経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

創造の制約

2015年02月21日 | Weblog
消費者から見てマイナスを減じ、プラスを加える。
といったようにプラスとマイナスの両者を活かし、
新たな物を創生することを創造物、という。

もし創造物が、そうではないとしたら、
人類は時が経つごとに、滅亡に向かうことになり、
この今に世を謳歌できるはずがないのだ。

その意味で、この世は想像のたまものと言ったら、
寛容力のない神なら、怒るだろうか。


ところで、創造性には
次のような条件、制約がある、と考えてる。

それは、「 創造には制約がある」、
そして、その制約の範囲での作業であること。

このことは前に触れたが、
ルールのないゲームやスポーツはありえない。成り立たない。
あっても、なりたっても、おもしろくもおかしくもない。

第一どうしたらいいかわからなくなる。

赤、青、黄の信号機に、なんのルールも
付いていなかったら、どうなるのだ。

この世は、制約がなかったら存在できない。
命あるものは死ぬ。生きている人から見たら、
この制約こそ、取り除きたいものであろう。

晋の始皇帝もそう思った。
彼は、自分だけは得家員に生き続けたいと
思った。それで晋は滅びた。
もちろん、当人も。
なんと皮肉なことではないか。

そもそも始まりだけがあり、終点はないとしたら、
地球は生命体であふれ、食べて胃に入った動植物が
胃の中で生き続ける、
といったとんでもないことがおきる。
3度のs食事の度に、胃袋は膨らみ
やがて破裂する。

ものすごい痛みであろうが、
それでもその胃の持ち主は、死ねない。
自殺をしても死ねない。

そのうち地峡は生命体であふれ、
その重みで地球は落下、破壊するが
それでも、生き続けることになる。

始まりがあれば、終わりある。
終わりを想定して、今を生きる。

こう考えれば
制約があるから生きられる。創造ができる。

制約こそ、我が命、ともいえる。