泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

飛鳥の「古代の川原寺」を再現

2021年02月01日 19時52分58秒 | 歴史

奈良県明日香村にある「川原寺(かわらでら)」は、 古代の寺院の伽藍配置が大変よくわかる寺院跡で、現在跡地は国の史跡に指定されています。

今回は、飛鳥資料館にある復元模型と現在の伽藍配置跡とを重ねながら、飛鳥の「古代の川原寺」を再現したいと思います。

「川原寺」の創建時は、はっきとわかりませんが飛鳥時代(7世紀後半頃)と思われます。「斉明女帝」の「川原宮」の跡地に、息子の中大兄皇子が亡き母のために創建した寺院です。飛鳥時代には、 飛鳥寺・薬師寺・大官大寺と並び「飛鳥の四大寺」の1つに数えられた大寺院でした。

残念ながら、三度の火災にあいそのたびに再建がなされました。最初の焼亡は平安時代前半で、金堂や塔などが炎禍にみまわれています。二度目は平安時代の終わりころで、寺院が壊滅するほどの火災でした。最後の火災は室町時代の後半で、落雷によるものでした。これ以降本格的な再建はされることなく衰退し、江戸時代中期に、現在の弘福(ぐふく)寺が再興されました。

また、「川原寺」の裏山の板蓋神社(川原寺裏山遺跡)から寺が焼亡した後、廃棄された千数百点におよぶ塑像の断片や塼仏が発掘されました。塼仏は、縦横とも20cmほどの板状の塼に三尊仏を浮き彫りにした三尊塼仏が大量に発掘されています。飛鳥資料館で、川原寺復元模型と当時の瓦や廃棄された三尊塼仏を見ることができます。

「川原寺」は発掘調査の結果、伽藍配置は、南大門から中門を入ると右手に五重塔、左手に西金堂そしてその向こう正面に中金堂がある「一塔二金堂」の配置であったこと、そして西金堂は南面せず、五重塔のある東を正面としていたことが判明しました。中金堂礎石には、白大理石(礎石が28個が残されていて見ることができます。)・複弁蓮華文の瓦を用いるなど壮麗な造りだったことがわかっています。また、寺域としては北限大垣と工房跡が発見され、南北330mであることがわかりました。現在、その場所も見ることができます。

「川原寺」と同じような伽藍配置の寺は、福岡県太宰府市にある「観世音寺」や滋賀県大津市にある「南滋賀廃寺」があります。

  「ところで斉明皇とは、どのような人物だったのでしょうか?」

日本の第35代天皇(皇極天皇)および第37代天皇(斉明天皇)で、 舒明天皇の皇后です。天智天皇・間人皇女・天武天皇の母でもあります。7世紀の激動の時代に生きた女帝で、日本の国の基礎をつくった天皇でもあります。大化の改新(645年)が一段落した661年には、唐・新羅の来攻にあった百済救援のため、自ら九州におもむきましたが、7月24日に筑紫朝倉宮(福岡県)で68歳で病没しました。亡骸は、11月7日に飛鳥の地に戻り 飛鳥の川原で殯(もがり)が行われました。その場所が、「川原寺」です。

明日香村には、古代の寺院跡が多く残っていますが、古代の伽藍配置がこれほどきちんと復元・整備されている所は、「川原寺」しかありません。約1300年程前に、中大兄皇子(天智天皇)が亡き母の斉明天皇のために創建した「川原寺」跡に立つと、古代に蘇る様な不思議な所です!特に古代史が好きな方には、お薦めのスポットです。

〇飛鳥資料館にある復元模型と現在の伽藍配置とを重ねながら「古代の川原寺」を再現!

全体伽藍配置ー南門ー中門ー東大門ー西金堂ー五重塔ー中金堂(白大理石)-鐘楼ー経蔵ー講堂ー僧房ー回廊ー川原寺北限大垣跡(工房跡) ※板蓋神社(川原寺裏山遺跡から出土の三尊塼仏等)

                                

 

 

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