団:足利氏の氏寺である。創建は2代目・足利義兼(あしかがよしかね)で源頼朝の妻・政子の妹、時子を妻としているので将軍頼朝とは義兄弟である。彼のあと9代目が「足利幕府」を開いた足利尊氏、その孫が金閣寺の足利義満で足利幕府の3代目の将軍である。
 その一族の氏寺・廟所(びょうしょ:墓所)であるから壮麗なただずまいであった事が偲ばれる。奥州平泉の中尊寺の浄土庭園を参考にした華麗な中世寺院であったが、「盛者必衰の理ををあらわす」の通り、江戸時代には衰退した。

<盛時を偲ぶには余りに落ちぶれているが、盛者必衰の歴史を想像して欲しい>

 中世浄土庭園を持つ寺院として調査と復元作業が進んでいる。あわせて、世界遺産への登録運動も始められているが、樺崎寺?知られていない。
 ところが思わぬ事で「世界的な話題」となり、樺崎寺はマスコミを賑わした。今年3月にニューヨークのオークションに如来(にょらい)像が出品され、史上最高値である1430万ドル(約14億円)で落札されたのだ。実はこの「大日如来像」(運慶作)が樺崎寺の本尊であったのだ。地元の口さがない連中は「明治維新の神仏分離令で樺崎寺が廃寺になる過程でバカ住職が、酒代に売り払ったんじゃないか」とも。
 今回の出品を知った足利市民は署名を集めて、運慶の作品が海外に流出しないように文化庁に要請するなど地元では注目されていたのだが…。大日如来像が樺崎寺に戻ることはない。
  
<世界遺産ネ~。文化遺産の活性化と毛野国をダイナミックに演出する事だ>

 最後の鑁阿寺(ばんなじ)に着いた時にはとっぷり日が暮れてしまった。足利一族の邸宅で堀と土塁が見事に残っている。それにしても「鑁阿寺」とはまた難しい漢字ですね。麻生くんもよほどガンバラないと…、煩雑レベルじゃない。
 鑁阿寺(ばんなじ)の鑁(ばん)・阿(あ)はそれぞれ金剛・胎蔵の大日如来をあらわす種子で真言宗の理想を示す文字の鑁(ばん)と言われてもナ~。師走も押し迫ったので毛野国にとはひとまずお別れ!

<正確には金剛山仁王院法華坊鑁阿寺という。暮れなずむ太鼓橋と楼門>