泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

飛鳥 光の回廊2016  「四神降臨」

2016年08月29日 16時35分59秒 | 散歩

奈良県明日香村において、8月27・28日の二日間、飛鳥 光の回廊2016「四神降臨」というテーマで開催されました。

今回は、古都「飛鳥」において実施された、ろうそくの優しい灯りに包まれる「飛鳥 光の回廊2016」を紹介したいと思います。

今年は、国営飛鳥歴史公園五番目の地区となる「キトラ古墳周辺地区」の開園(9/24)を記念し、キトラ古墳に壁画として描かれていた「四神」がテーマです。

飛鳥寺・岡寺・橘寺・川原寺・万葉文化館・高松塚古墳・石舞台古墳・亀形石造物などがライトアップされ、ろうそくの「光の回廊」で繋ぎ、光の地上絵や万葉行燈など特徴のある灯りも登場しました。

18時30分頃に各場所においてロウソクが灯され、地元の劇団「時空」さんや大学生の皆さんの協力で、飛鳥宮跡<板蓋宮跡>⇒川原寺跡まで「行幸ナイトウォーク」が実施されました。

各場所において、「四神降臨」が表現されていました。

(高松塚地区) 四神より「玄武」がテーマで光の地上絵を、約1,000個のカップろうそくが使用され、とても見事でした。

飛鳥歴史公園ボランティアグループ「里山クラブ」の皆さんの制作した「天の川にな〜れ飛鳥川!」、とても綺麗でした。

またこの地区には、熱気球体験や様々な灯籠があり、多くの方が見学に来られていました。

(石舞台地区) 華道「草月流」さんによる竹アートの「光の青龍」

(川原寺跡) 朱雀のモニュメントが現れ、周りには柔らかい灯りに包まれた「朱雀降臨」 

(飛鳥宮跡<板蓋宮跡>) 「飛鳥アートビレッジ」参加のアーティストの皆さんが制作した、光の「白虎降臨」

更に今年は、国営飛鳥歴史公園石舞台地区芝生広場にて、奈良フードフェスティバル「C’festa(シェフェスタ)」も同時開催されました。
明日香村や奈良県の食材を使ったグルメが目白押しで、多くの方が来られていました。私も食べました。とても、美味しかったですよ。
他にも、色々な場所で幻想的なイルミネーションに彩られた、昼とは違う「飛鳥」を見ることが出来ました。

ところで、9月17・18日には、飛鳥で「彼岸花祭り」が実施されます。これまた、楽しみです!

                                           

 

 

 

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すみれ色の花が見事な 「本薬師寺跡」のホテイアオイ

2016年08月23日 21時14分03秒 | 散歩

奈良県橿原市城殿町(きどのちょう)には、国の特別史跡に指定された「本薬師寺跡」があり、現在は金堂跡と東西塔跡が土壇として残っています。

今年も、歴史的遺産の「本薬師寺跡」周辺の水田には、約14,000株のホテイアオイのすみれ色の花が一面に咲かせています。

早めに、飛鳥の地に戻りましたので、今回は丁度見頃な、すみれ色の花が見事な「本薬師寺跡」のホテイアオイを紹介したいと思います。

「本薬師寺跡」周囲にある1.4ヘクタールの水田には、美しい紫色の花が水田一面に広がります。株の植え付けには、地元「畝傍北(うねびきた)小学校」の2年生の生徒さんによって、見事なすみれ色の花の水田になりました。

この場所の案内板の近くには、大好きな作家「黒岩重吾」の筆になる、大伴旅人の次の万葉歌を刻んだ碑が置かれています。
     「忘れ草 我が紐に付く 香久山の 古いし里を 忘れむがため」 

ところで「本薬師寺跡」は、680年11月12日、鵜野皇后(後の持統天皇)が病に倒れました。夫である「天武天皇」は、皇后のために病気治癒を誓願し、薬師如来を本尊とする寺の建立を思い立ち、百人の僧を得度させました。これによって皇后の病気は平癒したといわれています。

すみれ色の花が見事な「本薬師寺跡」。飛鳥時代に思いをはせながらの、気持ちのいい散策でした!

                                  

 

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人々の尊崇を集める天神様  「太宰府天満宮」周辺

2016年08月19日 19時57分59秒 | 散歩

福岡県太宰府市にある「太宰府天満宮」は、「菅原道真公」の御墓所の上に社殿を造営し、その御神霊を永久にお祀りしている神社です。

前回は、人々の尊崇を集める天神様が祀られている「太宰府天満宮」を中心に紹介しました。

今回は、「太宰府天満宮」周辺の建物や史跡等を紹介したいと思います。 

「太宰府天満宮」の境内には、「菅公」に関係ある摂社を見ることができます。また、「黒田如水」が使用した井戸や曲水の宴の場所、中国に飛んだ天神さまに関わる「伝衣塔」の史跡等を見ることができます。

近くにある「光明禅寺」は、菅家(菅原道真家)の生まれである鉄牛円心(てつぎゅうえんしん)和尚が鎌倉時代(1273年)に建立した禅寺で 太宰府天満宮の結縁寺(けつえんじ)で、通称「苔寺」と呼び親しまれています。、前庭には石を配した仏光石庭(ふっこうせきてい)と九州唯一の枯山水の庭園があり、 新緑の季節もなかなかのものですが、紅葉の季節には特別な風情があります。とても、綺麗ですよ。

建物は、何といっても「九州国立博物館」です.

東京、奈良、京都に次ぐ、日本で4番目となる国立博物館です。古来アジアとの接点になってきた九州という立地を生かし、“日本文化の形成をアジア史的観点から捉える”をコンセプトに展示を行っています。アジアの中で、日本文化がどのように形成されたかについて、文化交流展示室と特別展示室で展示を行っています。この日も、多くの方が、見学に来られていました。

他にも、地元で昔から愛されている遊園地等があります。見どころ満載の「大宰府」です!

                            

 

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人々の尊崇を集める天神様  「太宰府天満宮」

2016年08月15日 17時27分20秒 | 散歩

福岡県太宰府市にある「太宰府天満宮」は、「菅原道真公」の御墓所の上に社殿を造営し、その御神霊を永久にお祀りしている神社です。「学問・至誠しせい・厄除けの神様」として、日本全国はもとより広く世のご崇敬を集め、年間に約700万人の参拝者が訪れています。

今回は、人々の尊崇を集める天神様が祀られている「太宰府天満宮」と周辺の建物や史跡等を、2回にわたって紹介したいと思います。 

(行程)

    西鉄太宰府駅ー参道ー御神橋(心字池)ー志賀社ー手水舎ー楼門ー本殿ー飛梅

「太宰府天満宮」の祭神である「菅原道真公」は、平安時代の当代一流の学者であり、優れた政治家でもありました。その生涯は国家と天皇家のために命をかけ栄達を極めた一方で、57歳の時、時の左大臣藤原時平の讒言により大宰権帥に左遷となりました。大宰府下向の跡は配所であった榎寺から一歩も出ることなく、約2年後、無実の罪が晴れることなく59歳で逝去しました。
無実ながら大宰府に流され、そこで、生涯を終えることとなります。そんな「道真公」の骸はこの地に埋葬されています。延喜5年(905)には、御墓所の上に祀廟しびょうが創建され、延喜19年(919)には勅命によりご社殿が建立されることとなりました。それが現在の「太宰府天満宮」です。

(参道)

「太宰府天満宮」の顔とも言える参道は東西約450mにも及ぶ石畳が続き、約80店舗のお土産屋さんや飲食店が軒を連ねます。「太宰府天満宮」参拝や太宰府観光に訪れた人々で賑わう場所となっています。名物は「梅が枝餅」というお餅です。参道にはお餅を焼く香ばしい香りが漂います。焼きたては、とても美味しいですよ。

参道をほどなく進むと「御神橋(心字池)」の入り口になります。この近くに、頭をなでると知恵を授かるという「御神牛」を過ぎると池が見えて来ます。その池が心字池でそこにかかる赤い橋は太鼓橋となっています。

御神橋(心字池)

漢字の心の字に造られていることから、「心字池」と呼ばれ、そこにかかる三橋は、太鼓橋・平橋・太鼓橋とそれぞれ過去・現在・未来を表しているそうです。

仏教の思想である「三世一念」で「心字池」の端から端まで渡ることで参拝者の方の身が清められ、本堂へ向かいます。

「心字池」に架かる御神橋の途中には社海の神「綿津見」三神が祀られている「志賀社」があります。これは国の重要文化財に指定されています。

(手水舎)

楼門の入り口には「手水舎」があります。霊峰「宝満山」より切り出された立派な「手水舎」は巨大な一枚岩で造られていて、そこで、ご参拝の前に、手や口を清めます。

(楼門)

一般的な楼門といえば、左右対処、前後対称ですが、太宰府天満宮の楼門は御本殿側と太鼓橋側とで建築様式が異なるのが特徴的です。重層の入母屋造り、檜皮葺の二重門で、重厚感のある雰囲気です。慶長年間(1596~1615年)に戦国武将でも有名な石田三成が再興しましたが明治時代に焼失、1914年に再建されました。

楼門の中には左右に像があります。これは寺院でいうところの仁王にあたり、楼門の場合は隋身と言います。仁王と同じく随身像も「阿吽(あうん)」の口相をしています。

(本殿)

本殿は、919年(延喜19年)、左大臣藤原仲平が勅によって社殿造営を行いました。数度の炎上を経た1591年(天正19年)に小早川隆景が再建します。五間社流造り、檜皮葺で、正面には唐破風状の向拝が付く、桃山時代の豪壮華麗な様式です。現在国の重要文化財として指定されています。歴史の重みを感じる荘厳な建物です。
檜皮葺きの本殿の正面には唐破風状の向拝がついた、桃山時代の豪壮な様式で、本殿の奥に道真公の御霊が祀られています。多くの方が、参拝されていました。

(飛梅)

本殿の傍には梅の木があり、「飛梅」と呼んでいます。梅殿の梅に「主がいなくても風が吹けば春を忘れずに梅の香を漂わせなさい」と詠いかけます。すると主人である道真公を慕った梅は道真公が太宰府に着くと一夜のうちに主人の元へ飛んてきたと言われています。「飛梅」は、大宰府へ左遷された際に「菅原道真公」を慕って一夜のうちに京から空を駆けてきたという伝承をもつご神木で、千年以上の時を経た今も毎年その清香の華を咲かせます。

「菅原道真公」を祀る境内は豊かな緑と花に包まれ、四季ごとに美しく彩られます。全国各地から毎年700万人以上もの参拝客が訪れることでも有名です。京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社となっています。

「太宰府天満宮」、いつ行っても心が穏やかになります。特に、参拝者が殆どおられない夕方が好きです!

次回は、「太宰府天満宮」の周辺の建物や史跡等を紹介したいと思います。

                                    

 



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(特別編) 武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われたとされる 「巌流島」

2016年08月12日 15時56分45秒 | 散歩

宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われたとされる「巌流島」は、門司港から船で約10分の関門海峡内に位置する小島です。島全体が平らな地形であり、標高は最高地点でも海抜10mに満たない島です。現在は、島の相当部分は公園として整備され人工海浜や多目的広場が設けられています。決闘が行われたとされる当時は、豊前小倉藩領の「船島」でしたが、小次郎が「巖流」(「岩流」とも)を名乗ったことから巖流島と呼ばれるようになりました。

いつもは、飛鳥を中心とした大和の風景や歴史を紹介していますが、今回は、以前から行ってみたかった宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われたとされる「巌流島」を、特別に紹介したいと思います。

慶長17年(1612年)4月13日の試合当日、約束の時間に遅れて島に着いた武蔵は、船の櫓ろをけずって作った長い木剣で小次郎を倒したと語られています。武蔵はこの後、細川家に仕えて晩年ばんねんをまっとうしたわけですが、敗者である巌流佐々木小次郎の名がこの島に残され、一般 に「巌流島」と呼ぶようになったそうです。

何と言っても、武蔵と小次郎の決闘の言い伝えが魅力の島内には、この言い伝えを現す「宮本武蔵と佐々木小次郎の像」「佐々木巌流之碑」や「巌流島文学碑」などが建てられています。

船着場のちょうど反対側、展望広場の南側にある人工海浜には、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘を行った砂浜を再現した砂浜です。武蔵が巌流島に渡る時、乗った小舟まで再現されています。

東海岸の散策道から見る、さまざまな船が行き交う関門海峡の雄大な景観も魅力的でした。

また、「門司港レトロ(もじこうレトロ)」を散策してきました。「門司港レトロ」は、福岡県北九州市門司区にある観光スポットです。JR門司港駅周辺地域に残る外国貿易で栄えた時代の建造物を中心に、ホテル・商業施設などが大正レトロ調に整備されています。

潮風に吹かれながらの「巌流島」・「門司港レトロ」散策は、とても気持ちが良かったです!

                                 

 

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