経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

言葉のかるさ。

2007年07月04日 | Weblog
 綺麗な、聞こえのいい言葉で、一時的に消費者を引きつけることはできる。だが長くはできない。言葉は耳には入るが、形ではない。文字は目には入るが、動きではない。こうして押し詰めていくと、言葉にしろ、文字にしろ、行動の裏付けがあってこそ、その意味、真実としか受け取ってもらえない悲しさと寂しさがある。

それを文章の力で、乗り越えさせることが出来るものが、小説家などプロの文筆家なのかもしれない。
 
凡夫にすぎない私などの言葉や文字は、いわゆる心にもない言葉を吐くと、自分にもいやになるほど虚ろに聞こえる。実際行動を伴っていない文章は、虚構に感じられる。自分で吐いたり、書いたりしながら、いつまでも不快な余韻が尾を引く。それがいやで、できるだけ借りてきた言葉は、自分で検証するか、最初から経営するようにしてはいるのだが。

 企業犯罪にしろ、政治家や知事の犯罪にしろ、当事者の吐く事件のはじめにの言葉と、終わりの頃の言葉が、大きく変わっている。その言葉を追うたびに、人の吐く言葉の、軽さ、意味のなさ、空虚さ、頼りのなさを痛感する。そしてそうしたものを報道で通じて知る私たちの心に蓄積されるものは、結局は、企業なり、政治なりへの不信感なのである。

彼らには十分犯した罪は償って頂きたいのだが、そうした不信感を人々に抱かせた罪と言葉に対する信頼性を軽くしたという罪にも、謝罪して欲しいものだと思う。

 こうしたものが蓄積され拡大化すると、人は人間への不信、企業に対する不信、政治への不信感、経済への不安、社会へ対する不安感などに陥るからだ。
 個人消費の不振も、お店の不振も、あるいはこの「不信感」が嵩じてきたものである、とは思っているからだ。

 ここに私が、何を今更、と言われながら、こと新たに「商人道」を、ライフワークに加え、研究を始めた理由がある。