経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

孫子、曰くを曰く

2008年07月08日 | Weblog
短い孫子の曰く、の水増しを続けたい。

そこで、もいちど。そもそも、から入る。


そもそも
彼は侭ならぬから、彼ヲ知る
ことが不可欠と、孫子は宣わく。

経営計画なるものの彼とは、
広義で、諸行無常。
狭義で、お客様。

それも、そもそも動画を、1コマだけ静止画にして、
それを切り貼り、ピンナップしたもの。

それが、我が社の「我が社の経営計画書」ではないか。
だから、どうしても
 1-硬直的を帯びざるを得ない。
 2-我田引水になりがち

この2つを払拭できない。

そこに、変化対応、フレキシブル、客観的に

と念押しし、書いてあったにしてもだ。


その固定された計画をもとに、
変化に対応しようということ自体、矛盾がある。

「手足を縛られたまま、君は自由の身なんだよと言われてもね」
「両親から開放されようと上京したが、やはり同じだったしね」

もちろん、やむを得ない面はある。
またそれによる、良い面も、むろんある。
あるにしても、
計画を是、あるいは絶対視し、
変化を非とし厭い、

「計画通りいかない」

と悲観する。
これは、やはり可笑しげなことだ。

言うにしても、
「変化に、計画がついて行っていない」
こう言う方が、正しいのではないか。
だって、計画は個人か企業。
変化は、諸行無常、森羅万象が一切が対象。

その象徴。
 「目標、必達!」
 「計画、完遂!」
といったシュプレイルコールや貼り紙などを
見聞きすると、その滑稽さに、苦笑せざるをえない。

論理性、計算性、合理論の代表といった
経営の世界に、計画は絶対不変・固定・死守。
力不足は神や仏の手も借りてでも必達といった
あの戦争での日本軍が流布した神国・神風論が
依存、存在することに、
苦笑の思いが、不気味さに変わるのを覚えるのだ。

それも、科学的計算性に裏付けされたシステム論の中に、
まだら的に精神論が入り込む、といったことで、
以前より手が込んだ分だけ、悪くなっているように
私には思えてしょうがない。

計画には、縛りの側面がある。
この縛りにも、2通りある。
縛りの良き側面と、悪しき側面がある

柔軟性がない。
変化に対応できない、

といった後者の悪しき側面。
これらは、わかっていることだから、
事前にその弊害を取り除いておく。
これは容易だし、不可欠なことだ。


つまり、うまくいくことを前提に創られた
計画は、うまくいかなかったときは、
          「どうなのじゃ」。

計画通りを前提とした計画だが、
   計画外には、 「どうなのじいゃ」

「どうなのじゃ」に対しての、対処、
こうしたものが抜けている。これが出来ていない。

上手く活かそうという側面だけの経営計画書だらけ。
うまくいかない場合は、いかがしよう、
という側面をも事前に検討、織り込んでいる経営計画書。
あるのか。ないのか。

私の知る限り、ない。

広い世界のことだ。あるかも知れないが
まずは、稀有だろう。

そこで・・・(続く) 08.6.23