今年も早いもので12月号が送られてきました。
来年のカレンダーが付録でついております。
来年のカレンダーの写真はマルタ騎士団のDXペディ
1A0C のアンテナが使われております。
今年はアマチュア無線にカムバックがテーマとして
毎月特集されておりましたが、現役としてはあまり読
む記事はありませんでした。
最近はJA1AEA鈴木さんの自伝的アマチュア無線史を
楽しみにしております。もう連載も24回になりました。
これまでは私にはあまりなじみのない時代のSSBの創
世記の話でしたが、SSBという新しい電波形式の資料も
部品もない時代に手さぐりで実験を続けられた話を興味
をもって読み続けております。
今月あたりからヒースキットのSB-300というなじみの
あるパネルが登場してきました。
私はいつごろからSSBに興味を持ったのか、あまり覚
えておりませんが、昭和41年に初めて無線局の申請した
時はTX-388という当時はトリオと呼ばれていたいまの
ケンウッドの半完成品の送信機でした。ファイナルが
2E26のSSBの送信機。
その前からSSBには興味がありCQ誌のJA1ANG米田さん
のSSBの話をよく読んでおりました。
昭和40年ごろの40mはAMとSSBがまだ混在していた時代
でした。AMに比べてCWなみに飛ぶとSSBが言われていた
時代で、40mバンドの上のほうでSSBは運用していました。
それからは急速にAMが消えていきましてSSBの時代に
代わっていったと記憶しております。
JA1AEA鈴木さんとは、今年36回を数える九州DXer
Meetingの第2回を大分県中津市で開催した時、ゲストに
JA1BK溝口さんとJA1ADN井原さんとともにお招きした時に
大分空港まだ迎えに行き、会場までお連れしたときにお
会いしたきりです。
その後何度か手紙のやり取りをしたり、サイドワイン
ダーの会報を送ってもらったりした以後はご無沙汰し
ております。同年代に育ったのですが、方や何の刺激も
ない田舎で暮らしていましたが、同じ時代にすごいこと
に夢中になっていたんだなーと感心するやらあきれるや
らで連載がいつまで続くかと楽しみにしております。
来年のカレンダーが付録でついております。
来年のカレンダーの写真はマルタ騎士団のDXペディ
1A0C のアンテナが使われております。
今年はアマチュア無線にカムバックがテーマとして
毎月特集されておりましたが、現役としてはあまり読
む記事はありませんでした。
最近はJA1AEA鈴木さんの自伝的アマチュア無線史を
楽しみにしております。もう連載も24回になりました。
これまでは私にはあまりなじみのない時代のSSBの創
世記の話でしたが、SSBという新しい電波形式の資料も
部品もない時代に手さぐりで実験を続けられた話を興味
をもって読み続けております。
今月あたりからヒースキットのSB-300というなじみの
あるパネルが登場してきました。
私はいつごろからSSBに興味を持ったのか、あまり覚
えておりませんが、昭和41年に初めて無線局の申請した
時はTX-388という当時はトリオと呼ばれていたいまの
ケンウッドの半完成品の送信機でした。ファイナルが
2E26のSSBの送信機。
その前からSSBには興味がありCQ誌のJA1ANG米田さん
のSSBの話をよく読んでおりました。
昭和40年ごろの40mはAMとSSBがまだ混在していた時代
でした。AMに比べてCWなみに飛ぶとSSBが言われていた
時代で、40mバンドの上のほうでSSBは運用していました。
それからは急速にAMが消えていきましてSSBの時代に
代わっていったと記憶しております。
JA1AEA鈴木さんとは、今年36回を数える九州DXer
Meetingの第2回を大分県中津市で開催した時、ゲストに
JA1BK溝口さんとJA1ADN井原さんとともにお招きした時に
大分空港まだ迎えに行き、会場までお連れしたときにお
会いしたきりです。
その後何度か手紙のやり取りをしたり、サイドワイン
ダーの会報を送ってもらったりした以後はご無沙汰し
ております。同年代に育ったのですが、方や何の刺激も
ない田舎で暮らしていましたが、同じ時代にすごいこと
に夢中になっていたんだなーと感心するやらあきれるや
らで連載がいつまで続くかと楽しみにしております。