泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

うまか~「冬の糸島の牡蠣」

2018年12月26日 17時29分49秒 | 旅行

今、「飛鳥」を離れて博多にいます。冬の時期になると毎年、福岡県糸島の牡蠣を食べに行っています。

今回は、うまか~「冬の糸島の牡蠣」を紹介したいと思います。

福岡県糸島市は、2009年に福岡市西隣に誕生した市です。地理的には、大きく分けて、玄界灘に突き出した糸島半島と背振山地が広がる内陸部とからなります。

「糸島」は、古代中国の歴史書『魏史倭人伝』に記された「伊都国」の最有力候補地であるとされており、市内各所に数多くの古代遺跡が点在しています。

「伊都国」については以前ブログで、「日本の古代史最大の謎 邪馬台国と卑弥呼」で紹介させていただきました。その中で紹介した平原遺跡には、「伊都国」の王墓と考えられている1号簿を中心とした墳墓遺跡があり、歴史好きな方にはお勧めです。

福岡県「糸島」は、歴史的な場所も多くありますが、最近九州の雑誌やテレビで「住みたい街」として人気上昇中の街でもあります。

玄界灘に突き出した糸島半島には、「糸島富士」と呼ばれている美しい円錐形をした「可也山(かやさん)」があり、入り江から見た景色は最高ですよ。

いつもここに来ると、海の美しさと共に「飛鳥」と同じ様な「気」の流れを感じます。

ところで冬の味覚と言えば、福岡では糸島市の牡蠣が有名です。ここ数年、ブームと言ってもいいほど人気を集めている糸島のカキ小屋は、糸島市内では6つの地区に30軒近くのカキ小屋があり、たくさんの人で賑わいます。福岡県糸島市エリアでは、毎年11月~3月に、福吉漁港、深江漁港、加布里漁港、船越漁港、岐志漁港、野北漁港の6つの漁港に牡蠣小屋が並びます。

今回紹介するのは、船越漁港のカキ小屋です。糸島のカキ小屋は、新鮮・安全なことと、身が大きくリーズナブルなお値段が特徴です。さらに、ご飯や飲み物などは持ち込み可能の店も多く、和気あいあいの雰囲気です。店によっては、牡蠣以外に新鮮な刺身やホタテやイカ、サザエ、アワビ、活き車エビ、 カキ飯などのサイドメニューがあります。また、近くのお店で販売している、あまおうのイチゴを使った「どらキング」もお勧めです。とても美味しいですよ。

海から上がったばかりのカキを、自分の手で焼いて食べる糸島の牡蠣の美味しさは格別ですよ。「うまか~!」

ところで、2018年の「泉飛鳥塾」のブログは、今回が最後となります。ありがとうございました。

 「2019年、皆様にとって良い年になりますように願っています。2019年も泉飛鳥塾、宜しくお願い致します!!!」

                       

 

 

 

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古代豪族・秦氏の一大拠点「京都太秦周辺を歩く」

2018年12月16日 12時00分21秒 | 歴史

奈良県橿原市畝傍町にある 「奈良県立橿原考古学研究所友史会」は、1955年に「大和歴史館友史会」として発足し、その後高松塚・藤ノ木古墳の発掘という考古学上の重要な発見とともに会員数を増やし、現在会員数が1200名余りを数え、考古学の最新の話題満載の講演会と遺跡めぐりを定期的に開催している歴史サークルです。

せっかく歴史の宝庫「大和」に居住しているので、数年前に入会し講演会や歩く例会に時々参加しています。

先日、古代豪族・秦氏の一大拠点「京都太秦周辺を歩く」というテーマにひかれ参加してきました。

今回は、古代豪族・秦氏の一大拠点「京都太秦周辺を歩く」の様子を紹介したいと思います。

古代豪族・渡来系集団・導水施設・木材生産・流通などのキーワードを基に、渡来系集団を束ねた古代豪族「秦氏」の本拠地である京都太秦を中心に橿原考古学研究所の学芸員の先生の案内と解説のもと、全国から約200位の歴史大好きな皆さんと一緒に約13キロを歴史散策してきました。

(行程) ①阪急嵐山駅前(集合)→(渡月橋)→②大井神社→(渡月橋)→③一の井堰→④宗像神社→⑤法輪寺→⑥松尾大社→⑦月読神社→⑧松尾中(松室遺跡)→昼食・休憩(上桂公園)→⑨蛇塚古墳→⑩広隆寺→⑪大酒神社→⑫木島神社(蚕の社)→⑬天塚古墳→⑭太秦天神川駅(解散)

秦氏とは、高度な技術を持っていた集団の一族で、5世紀後半に渡来してきたといわれています。平安京以前、古代の豪族・秦氏が、未開拓地であった嵯峨野の地域で灌漑を造り農業をひろめました。

大堰川に「葛野大堰」と呼ばれている堰をつくり、嵯峨野の地域で灌漑を営んだことは、秦氏が高い技術水準を持っていたことを物語っています。 秦氏が現在の淀川の治水工事として茨田堤を築堤する際に協力したとされています。山背国太秦は、秦河勝が建立した広隆寺があります。数十年ぶりに広隆寺の弥勒菩薩像を拝顔してきました。また、この寺の近くにある「蛇塚古墳」は、6世紀頃のものであり、年代はさほど遡らないことが推定されます。秦氏が現在の桂川に灌漑工事として葛野大堰を築いた点から山背国太秦の起点は6世紀頃と推定されます。

今回の歴史散策で是非とも見たかったのは、「蛇塚古墳」です。明日香村にある、日本最大の石室を持つとされる「石舞台古墳」と同じ位の石室を持つとされています。 

「蛇塚古墳」は、京福電鉄「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」駅で降りて徒歩7分ほどにあります。住宅街の中に、フェンスで囲われた「蛇塚古墳」があります。こんもりと盛られた古墳で、横穴式前方後円墳です。普段は施錠されていますが、この日は特別に中に入ることができました。中に入ると、岩肌などが見て取れます。全長約75m・石室の全長は17.8m、玄室は奥行き6.8m、幅3.8m、高さ5mと京都府下では、最大規模を誇る古墳です。石室内に蛇が棲息し、岩の間から出入りしていたため、「蛇塚古墳」と呼ばれるようになりました。この古墳が秦氏の墳墓とされています。石質は違うものの、石室の広さは「石舞台古墳」と同じ位に感じました。一番驚いたのは、何と住宅街の中にポツンとあることでした。「天塚古墳」(京福電鉄「蚕ノ社(かいこのやしろ)」駅下車)も秦氏一族の墓とされており、秦氏の勢力を知る大きな手掛かりとされています。

今回の歴史散策でわかったことは、秦氏は古代日本において、農耕・土木技術・製鉄・養蚕・機織・紙すきなど、先進文化を広げ、日本社会の発展に大きな役割を果たしたということを、肌で感じることが出来たことでした!

                                        

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奥飛鳥の 「晩秋の風景・2018」

2018年12月07日 17時10分19秒 | 散歩

季節的には初冬ですが、飛鳥はまだ晩秋の景色を見ることが出来ます。特に、奥飛鳥と呼ばれている地域の風景は、「日本の原風景」そのもののように感じます。

今回は、奥飛鳥の「晩秋の風景・2018」を紹介したいと思います。

奥飛鳥とは、明日香村稲渕・栢森・入谷大字の全域と阪田・祝戸大字の一部ですが、この地域は国の重要文化的景観「奥飛鳥の文化的景観」として平成23年に選定されました。

奥飛鳥地域は、田およびそれを維持してきた農業の仕組が存在しています。 このような飛鳥川上流域において展開される地形に即して営まれてきた居住の在り方と、農業を中心とした生業の在り方を現在にまで引き継がれています。

今回紹介するのは、稲渕地区の景色です。稲渕地区は、中世(平安~室町時代)に開墾され、現在日本の棚田百選にも選ばれました。稲渕の棚田は、300枚あまりの水田と畑により形作られ、明日香村の美しい歴史的景観の一部となっており、農村の原風景を強く残しています。特に、秋に棚田の畔や土手に咲く「彼岸花」の景色は、奈良県下有数の風景です。

棚田周辺に遊歩道が整備されており約4km位ですが、高低差も少なくのんびりと歩くことが出来ます。私の大好きな場所の一つで、よく散策しています。

この日、晩秋の風景を見ながら気持ちよく散策することが出来ました!

                             

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「竹内街道・横大路(大路)まつり・2018」

2018年12月04日 16時39分47秒 | 散歩

日本遺産「竹内街道・横大路(大路)」沿いの10市町村(橿原市、桜井市、大和高田市、葛城市、明日香村、堺市、松原市、羽曳野市、大阪市、太子町)が集結して、12月1日に、奈良県橿原市役所分庁舎ミグランスと八木駅前商店街等で、「竹内街道・横大路(大路)まつり」が行われました。

今回は、「竹内街道・横大路(大路)まつり・2018」の様子を紹介したいと思います。

「竹内街道・横大路(大路)」は、2017年4月5日に開催された日本遺産審査委員会(文化庁)の審議を経て、『1400年に渡る悠久の歴史を伝える日本最古の国道「竹内街道・横大路(大道)」』が、府内で初めて「日本遺産」に認定されました。

「竹内街道・横大路(大路)」は、推古天皇時代の613年、東西の直線で敷設された幅20mを越える大道(竹内街道・横大路)です。古代には、大陸からの使節団が難波宮から飛鳥京を訪れ、先進技術や仏教文化を伝えました。中世には経済は都市を結び、近世には伊勢参りの宿場町としての賑わいを見せ、場所ごとに様々な表情を浮かべています。1400年の歴史の移り変わりを、周辺の歴史遺産を通して感じさせる日本最古の国道です。それが「竹内街道と横大路(大道)」です。

「竹内街道(たけのうちかいどう)」は、大阪府堺市から東へ向かい二上山の南麓・竹内峠を越えて、奈良県葛城市の長尾神社付近に至る約26 kmの日本最古の道です。 東側は奈良盆地南部を東西に横切る官道「横大路に繋がっています。「横大路」は、葛城市の長尾神社から桜井市の慈恩寺北交差点まで東西にほぼまっすぐに進む道です。約14 kmあります。元々は古代、難波京と飛鳥京を結ぶ官道のひとつとして整備された大路でした。 江戸時代には伊勢参りの道として使われ、伊勢街道(伊勢本街道)とも呼ばれ賑わったようです。 西側では、堺からの竹内街道と長尾神社で接続し、東側では慈恩寺北交差点で初瀬街道に接続して、堺、大阪方面から伊勢神宮へ至ることができます。

古道に大変興味があり以前、竹内街道(一部)・横大路を歴史散策しました。その時の様子を、「泉飛鳥塾」のブログで紹介させていただきました。その関係もあって、今回「竹内街道・横大路(大路)まつり」に参加してきました。

毎年、街道沿線市町村において「竹内街道・横大路(大道)まつり」が実施されていますが、今年度は、橿原市役所分庁舎及び周辺商店街を会場として開催されました。

橿原市役所分庁舎ミグランスでは、午前中にオープニングとして地元の橿原市立真菅小学校ブラスバンド演奏が行われました。その後、開会式・竹内街道・横大路(大道)フォトコンテスト表彰式・街道PR大使である「あまゆーず」や橿原市観光PR大使である「さんみゅ~」の音楽ステージや、「オリックスバファローズ吉田一将投手」の凱旋トークショー、「陸上自衛隊信太山駐屯地音楽隊」や「ヴァイオリニストSHOGO」によるミニコンサート等、様々な出演者によるステージで盛り上がりました。可愛い小学校生のブラスバンドの演奏が、とても上手でした。

八木駅前商店街(歩行者天国)では、八木駅前商店街を歩行者天国として、商店街の各店舗が自慢のメニューを露店で提供されていました。また、街道沿線10市町村の人気のパン屋さんが勢ぞろいするベーカリーフェスティバルも同時開催され、多くの方が来られていました。 

近鉄八木駅近くの横大路と下ツ道が交差する日本遺産構成文化財でもある「八木札の辻交流館」において、「竹内街道・横大路(大道)」の街道の歴史や由来、街道を通じて伝わった文化、日本遺産構成文化財の紹介を3部構成で講演会が実施されていました。第2部の「竹内街道・王陵の谷に眠る大王たち」に興味・関心があり、講演会に参加してきました。約1時間位の講演会でしたが、とても勉強になりました。

「竹内街道・横大路(大路)まつり」に参加して、再び「古道の歴史散策」をしてみようと思いました!

                         

 

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