経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

よりかみさん

2009年04月26日 | Weblog
「いやぁ、さっぱり私には理解できませんでした。
判ったことは凄い、ということだけ」。

某カリスマ経営者の講演会を大枚はたいて、
東京まで聴きに行ったHさんの言葉である。

神業、神風、神のお告げ、神がかり、神のお恵み、経営の神様、
神を頭に置いた言葉は多い。・

要は宗教上の神というより、並の人、通常ではとうていできないことを
「神」と神の、とし褒め称える一種の強調語といってよい。
だから言葉自体に目くじらを立てることはないし、そのつもりもない。

何気なく新聞の広告欄をみたら二人の神様の本が掲載されていた。
神様の本であっても宣伝しなければ売れないのか、
不況の中の教えの布教かなと、おかしくなった。

二人の神様とは、松下幸之助さんと稲森和夫さんのことである。
以下、この偉大な経営者ご自身には関わりのない話である。
このことを先にお断りしておく。
熱烈ファンの方、誤解のないように御願いしたい。
(以前猛烈ファンの方から抗議を受けたことがある).

松下さんに続いて、再建王 大山梅雄さんが登場。
彼は神ではなく王様だからパス。
次に1980年代前半、坪内寿夫さんという神様が登場。
だがこの神様の会社は1986年にあえなく倒産。
神様直営の会社でも倒産するのか、
それとも元から神様でなかったのか。
いずれにしても、神様のブランド、名誉の失墜である。

子供の頃、二宮金次郎。
少し大きくなって松下幸之助さんは子供にとっても
立身出世の見本、憧れであった。
経営自体には関わりがないサラリーマン時代にも、
松下さんの本をかぶりつくほど読んだものである。

「へぇ、小学もろくに出ていないくともこんな立派な経営者になれる。
おれ、彼より学校を出ているのだから」、
まあ、端的に言えばそんな気持ちであった。

学校を出ていなくても立派になれる。そのモデルが存在する、
という気持ちで、安月給の中から彼の本に投資をしたのである。

つまり神様だったからではない。むしろ神様でなかったからなのだ。
このことを言いたいのである。
神様ではない。むしろ身近に感じていたからこそ憧れ、
いつかは自分も頑張れば「社長」になれるかもと希望を抱けたのである。
本を読んでいて神様しかやれないことを誰が実践できようか。
神様がやれたこと、言うことを神様ではない自分がやれるはずがない。

神様のことは、神様しかやれない。
だからうちのカミさんのいうことは、やれても、
経営の神様のことは聞いてもやれるわけはないのだから、
聴きにいっても意味がない。ねえ、Hさん。

奇跡をあてに経営は出来ない。
宝くじの賞金を資金繰りに使えない。
神様がやることは、人間はやれない。
特殊性は置き換えが出来ない。

置き換えが出来ないと、「知っている」という固形知識の固まりを
持っているということを、自慢話には使えても、
自分の経営に置きかえて使うことが出来ない。

神様からであろうと、再建王からであろうと、
近所の子供達からであろうと野良犬からであろうと、
草木からであろうと、学べる人は学べる。
学べるものは、すべからく普遍的なものに限られるからだ。

神様の言うことは聞いてはならない。
というより本当の神様なら、
人がわかる人がやれる言葉で示してくれるのである。

そうしてみたら、本物の神様と偽物とが明確に掴める。
ねぇHさん。お賽銭なら30円ですむ。それを偽神様に1.5万も。
それ、神、いや人を診る目のないHさんの判断ミス。
第一、神様が、お金使って宣伝するはずがないじゃない。
神より、かみさんの言うことを、ね。Hさん。

よりかみさん

2009年04月26日 | Weblog
「いやぁ、さっぱり私には理解できませんでした。
判ったことは凄い、ということだけ」。

某カリスマ経営者の講演会を大枚はたいて、
東京まで聴きに行ったHさんの言葉である。

神業、神風、神のお告げ、神がかり、神のお恵み、経営の神様、
神を頭に置いた言葉は多い。・

要は宗教上の神というより、並の人、通常ではとうていできないことを
「神」と神の、とし褒め称える一種の強調語といってよい。
だから言葉自体に目くじらを立てることはないし、そのつもりもない。

何気なく新聞の広告欄をみたら二人の神様の本が掲載されていた。
神様の本であっても宣伝しなければ売れないのか、
不況の中の教えの布教かなと、おかしくなった。

二人の神様とは、松下幸之助さんと稲森和夫さんのことである。
以下、この偉大な経営者ご自身には関わりのない話である。
このことを先にお断りしておく。
熱烈ファンの方、誤解のないように御願いしたい。
(以前猛烈ファンの方から抗議を受けたことがある).

松下さんに続いて、再建王 大山梅雄さんが登場。
彼は神ではなく王様だからパス。
次に1980年代前半、坪内寿夫さんという神様が登場。
だがこの神様の会社は1986年にあえなく倒産。
神様直営の会社でも倒産するのか、
それとも元から神様でなかったのか。
いずれにしても、神様のブランド、名誉の失墜である。

子供の頃、二宮金次郎。
少し大きくなって松下幸之助さんは子供にとっても
立身出世の見本、憧れであった。
経営自体には関わりがないサラリーマン時代にも、
松下さんの本をかぶりつくほど読んだものである。

「へぇ、小学もろくに出ていないくともこんな立派な経営者になれる。
おれ、彼より学校を出ているのだから」、
まあ、端的に言えばそんな気持ちであった。

学校を出ていなくても立派になれる。そのモデルが存在する、
という気持ちで、安月給の中から彼の本に投資をしたのである。

つまり神様だったからではない。むしろ神様でなかったからなのだ。
このことを言いたいのである。
神様ではない。むしろ身近に感じていたからこそ憧れ、
いつかは自分も頑張れば「社長」になれるかもと希望を抱けたのである。
本を読んでいて神様しかやれないことを誰が実践できようか。
神様がやれたこと、言うことを神様ではない自分がやれるはずがない。

神様のことは、神様しかやれない。
だからうちのカミさんのいうことは、やれても、
経営の神様のことは聞いてもやれるわけはないのだから、
聴きにいっても意味がない。ねえ、Hさん。

奇跡をあてに経営は出来ない。
宝くじの賞金を資金繰りに使えない。
神様がやることは、人間はやれない。
特殊性は置き換えが出来ない。

置き換えが出来ないと、「知っている」という固形知識の固まりを
持っているということを、自慢話には使えても、
自分の経営に置きかえて使うことが出来ない。

神様からであろうと、再建王からであろうと、
近所の子供達からであろうと野良犬からであろうと、
草木からであろうと、学べる人は学べる。
学べるものは、すべからく普遍的なものに限られるからだ。

神様の言うことは聞いてはならない。
というより本当の神様なら、
人がわかる人がやれる言葉で示してくれるのである。

そうしてみたら、本物の神様と偽物とが明確に掴める。
ねぇHさん。お賽銭なら30円ですむ。それを偽神様に1.5万も。
それ、神、いや人を診る目のないHさんの判断ミス。
第一、神様が、お金使って宣伝するはずがないじゃない。
神より、かみさんの言うことを、ね。Hさん。