泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

女帝斉明天皇の終焉の地 「朝倉橘広宮」跡

2015年01月20日 17時53分22秒 | 歴史

激動の7世紀の出来事です。660年に百済が唐と新羅によって滅ぼされると、斉明天皇は661年に九州の「朝倉橘広宮」(福岡県朝倉市)において、百済復興の戦に備えました。

しかし、7月24日に「朝倉橘広宮」において68歳で崩御されたということです。

今回は、7世紀に「日本」の基礎を築いた、「女帝斉明天皇の終焉の地」であると言われる、「朝倉橘広宮」跡を紹介したいと思います。

「日本書紀」によると、この「朝倉橘広宮」において、すでに百済での敗戦(663年の白村江の戦)を暗示させるかのような不思議な記事がうかがえます。

一つ目は、「朝倉橘広宮」を作る際、朝倉社の木を切ったため神が怒り、宮殿を壊したといいます。また、宮中には鬼火が出たため、病気になって死亡者が多く出たとあります。

そして、何と「斉明天皇」までもが崩御されました。

二つ目は、「斉明天皇」の「喪の儀」の出来事です。661年8月1日の夕方、朝倉山の上に鬼が現れ、大笠を着て「喪の儀」を見守っていたというのです。衆人は皆、不思議に思ったと。

その後、斉明天皇の御遺骸は奈良県の飛鳥の川原に移されました。

現在、中大兄皇子が喪に服したと言われる、恵蘇八幡宮の境内にある「木の丸殿跡」や、斉明天皇の御遺骸を仮安置したと言われる「御陵山」(古墳)、近郊には斉明天皇や中大兄皇子に関する神社等を探訪することができます。

舒明天皇亡き後、天皇となった「皇極天皇」。645年の乙巳の変(大化の改新)後、655年に再び重祚して「斉明天皇」となりました。

  「日本」の基礎を築き、波乱の人生を九州で終えた「斉明天皇」は、どの様なおもいで「最後」を迎えたのでしょうか・・・

                   

 

 

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まほろばの里 「大宰府の風景(秋)」

2015年01月14日 16時44分52秒 | 散歩

まほばの里「大宰府の風景」も、いよいよ「秋の季節」の紹介となりました。

今回の「秋の風景」は、九州の役所である「大宰府政庁」跡・「太宰府天満宮」の近くにある、九州の苔寺「光明寺」・「大宰府」の役人を養成した「学校院」跡・白村江の戦い(663年)の後作られた「水城」跡・斉明天皇を弔うために創建された「観世音寺」等を中心に紹介したいと思います。

まほろばの里「飛鳥」と「大宰府」の風景、古都の風情いっぱいで大好きな場所です!

                       

 

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まほろばの里 「大宰府の風景(夏)」

2015年01月09日 15時46分38秒 | 散歩

太宰府市は、福岡県の中部に位置し、その歴史は「飛鳥時代」に九州地区の統治組織として「大宰府」が置かれました。「日本書紀」にも、671年に「大宰府」という名前が出ています。

現在、「学問の神」と崇められる「菅原道真公」を祀った「太宰府天満宮」をはじめ、数多くの史跡を探訪することができます。

「史跡探訪」には、「歴史の道」がお勧めです。今回、紹介している「大宰府の四季の風景」は、「歴史の道」(太宰府天満宮~市文化ふれあい館)を散策しながら、撮ったものがほとんどです。

「大宰府の風景」として、「冬・春の季節」の風景を紹介しましたので、今回は、「夏の季節」の風景を紹介したいと思います。

特に、9月に行われる「大宰府の光の回廊」はとても幻想的です。「飛鳥」においても、同時期に「飛鳥の光の回廊」が行われています。両方とも「古都の風情」が感じられる素敵な行事ですね!

                 

  

 

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まほろばの里  「大宰府の風景(春)」

2015年01月06日 17時29分25秒 | 散歩

福岡県太宰府では、元旦と2日は白銀の世界となりましたが、現在は穏やかな日々となりました。

今回は、今まで散策しながら撮りためていた中から、「大宰府の風景(春)」を紹介したいと思います。

「大宰府」といえば、学問の神様である「菅原道真公」が祀られている「太宰府天満宮」が有名ですが、「天満宮」の西には、斉明天皇を祀った「観世音寺」や、奈良時代の三戒壇院の一つ「戒壇院」、そして古代の役所である「大宰府政庁」跡を見ることができます。

「大宰府の春の風景」は、西国の古都とよぶにふさわしい風情を感じさせる、「飛鳥」とは、また一味違う素晴らしい所です!

                   

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まほろばの里 「大宰府の四季(冬)」

2015年01月01日 15時59分31秒 | 散歩

あけましておめでとうございます!

今年も、「飛鳥」を中心に散策時の風景や歴史等について、発信していきたいと思います。よろしくお願いします!

今年最初は、まほろばの里「大宰府の四季(冬)」を見ていただきたいと思います。

「大宰府」は、7世紀後半(飛鳥時代)に「大宰府政庁」という大きな役所ができました。九州中を治め、外国からの使節の往来もあって、当時はとてもにぎやかな都会で、西の都、遠の朝廷(とおのみかど)と呼ばれていました。

2015年元旦、九州福岡県太宰府においても雪が降り、白銀の世界になりました。

今回は、白銀の「大宰府政庁跡」・斉明天皇の菩提を弔うために中大兄皇子(天智天皇)が建てた「観世音寺」・奈良時代に日本に三か所しかなかった「戒壇院」・大宰府の鬼門(東北)を守る「宝満山(ほうまんざん)」の冬景色を撮ってきました。なかなか見ることができない、素晴らしい冬景色でした!

     

 

 

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