この不況、そして対応について
書いておきたいことがある。
それをスーパー業界に例を取り、話を進めたい。
スーパーチェン業界の歴史は、システム化であった。
それは端的に言えば標準化、同質化、マニュアル化。
裏返せば、それによる人員削減。
コスト削減のためには地域特性など無視(店舗標準化)、
そして鮮度などを犠牲にした集中一括仕入れ、
物流センター集約,一括配送などなど。
とりわけ物流センタなど、結果として品質の劣化をなす何者でもない。
つまりコスト削減の手段として、消費者に不利益を成す行為を、
高邁な理論を背景に行ってきた典型的な天動説型企業なのだ。
結果はどうか。
寿屋、ヤオハン、ダイエー、マイカル、ニコニコドー、どんどん潰れた、
消費者は、企業の高邁理論にもシステム化にも全く関心はない。
それらが結果として自らの利となるかどうかで選択をする。
その結果、スーパーチェンに背を向ける行動を起こした。
当然である。
消費者が背につくか、背を向けるかといった論議の範疇外の論理が、
いかにむなしいものであるか典型的な事例である。
そうしてたことで多くの企業が消えていったが、
それはその根本理論が、消えてことを意味しない。
今なお大なり小なり多くの企業で、その高邁理論を支えに、
依然として、その幻想的似非経営思考が、
多くの経営者の占領しているのである。
述べるまでもないことだが、消費不振は、
作り手、売り手側と消費者との乖離で発生する。
供給≠需要
この綱引きは多勢に無勢の力関係で右辺の勝ち。
これで困るのは供給側だ。
工業的発想を根拠とするこれらの論理、思考は、
そもそも、人は皆一人一人が違うということを
「考えないでおこう」ということを前提に
最高の効率を求めようといった論理である。
これは、他の人のことはともかくこの私のことを
「考えて欲しい」という消費者と相反する論理である。
「考えないでおこう」≠「考えて欲しい」
この綱引きは多勢に無勢の力関係で右辺の勝ち。
これで困るのは供給側だ。
需要があって供給がある。購買があってその結果売上が発生する
他動説と自動説、多勢に無勢、さまざまな普遍の原理からみて、
かっての共産主義同様、現実的には成り立たない
理論であることは、もはや明快である。
そのことは良しとして、問題は、
先にふれたが依然その幻想理論に洗脳されたまま、
あるいは信奉したまま、その幻想の中で
一生懸命努力している人たちが大勢いることだ。
依然として未だ主流を占めているのではないか。
そのことで消費者が購買をしない、
それで消費不況、デフレが起きた。
それが、この大不況の根本にある。
そう私は、見ている。以下、後日。
書いておきたいことがある。
それをスーパー業界に例を取り、話を進めたい。
スーパーチェン業界の歴史は、システム化であった。
それは端的に言えば標準化、同質化、マニュアル化。
裏返せば、それによる人員削減。
コスト削減のためには地域特性など無視(店舗標準化)、
そして鮮度などを犠牲にした集中一括仕入れ、
物流センター集約,一括配送などなど。
とりわけ物流センタなど、結果として品質の劣化をなす何者でもない。
つまりコスト削減の手段として、消費者に不利益を成す行為を、
高邁な理論を背景に行ってきた典型的な天動説型企業なのだ。
結果はどうか。
寿屋、ヤオハン、ダイエー、マイカル、ニコニコドー、どんどん潰れた、
消費者は、企業の高邁理論にもシステム化にも全く関心はない。
それらが結果として自らの利となるかどうかで選択をする。
その結果、スーパーチェンに背を向ける行動を起こした。
当然である。
消費者が背につくか、背を向けるかといった論議の範疇外の論理が、
いかにむなしいものであるか典型的な事例である。
そうしてたことで多くの企業が消えていったが、
それはその根本理論が、消えてことを意味しない。
今なお大なり小なり多くの企業で、その高邁理論を支えに、
依然として、その幻想的似非経営思考が、
多くの経営者の占領しているのである。
述べるまでもないことだが、消費不振は、
作り手、売り手側と消費者との乖離で発生する。
供給≠需要
この綱引きは多勢に無勢の力関係で右辺の勝ち。
これで困るのは供給側だ。
工業的発想を根拠とするこれらの論理、思考は、
そもそも、人は皆一人一人が違うということを
「考えないでおこう」ということを前提に
最高の効率を求めようといった論理である。
これは、他の人のことはともかくこの私のことを
「考えて欲しい」という消費者と相反する論理である。
「考えないでおこう」≠「考えて欲しい」
この綱引きは多勢に無勢の力関係で右辺の勝ち。
これで困るのは供給側だ。
需要があって供給がある。購買があってその結果売上が発生する
他動説と自動説、多勢に無勢、さまざまな普遍の原理からみて、
かっての共産主義同様、現実的には成り立たない
理論であることは、もはや明快である。
そのことは良しとして、問題は、
先にふれたが依然その幻想理論に洗脳されたまま、
あるいは信奉したまま、その幻想の中で
一生懸命努力している人たちが大勢いることだ。
依然として未だ主流を占めているのではないか。
そのことで消費者が購買をしない、
それで消費不況、デフレが起きた。
それが、この大不況の根本にある。
そう私は、見ている。以下、後日。