遠野市の世帯数の約2割強が菊池姓・・・!
そんな遠野の菊池さんの集い「遠野菊池の会」総会が、このほど開催されました。
不肖、私は会員のおそらく最年少・・・汗・・・ですが、会計の任に昨年から就いておりますが、今年の総会は当直日でしたが、会計報告やら会費の徴収に管理、そして賄い等への支払い、さらには僭越ですが総会後の講演を依頼されてましたので、時間休で対応して参りました。
結成当時(平成11年)は会員数70名を数えていたということですが、今現在は47名、平均年齢も70歳前後?高齢化が進んではおりますがけっこう活動的な会運営がされていて、まだまだ健在でもあります。
熊本県菊池市や宮崎県西米良村との交流も含み、遠野菊池の会は、これらに欠くことのできない存在でもあるようです。
時間休なのでアルコールはダメ・・・涙
会費分はしっかりといただきました・・・笑
でっ・・・
諸先輩方、さらには郷土史に詳しい会員もおられる中ですが、菊池一族に関する私の今までの研究、調査の一部で何か講演いただきたいと早くから依頼されており、いつまでも逃げるわけにもいかず、今回、話下手ながら少し語って参りました。
遠野の城館跡から遠野での菊池一族を探る内容といたしました・・・汗
皆さん、全員菊池姓ということで、真剣に聴いていただき、たいへんありがたかったです。
ありがとうございました・・・。
(取材を受けるT会長)
河北新報の記者さんも取材に訪れ、来賓は「みちのく菊池の会」の幹部の方と「本田遠野市長」ということで会も大いに盛り上がりましたが、私は講演の後、少し懇親会に顔を出した後、仕事に戻りました。
菊池姓の宝庫ということで、これはこれで仕方なくて、むしろ誇りにする方向だと思います。
講演は、まずまずかな・・・でも、九州南朝の菊池氏が南北朝の前半部分で敗れて一族四散しての奥州入りという考え方が蔓延していて・・・何故?と首をかしげております。
菊池氏は九州南朝方として大いに踏ん張って室町期に入ってから衰退ということだと認識してますので、かなり違和感も・・・今度は核心での菊池一族の奥州下向でも取り上げようかな?・・・大汗
岩手での菊池さんといえば、大方は遠野だと思います・・・というか、遠野が思い浮かぶところなのかもしれませんね。
以前は遠野か江刺でしたから・・・笑
3年も温存していたのでしたら、ここいらで思い切って聴いてもよいと思います・・・笑
記者さんがビックリするカメラは持って行きませんでした・・・笑
みんな何かしら繋がりのある親戚だと思います・・・が、ほとんどは判らないと思います・・・汗
それにしても同姓の人びとの会って面白いですね。私も「八王子稲用の会」でも作ろうかな。多分会員は私だけだと思いますが。
館跡の講演は私も聴きたい内容です。反応も上々で良かったですね。
自己紹介する度「土へん?さんずいへん?」と訊かれ
「さんずいへん」と答えると「遠野?」と訊かれると言っていましたが
この記事をみて納得しましたっ!
3年も経ってしまひまいた、ぁ~
息子さんのほうにでも聴こうかな、と思っても会えること叶わず(苦笑
2割ですか・・・6割くらいは菊池さんかとおもってました
本家、分家と親戚だったりしそ~ですね
蛍は・・・広角過ぎたんじゃないかな~