経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

努力のせいか

2007年07月15日 | Weblog
どうせ努力をしてうまくいかないのなら、努力をせずうまくいかないほうがましだと考えている。だが、その努力をする前に、うまくいくかうまくいかないかがわからないから、仕方なくというかやむを得ず、あるいは無意識に努力する。
 
人の場合は、わからないから、この話は、私の場合と限定付きでいい。

 その結果うまくいったら、「努力の甲斐あって」と、検証もせず「努力」を功績者として讃える。ここで「努力をしなくてもうまくいった」という可能性は、見向きもされず、無惨にも放棄される。

 ではうまくいかなかった場合はどうか。「努力の甲斐もなく」、「努力が足りず」と、これまたあっさり「努力」へふっている。
 
 私は、ここで言葉尻や小理屈をここで述べたいのではない。
 こうしたことを、一種の刷り込み、囚われ、制約事項とみて、こうしたものから脱却する思考を、意識して「やる」。そのことを考えているのである。

 人から、「努力したことは無駄になんないからね。そのうちきっといいことあるさ」とか、「苦労はきっと報いられるよ」、といわれたら、本人の前では、「そうだよね」といった顔をしておく。
 そして自分だけになったときに、次は、努力や苦労せず、楽しくやってみて報いられるかどうか。いろいろ方法を考えてみよう、ということを考え、実践してきた。

 そもそも、「努力って何だろう。
 考えている内に、1つわかったことがある。目下が、目上には滅多に使わない。これで解けてきた。
 
 それでこの解を仮説として、この何者か訳わからない「努力」の縛りから、脱してみることを、やってきた。 それで実際、そうした縛りからの開放を、私は、「MMAPで経営革新」に用いている。