泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

興福寺(八釣山地蔵尊)の境内で開花「アオノリュウゼツラン」

2021年07月27日 11時08分41秒 | 散歩

奈良県橿原市下八釣町の「興福寺(八釣山地蔵尊)」の境内において、数十年に一度しか花を咲かせないといわれる「アオノリュウゼツラン」が開花しました。リュウゼツラン(竜舌蘭)は、中南米原産の多肉植物で、葉の形状が竜の舌のように見えることから命名されたとされます。開花するのは数十年に一度で、その後は枯れてしまうことが多いといわれています。

ところで「興福寺(八釣山地蔵尊)」は、大和三山のひとつである「天の香久山」の北麓の位置しています。伝承によると、585年に物部守屋(もののべのもりや)が仏法を嫌い、飛鳥の「橘寺」(たちばなでら)に火を放って焼いたとき、金堂に安置してあった地蔵菩薩が、火から香具山(かぐやま)の頂上に逃れて行き、それを知った「聖徳太子」が香具山の山麓に寺を建立して地蔵を祀ったと言われています。また、聖徳太子が夢のお告げで御体顕されたいう御夢想の名灸があり、リュウマチや神経痛などに良く効くそうです。

歴史深いお寺で、数十年に一度しか花を咲かせないといわれる「アオノリュウゼツラン」の花を、幸いにも見ることができました! 大和は色々なことがあり、面白い・・・

           

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藤原宮跡の「蓮の花・2021」

2021年07月25日 20時49分13秒 | 散歩

奈良県橿原市にある、日本初の条坊制を用いた本格的都城「藤原京」の宮跡において、例年よりやや早いですが「蓮の花」が咲きました。

今回は、藤原宮跡の「蓮の花・2021」の様子を紹介したいと思います。

「藤原京」(694年~710年)は、飛鳥京の西北部、奈良県橿原市と明日香村にかかる地域にあった飛鳥時代の都城です。藤原京は、東西方向約5.3km、南北方向4.8kmで、平城京、平安京をしのぐ規模の都でした。その中心部には藤原宮がありました。天皇の住まいである内裏や、天皇が儀式が行われる大極殿等がある本格的な都でした。

大極殿跡南東方向にある「蓮ゾーン」には、今年も可憐な「蓮の花」が咲きました。例年よりやや早く咲いたせいか、花の数がやや少なかったようでした。

この場所は、大和三山の絶好の眺望スポットととして平成23年6月には「重要眺望景観」に指定されています。

大和三山を背景にした「蓮の花」は、古都奈良らしい夏の風景です!

           

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奈良県の国宝薬師寺東院堂で「初の写経体験」

2021年07月17日 17時12分52秒 | 散歩

奈良県の国宝「薬師寺東院堂」で、初の試みとして7月の平日限定で「写経体験」が行われています。

7月12日の午前の部に、初の「写経体験」をしてきました。

今回は、奈良県の国宝薬師寺東院堂で「初の写経体験」の様子を紹介したいと思います。

「薬師寺」の境内にある国宝「東院堂」で、聖観世音菩薩ご宝前で初となる「写経体験」が7月5日からスタートしました。国宝の堂内さらに国宝の仏さまのそばでの「写経会」は、初の試みとして国内でもほとんど例がない貴重なことだそうです。 今回会場となる国宝の「東院堂」は、奈良時代の長屋王の妃である吉備内親王が母の元明天皇の冥福を祈るために建立され、鎌倉時代に再建されました。

その建物の中で、初の「写経体験」を行ってきました。

今回の企画について住職の方から、コロナ禍だからこそ実現した国宝の堂内での写経体験は、「参拝者もいらっしゃる特別な空間に身を置いて、自分を保ち集中してお写経することで、心を整えていただけたらと。無心でお写経し、般若心経の功徳を得てスッキリしてほしい」と話されていました。

「写経体験」前に、写経の仕方等の説明が行われました。10時すぎに聖観世音菩薩がおられる「東院堂」に入り、約2時間位「写経体験」を行いました。何も考えずに、ただひたすら「般若心経」の文字を写すだけの作業でしたが、はじめは緊張して上手く墨で書くことができませんでした。途中から時間も忘れるくらい集中して、写経をすることができました。日常生活では、なかなか味わうことができないひと時を、過ごすことができました。

次は、私が住む明日香村川原にある「川原寺」で写経を行ってみたいと思っています。このお寺は、飛鳥の三大寺に挙げられた大寺でした。飛鳥時代の女帝「斉明天皇」(皇極天皇の重祚)の飛鳥川原宮跡に、子の天智天皇が建てたお寺です。また、日本で初めて写経が行われた場所としても有名なお寺です。

「薬師寺」は、680年に天武天皇によって皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願し発願され、697年に持統天皇の時代に完成しました。その後、平城遷都に伴い718年に飛鳥の藤原京から平城京に移されました。金堂、講堂などを中心に、東塔と西塔の2つの三重塔を配する構成は独特なもので、薬師寺式伽藍配置と呼ばれています。この華麗な伽藍も数次の火災にあって次々と焼失し、創建当時の姿を残すのは東塔のみです。現在は伽藍の復興が進められ奈良時代当時の姿にもどりつつあります。

せっかくなので、写経終了後に境内やその周辺を散策しました。久しぶりの「薬師寺」は、見違えるほどに伽藍の復興がなされているのに驚きました。そのなかでも、奈良時代当時の姿をとどめている東塔の三重塔は、素晴らしかったです。有名な水煙も今回、身近に見ることができました。

今回の国宝「東院堂」での「写経体験」は、古都「大和」ならではの貴重な体験でした!

 

                    

 

 

 

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飛鳥の「棚田と夕焼け・2021」

2021年07月10日 09時02分15秒 | 散歩

奈良県明日香村は、1400年前の飛鳥の時代に都が置かれた古都として数多くの史跡が点在しています。

ここは「日本の国のはじまりの地」です。歴史と豊かな自然が息づく飛鳥は、「日本の原風景」であり「日本人の心のふるさと」とも呼ばれています。農業を礎とする景観と相まって、歴史的風土が奏でる情景は、何とも言えない雰囲気を醸し出しています。

今回は、飛鳥の「棚田と夕焼け・2021」を紹介したいと思います。

飛鳥の魅力の一つに、歴史的な景観は勿論ですが、古代から残る豊かな自然です。水田に映る雲や山並みは何とも言えない懐かしい景色です。また、棚田に映える夏の「夕焼け」の景色は見事です。

今回紹介するのスポットは、棚田百選にも選ばれている稲渕地区と細川谷・坂田地区・飛鳥宮跡周辺です。

特に細川谷・坂田地区は、夕方になると棚田に映える夕焼けがとても綺麗です。

飛鳥の「棚田に映える夕焼け」は、眺めているだけで時間を忘れさせてしまうほど素晴らしい景色ですよ!

                                  

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飛鳥の「不思議発見!(その7・8)」(4)

2021年07月05日 21時11分59秒 | 散歩

奈良県の飛鳥地域を散策していると、「これは一体何?」・「どうして、この様な物がここに?」というようなものを見受けられます。前回は、ロマンいっぱいの「古代の不思議なもの」を紹介しました。

今回は、飛鳥の「不思議発見!(その7・8)」(4)を紹介したいと思います。

〇「この石造物は、一体何?」      

          その7                     その8

         

(その7)

これは、奈良県明日香村祝戸地区に、不思議な男根型の石「マラ石」と呼ばれている不思議な石造物です。長さ1mほどの石で、対岸にある丘陵を「フグリ山」と呼び、マラ石と一対と考える説もあると言われています。マラ石は、五穀豊穣や子孫繁栄との関係があるとも考えられているようです。

この「マラ石」がある地区は、祝戸(いわいど)と呼ばれています。日本書紀によると、642年に「村々の祝部(はふりべ)の所教のままに、或いは牛馬を殺して諸の社の神を祭る・・・」とあります。

どうも、干ばつが続き「雨乞い」が行われたようです。この記事の続きに、当時の女帝である「皇極天皇」が8月1日に南渕の河上へ行幸して四方を拝み、天を仰いで雨乞いを行い雨は5日間続いて天下は等しくうるおった。国中の百姓は皆喜んで、「この上もない徳をお持ちの天皇である」といったと、日本書紀に記されています。

この記事にある「祝部」の「祝」は、「ほふり」と読み神を祀る者を指しています。この地域に「祝」の字がつく「祝戸」があるのも、古代において神を祀る「祝部」が住んでいたと推測されています。この場所に、「マラ石」があります。

また、この「マラ石」がある所は、古代の寺院である「坂田寺」の寺域にあります。

大字に伝わる話によると、昔に疫病やはやり病が流行した時に、稲渕方面に流行していかないように「祝戸」でくい止めるために「マラ石」を設置したと伝えられているようです。現在では、子どもが授かるようにと訪れる方もおられるようです。「明日香村の大字に伝わるはなし」より

(その8)

これは、明日香村川原地区にある「亀石」と呼ばれている石造物です。田んぼの横にあり、重さ推定40tという巨大な花崗岩を、 自然の岩肌を残したまま利用した石造物です。うずくまった亀のようなスタイルと残された伝説から「亀石」と呼ばれていますが、何の目的で造られたかわかっていません。造られた時代は、飛鳥時代のようです。

伝説では、昔大和が湖であった頃、湖の対岸の当麻(たいま)と川原とが喧嘩になり、長い喧嘩の末、湖の水を当麻にとられてしまい、湖に住んでいた多くの亀は死んでしまいました。数年後、哀れに思った村の人達は、亀の形を石に刻んで供養したと言われています。元は北向きだったものが現在の南西へと向きを変えていますが、この石は毎年粟粒1個づつ西に回っていると言われています。西を向き当麻をにらみつけた時、当麻の地は湖の底に沈んでしまうと言われています。「明日香村の大字に伝わるはなし」より

今回は、不思議な「石造物」を紹介しました!

      

 

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