経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

ある座談会で、トータルゲーム(会社ゲーム)について語る

2005年11月26日 | Weblog
 「TG(トータルゲーム)http://www.soshin.cc/に初めてであったときの、印象ってあまりよくなかった、後でわかったことですが、その時のインストラクターは,○◎ゲームと同じ使い方していたし、受講していた人もそのゲームのベテランばかりだった。
 みな、どうしたら相手を打ちのめすかで必死で。終いには私は、疲れて疲れて。この丈夫な私がですよ。

 ところが、2年ぐらい後、嶋崎(喜一)さんのインストラクトでやって、ええっ、といった感じ。私のライフワークである脳力開発の目指すものと、同じじゃないかと。そしてこれは使い方を誤まれば、恐いぞ、と感じました。脳力開発もまったく同じだから。

 良いものは、諸刃の部分が実にはっきりしているんです。つまりよくいわれる、医者が使えば精緻なメスだが、恐い兄さんが使えば鋭利なドスといったこと。TGには、それがある。これが第一。

 第二はですね。私たちは、一日の大部分を自分以外の対象物と接している。だから、坊さんたちから座禅せよ、瞑想せよといわれる。これは、つまり他者ではなく、自分と対峙してみなさいということなのですが、TGをやっていることは、実はこのことと一緒。自己との対峙なんです。

 パソコン版(CD)だと、いっそう明確ですが、ボード版でも相手は、実は自分自身。まずいかな、種明かししちゃって」

 嶋崎さんがよくいわれる、子供返りのこと。結局,我(が)を忘れて”夢中”になってしまう。これが瞑想に近い状態ではないか、と思っているのです。

 だから無長で過ごしたとき、言うではないですか。あっと驚くぐらい時間の経過が早いと。何人でやっても、この夢中の世界が出来る、作ってしまう。
 だから、雰囲気としては喧騒の中の静寂さ、といった感じなのです。それに、インストラクターの方には、少しつらいことかも知れませんが、彼らにとってルールの解説などどうでもいいこと。いやインストラクターの存在すら忘れて、夢中になってしまう。ついつい相手の存在を忘れる。中には自分の存在すら忘れている人が現れる。
 インストラクターやっているこちらはヒマだから、「本当に、ルール、わかってやっとるんか」って覗きこんでみたりして、、、、。(笑い)

 もし心の中で、戦っていたらこんな雰囲気には絶対ならない。楽しい過ぎるくらい楽しいことが”夢中”の一つの条件である、このことが、現場ではっきり証明されるんです。

余計なことですが、座禅の足の痛みを堪えての瞑想、ではこの”夢中感”はあじわえない。少なくともこらえ性のない私にとっては、我慢できない痛みですよ。あれは。
 
 人間のこうした本質が理解できれば、経営もスイスイと思っています。つまりね、生きることは楽しいことが本質。ならばそのサブシステムの一つの会社なり、仕事が面白くないのはおかしい、ということが、TGの研修をしていると本当によく理解できる。

これが体感できれば、会社が変わり、仕事は変わり(というのは正しい表現でなく、自分が変わっているのですが)ブルーの周囲が、ピンクになる。そしてすべては、自分のせいなんだ、というところへ行き着く。自分のせいと実感出来たら、革新はもううまくいったに等しい。これ私の確信」(笑)