経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

主がバーベルを持ち上げないわけ

2007年07月01日 | Weblog
ここに主従がいる。主は1人、従は10人、としよう。

 主あっての従。従あっての主。これを主従の関係という。

 その関係とは、次のようなものだろう。
この主は王になりたい夢を持っている。自分で自分を持ち上げることは絶対に出来ないと言うことを知っている、この主は、持ち上げてもらうために従を雇用した。
 従にすれば、主を王様にすれば、自分たちもそれぞれ出世できる。主はその彼らに乗っかっていさえすれば、彼らが王様の位置まで持ち上げてくれる。テコの原理を知っている主であった、ともいえる。

 次に、バーベルを頭上に持ち上げている姿をイメージしていただきた。バーベルがあなた。あなたの事業、仕事としよう。支えている人を、あなた以外の人。事業では消費者だ。この支えている消費者が、手をはずしたらどうなるか。バーベルは己の力で持ち上がっていなかったのだ、と気づくまもなく、ドスンと床に落下する。これが倒産である。
 商の国を作った湯王(とうおう)は、「民ありての王なり」といった。民主主義をの始祖みたいな人でもある。奇しくもこの国の人を商人という。
 
 こう考えたら、仕事は濃淡の差はあるにせよ、この持ち上げてくれる人に、その気にさせる要素が含まれていることが不可欠であることが理解できよう。

 だから、
 企業内の論理、都合、事情、スケジュールといったことを恙なくこなすことではない。  事業や自分の都合、段取り、事情、ルールに消費者をはめ込んで言動することではない。 自己の利害のために他者を操作することではない。
 働きやすい職場作りのために、消費者や取引先に犠牲を強いることではない。

 これらは道徳や倫理の話ではなく、企業存亡に関わる根本の話なのである。すなわち、経営を考えるとき、バーベルを企業規模、売上とみて、それらを増やし、いつまでも高々してもらうためには、この持ち上げてくれる人が、どうした場合持ち上げてくれるのか、また持ち上げる人をいかに増やすことをなすことが、「経営」ということになる。

 それをなぜ、持ち上げてくれる人が、あきれて手を離す様なことをするのか。
 なぜ企業存亡の危機を賭してまで消費者を裏切り、背を向けさせる言動をとるのか。

くりかえし、くりかえし同じようなことを書いているので、実は自分でもいやになっている。
 しかし、これだけくりかえし、くりかえし同じようなことを起きているということは、
経営というものが、ぜんぜんわかっていない経営者が、一人前の経営者としてまかり通っている、としか、私には思えない。
 だからくりかえし。くりかえし同じことを、別のたとえで話している。

 いかにたとえを取っ替えようと、言いたいことは、次のこと。

経営の本意は、自分、自企業を支えてくれる消費者なりと、いかなる関わりをするか。その関係作りにある。