経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

信用・信頼

2008年09月18日 | Weblog
不信なできごとが、世間を賑わすと、そのうち人は、
もう少々のことでは動かなくなる。
そうした話題に倦んでくるのだ。

それは、人々が心のどこかで信頼できる人、モノに飢え、
切望しはじめの兆しであるといえる。

それがニーズ。それがキーワード、として感知し、
自ら動くことでビジネスチャンスになるし、
大袈裟に言えば、それが運命の転機すらなる。
そう思っている。

むかしむかしのお話。
店に入ったものなら、しっこく話しかけられ、
アプローチしてくる店主に、お客はヘキヘキした。
売り込みに逃げ出したくなった。
買わなければ、出られない独特の雰囲気を持っていた。
それが地元の商店であった。

ならば、これを反対にしたお店を作れば、
うまくいくに違いない。

ニーズはそこにあり、ということで、
セルフストアが生まれた。

日本で言えば昭和30年代か。売れた売れた。
彼らの店は、だんだん大きくなりビッグストアとして
一世を風靡、多店舗展開し始め、チェーンストアと別称され、
それが全国展開するとナショナル・チェ-ン。
しないものをローカルチェーン、
ひとまとめで量販店、と呼ばれ、
やがてショッピングセンターに出世。、
それにメガがついたり、マートをつけたり。

まるで出世魚よろしく、成長の過程で呼称が次々変わった。
だが、ブリが、なんとよばれようとブリ。
魚は、肴になることはあっても、鯨になることはない。
業種業態がいかに変わろうと、大きくなろうと、
あるいは消えて行こうと、消費者の支持次第。
この本質は普遍である。

だから、それを忘れたお店は大型店であろうと
商店であろうと消える。当然である。

パックの魚の値札が落ちると、
「これ、なんというお魚?」と、
お客の問いかけに、尋ねられ答えられない店員。


これは、私が何回も経験したことだが、
店員に売場を聞くと、
「私」、パートですから」とか、
「私、チェッカーですから」とか。、

珍しくなかった。、

「当店は、セルフストアですから」と、
堂々と答える店員すらいた。稀有でも大昔でもない。

消えたが、一世を風靡した「カーボイ」など、
が、そうだった。

「接客抜き安値を付けている。だから店員にものいわないでけれ」

といったことを、堂々といわれて、小嶋屋の小林さんと、
あきれかえったことがある(新潟・上越店)。
        

それでも、消費者も目くじらを立てることは少なかった。
それは消費者の関心、ニーズは、
そうしたところになかったからである。(続く)