不信なできごとが、世間を賑わすと、そのうち人は、
もう少々のことでは動かなくなる。
そうした話題に倦んでくるのだ。
それは、人々が心のどこかで信頼できる人、モノに飢え、
切望しはじめの兆しであるといえる。
それがニーズ。それがキーワード、として感知し、
自ら動くことでビジネスチャンスになるし、
大袈裟に言えば、それが運命の転機すらなる。
そう思っている。
むかしむかしのお話。
店に入ったものなら、しっこく話しかけられ、
アプローチしてくる店主に、お客はヘキヘキした。
売り込みに逃げ出したくなった。
買わなければ、出られない独特の雰囲気を持っていた。
それが地元の商店であった。
ならば、これを反対にしたお店を作れば、
うまくいくに違いない。
ニーズはそこにあり、ということで、
セルフストアが生まれた。
日本で言えば昭和30年代か。売れた売れた。
彼らの店は、だんだん大きくなりビッグストアとして
一世を風靡、多店舗展開し始め、チェーンストアと別称され、
それが全国展開するとナショナル・チェ-ン。
しないものをローカルチェーン、
ひとまとめで量販店、と呼ばれ、
やがてショッピングセンターに出世。、
それにメガがついたり、マートをつけたり。
まるで出世魚よろしく、成長の過程で呼称が次々変わった。
だが、ブリが、なんとよばれようとブリ。
魚は、肴になることはあっても、鯨になることはない。
業種業態がいかに変わろうと、大きくなろうと、
あるいは消えて行こうと、消費者の支持次第。
この本質は普遍である。
だから、それを忘れたお店は大型店であろうと
商店であろうと消える。当然である。
パックの魚の値札が落ちると、
「これ、なんというお魚?」と、
お客の問いかけに、尋ねられ答えられない店員。
これは、私が何回も経験したことだが、
店員に売場を聞くと、
「私」、パートですから」とか、
「私、チェッカーですから」とか。、
珍しくなかった。、
「当店は、セルフストアですから」と、
堂々と答える店員すらいた。稀有でも大昔でもない。
消えたが、一世を風靡した「カーボイ」など、
が、そうだった。
「接客抜き安値を付けている。だから店員にものいわないでけれ」
といったことを、堂々といわれて、小嶋屋の小林さんと、
あきれかえったことがある(新潟・上越店)。
それでも、消費者も目くじらを立てることは少なかった。
それは消費者の関心、ニーズは、
そうしたところになかったからである。(続く)
もう少々のことでは動かなくなる。
そうした話題に倦んでくるのだ。
それは、人々が心のどこかで信頼できる人、モノに飢え、
切望しはじめの兆しであるといえる。
それがニーズ。それがキーワード、として感知し、
自ら動くことでビジネスチャンスになるし、
大袈裟に言えば、それが運命の転機すらなる。
そう思っている。
むかしむかしのお話。
店に入ったものなら、しっこく話しかけられ、
アプローチしてくる店主に、お客はヘキヘキした。
売り込みに逃げ出したくなった。
買わなければ、出られない独特の雰囲気を持っていた。
それが地元の商店であった。
ならば、これを反対にしたお店を作れば、
うまくいくに違いない。
ニーズはそこにあり、ということで、
セルフストアが生まれた。
日本で言えば昭和30年代か。売れた売れた。
彼らの店は、だんだん大きくなりビッグストアとして
一世を風靡、多店舗展開し始め、チェーンストアと別称され、
それが全国展開するとナショナル・チェ-ン。
しないものをローカルチェーン、
ひとまとめで量販店、と呼ばれ、
やがてショッピングセンターに出世。、
それにメガがついたり、マートをつけたり。
まるで出世魚よろしく、成長の過程で呼称が次々変わった。
だが、ブリが、なんとよばれようとブリ。
魚は、肴になることはあっても、鯨になることはない。
業種業態がいかに変わろうと、大きくなろうと、
あるいは消えて行こうと、消費者の支持次第。
この本質は普遍である。
だから、それを忘れたお店は大型店であろうと
商店であろうと消える。当然である。
パックの魚の値札が落ちると、
「これ、なんというお魚?」と、
お客の問いかけに、尋ねられ答えられない店員。
これは、私が何回も経験したことだが、
店員に売場を聞くと、
「私」、パートですから」とか、
「私、チェッカーですから」とか。、
珍しくなかった。、
「当店は、セルフストアですから」と、
堂々と答える店員すらいた。稀有でも大昔でもない。
消えたが、一世を風靡した「カーボイ」など、
が、そうだった。
「接客抜き安値を付けている。だから店員にものいわないでけれ」
といったことを、堂々といわれて、小嶋屋の小林さんと、
あきれかえったことがある(新潟・上越店)。
それでも、消費者も目くじらを立てることは少なかった。
それは消費者の関心、ニーズは、
そうしたところになかったからである。(続く)