これから書くこと。
自分も、そうなんだ、ということを
頭に置いてでなければ、書けない。
なぜなら、それは自分のことから、
発しているからだ。
「売りたがっている人の目には、困っている人のことは映らない」。
うまい表現が出来ないが、これが私の得た大きな収穫である。
雷のせいで、パソコンがやられた、
と裏付けの証拠もなく、また本人の自白もないまま、
決めつけてブログに書いた私のいい加減さから、
このことは、始まる。
ブログに書いたら、ひょっとしたら、
奇特な人がいて、助け船を出してくれるかも、
というよこしまな魂胆が、私にあった。
なにせ、ITの向こうには、極く親しくしている
その道のプロが、何人かいることだ。
「売りたっている人には、売りたい商品以外を欲している人は映らない」。
考えてみれば、ブログにこうしたことを記して
いつも慰めの声をかけてくれるのは、その道以外の人たちだ。
「金になれば動き、金にならないければ動かないからだ」
と、咎めているのではない。
そうした人の関心、心の動きに関心があるのだ。
金になれば気がつくが、そうでなければ見落とす。
これは、ライオンや豹など猛獣、皆なそうである。
動物も人間にも通じる、普遍性があることだ。
お腹が空いたら、シマウマを追いかけるが
そうでないときは、目の前を通っても知らん顔。
ヤマダ電機のカウンターには、
たまたまその人しかいなかった。
社員の服装では無かったが、どうだろう。
胸には「カスタマサービス」という名札を付けていた。
持ち込んだ私のパソコンを、調べ始めた。
「中の電池が切れています。」
マザーが老朽化し、限界に来ているが、
とりあえず電池交換で、使えるようにはなる、と彼は続けた。
「電池交換に220円ほどかかりますが、よろしいでしょうか」
買い換えか、莫大な修繕代の見積もりを予想していた私は、
大きな空振りを食った思いだ。
反射的に、「いずれボードがだめになるんだったら、
取り替えた方が安ければ、取り替えたい。
新しいパソコンを買った方が安いのなら、そうする」。
彼は、さらに、いろいろ調べてくれた。
この手のマザーボードは、もう現在は使えないこと。
代替品も製造されていない。
ですから取り替えはできない。
使えるだけ使って、廃棄、仕方がない。
でも、電池交換で当分は使えますから。
と申し訳ないように、説明してくれた。
もう既に、私は、この彼の対応で、
新しいパソコンに買い直すことに決めていた
。
だが、彼には、売る気が全くなくて、
この老朽化したパソコンをいかに長く使うかの方法について、
噛んで含めるように話をするだけなのだ。
ついに、私の方が切り出した。
「オーダーメイドで、新しいのを買いたいのだけど」
やっと、彼はそうした創作パソコンの売場に案内してくれた。
10万円もあれば、メーカー製品の20万程度の性能
は確保できそうだ。
220円を申し訳なさそうに受け取り、清算すると、
彼は、持ち込んだ古いパソコンを駐車場まで運んでくれた。
川内には、ヤマダ、ベスト、 ケーズの3大型店がある。
それで、3店を下見、比較して、決めるつもりだった。
が私は、ヤアダではなく彼からヤマダで買うことに決めた。
最初から、買うだろうというお客にはだれしも親切だ。
見込み客にも親切だ。
だが、買いそうもないお客が、困った顔をしても、
素知らぬ顔をしてやり過ごす。
「お腹が空いているのに、腹の足しにもならないことにかまえるか!」
「お腹が空いていないのに、腹の足しになるものにかまっておられるか!」
帰りの車の中で、
あれ、ヤマダだからだ、じゃない。
ヤマダの社員ではないからだ。
彼だからだ。きっとそうだ。
社員でないと、人柄が出て、
その人柄が接遇になり、売れる。
私の思考は飛躍する。
正社員(販売員)って、なんや!?
自分が困ったときには、人に近寄る。
困った人には、知らん顔。
みなが、大方こうであったら、
ここに、売れるヒケツがあるではないか。
困ったとき、その困ったことにすら気づかない人、
そのかねがねは、やはり餌を付けた釣り針だったのか。
ここで私は、見切りを付ける人のことを、頭に浮かべる。
これは、自分が他者に向けて考えていること。
だが、他者が私をみるとき、
やはり、こうしたことで私に見切りをつけたいと、
そう思っていること、多々あるに違いない。
パソコンの故障のお陰で、
えらいラッキーな体験をした。
かけがえのない普遍性ある教訓を得た。
さらに、自分自身の反省も2点、得た。
雷を確証の侭、犯人扱いしたこと。
ブログで助け船、人頼りを期待していたこと。
自分も、そうなんだ、ということを
頭に置いてでなければ、書けない。
なぜなら、それは自分のことから、
発しているからだ。
「売りたがっている人の目には、困っている人のことは映らない」。
うまい表現が出来ないが、これが私の得た大きな収穫である。
雷のせいで、パソコンがやられた、
と裏付けの証拠もなく、また本人の自白もないまま、
決めつけてブログに書いた私のいい加減さから、
このことは、始まる。
ブログに書いたら、ひょっとしたら、
奇特な人がいて、助け船を出してくれるかも、
というよこしまな魂胆が、私にあった。
なにせ、ITの向こうには、極く親しくしている
その道のプロが、何人かいることだ。
「売りたっている人には、売りたい商品以外を欲している人は映らない」。
考えてみれば、ブログにこうしたことを記して
いつも慰めの声をかけてくれるのは、その道以外の人たちだ。
「金になれば動き、金にならないければ動かないからだ」
と、咎めているのではない。
そうした人の関心、心の動きに関心があるのだ。
金になれば気がつくが、そうでなければ見落とす。
これは、ライオンや豹など猛獣、皆なそうである。
動物も人間にも通じる、普遍性があることだ。
お腹が空いたら、シマウマを追いかけるが
そうでないときは、目の前を通っても知らん顔。
ヤマダ電機のカウンターには、
たまたまその人しかいなかった。
社員の服装では無かったが、どうだろう。
胸には「カスタマサービス」という名札を付けていた。
持ち込んだ私のパソコンを、調べ始めた。
「中の電池が切れています。」
マザーが老朽化し、限界に来ているが、
とりあえず電池交換で、使えるようにはなる、と彼は続けた。
「電池交換に220円ほどかかりますが、よろしいでしょうか」
買い換えか、莫大な修繕代の見積もりを予想していた私は、
大きな空振りを食った思いだ。
反射的に、「いずれボードがだめになるんだったら、
取り替えた方が安ければ、取り替えたい。
新しいパソコンを買った方が安いのなら、そうする」。
彼は、さらに、いろいろ調べてくれた。
この手のマザーボードは、もう現在は使えないこと。
代替品も製造されていない。
ですから取り替えはできない。
使えるだけ使って、廃棄、仕方がない。
でも、電池交換で当分は使えますから。
と申し訳ないように、説明してくれた。
もう既に、私は、この彼の対応で、
新しいパソコンに買い直すことに決めていた
。
だが、彼には、売る気が全くなくて、
この老朽化したパソコンをいかに長く使うかの方法について、
噛んで含めるように話をするだけなのだ。
ついに、私の方が切り出した。
「オーダーメイドで、新しいのを買いたいのだけど」
やっと、彼はそうした創作パソコンの売場に案内してくれた。
10万円もあれば、メーカー製品の20万程度の性能
は確保できそうだ。
220円を申し訳なさそうに受け取り、清算すると、
彼は、持ち込んだ古いパソコンを駐車場まで運んでくれた。
川内には、ヤマダ、ベスト、 ケーズの3大型店がある。
それで、3店を下見、比較して、決めるつもりだった。
が私は、ヤアダではなく彼からヤマダで買うことに決めた。
最初から、買うだろうというお客にはだれしも親切だ。
見込み客にも親切だ。
だが、買いそうもないお客が、困った顔をしても、
素知らぬ顔をしてやり過ごす。
「お腹が空いているのに、腹の足しにもならないことにかまえるか!」
「お腹が空いていないのに、腹の足しになるものにかまっておられるか!」
帰りの車の中で、
あれ、ヤマダだからだ、じゃない。
ヤマダの社員ではないからだ。
彼だからだ。きっとそうだ。
社員でないと、人柄が出て、
その人柄が接遇になり、売れる。
私の思考は飛躍する。
正社員(販売員)って、なんや!?
自分が困ったときには、人に近寄る。
困った人には、知らん顔。
みなが、大方こうであったら、
ここに、売れるヒケツがあるではないか。
困ったとき、その困ったことにすら気づかない人、
そのかねがねは、やはり餌を付けた釣り針だったのか。
ここで私は、見切りを付ける人のことを、頭に浮かべる。
これは、自分が他者に向けて考えていること。
だが、他者が私をみるとき、
やはり、こうしたことで私に見切りをつけたいと、
そう思っていること、多々あるに違いない。
パソコンの故障のお陰で、
えらいラッキーな体験をした。
かけがえのない普遍性ある教訓を得た。
さらに、自分自身の反省も2点、得た。
雷を確証の侭、犯人扱いしたこと。
ブログで助け船、人頼りを期待していたこと。