年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

毛野国・参道の華

2008-12-15 | フォトエッセイ&短歌
 金山城址は土に埋もれていた事もあって保存状態が比較的よかった。戦国時代を落城もせず生き抜いてきた金山城は小田原北条氏の支配下に入っていたが、豊臣秀吉の小田原征伐の折に前田利家らに接収され廃城となった。
 徳川幕府成立後は顧みられることは無かったが、金山で採れた良質なマツタケが将軍家に献上されたのを機に「徳川将軍家御用の松茸山」とされ農民の入山が禁止された事もあって城の遺構が残ったというのだが…。
 御台所曲輪(城主の御殿が建てられた山頂)に登る最後の石段がある。南下した紅葉前線が里山の木々を染めるようになった。

<晩秋の紅葉が筆で掃いたように透き通って淡く萌えている。欅の華の威容>

 上州太田は新田義貞(にったよしさだ)のふる里で、多摩川の「分倍河原の戦い」で鎌倉軍に勝利して鎌倉幕府を滅亡させた武将だ。その新田義貞を祭る「新田神社」が山頂の本丸御殿跡に建てられている。
 明治8年の創建というから古くはない。それもそはずで、明治維新から戦前にかけては、皇国史観のもと、幕府を倒し、「逆賊」足利尊氏に対して後醍醐天皇に従った忠臣として楠木正成に次ぐ英傑として国史のページを独占した特別の人物だからである。
 戦後においては、一東国武将に過ぎない凡将。戦略家としても凡庸であり愚将であると酷評する意見が多いのだが…。
 マア、それはともかく新田神社らしい境内に忘れてはならない「戦争文化財」が存在する。あったのですね~皇居を拝する神域が…

<大砲の弾のモニュメントの前方に見えるのは皇居遙拝処である>

 樹齢300年以上(600年とするガイドブックもある)といわれる見事な欅(ケヤキ)の巨樹がある。樹勢はますます旺盛でエネルギーがたぎり圧倒される容姿である。凡俗の社会を癒しているようだ。樹高15m、目通り幹囲6.6m。
 石段を登ると新田神社である。石材は自前の金山(海底火山の溶岩)産出である。



<春の若葉、秋の紅葉もいいが、葉を落とした冬枯れの無骨な形がいいとも…>