以前、奴国を歩く4「奴国内にある須恵器窯跡」で、「牛頸窯跡群(うしくびかまあとぐん)」を紹介させていただきました。(2019年8月23日)
今回、牛頸(うしくび)須恵器窯跡の「長者原窯跡群・石坂窯跡群」現地説明会がありましたので、紹介したいと思います。
九州最大の須恵器の窯跡群である「牛頸窯跡群(うしくびかまあとぐん)」は、6世紀中頃から9世紀中頃にかけて操業された西日本最大規模の「須恵器窯跡群」です。
福岡県大野城市上大利・牛頸を中心とし、春日市・太宰府市に分布します。分布調査の結果、窯跡は東西4㎞、南北約4.8㎞の範囲に分布し、本来600基前後の窯跡があったと推定されます。
窯構造は地下式窖窯であり、6世紀中頃から末にかけて大型化が進み、6世紀末〜7世紀前半には全長が10mを越す大型のものが多くなり、それ以後は小型化していきます。
12月21日に、現地説明会が福岡県大野城市牛頸の牛頸ダムの南にある「長者原窯跡群」で行われました。今回調査が行われたのは、「牛頸窯跡群」を構成する窯跡群の一つにあたる「長者原窯跡群・石坂窯跡群」です。
「長者原窯跡群」では、調査の結果4基の窯跡が横一列に並んで見つかりました。いずれも長さ3~4m程の小型の窯と考えられています。時期は、8世紀中頃から後半と考えられています。出土品としては、蓋杯・皿・高坏といった食器が中心で壺やかめもわずかに生産していたようです。
当日、現地では発掘された土器を見せてくれました。発掘現場では、発掘責任者による説明が行われ約30名位の方が熱心に見学されていました。展示されている窯跡は見たことはありますが、発掘されたばかりの窯跡を見たのは初めてのことで感激しました。 丁度、煙をだす「煙道部」と製品を並べ焼き上げる場所の天井部分の「焼成部」を見ることが出来ました。約1000度の高温で焼くため、土の色が赤色になっていました。
この下を掘ると、ひょとして土器を焼く焼成部の空洞があるかもしれないということでしたが、今回の調査は上部だけのことでした。
また、「長者原窯跡群」から約2キロ西にある「石坂窯跡群」では、同様な窯跡が3基見つかっています。同じ職工集団だったと思われています。こちらでは、とても珍しい土器が発見されました。それは「風字硯(ふうじけん)」というものの一部です。上級役人が使用したものと考えられる硯のことです。これは、近くに「大宰府」という九州を統治する役所があり、そこの役人に供給されたのかもしれませんね。残念ながら、こちらの窯跡群は埋め戻されています。
この「牛頸窯跡群」で生産された須恵器は、当時の九州最大の都市でであり役所であった「大宰府」や筑前国一体に供給されたと考えられています。
今回の発掘現場は、いつも散策している場所で、須恵器のかけらをよく見かけていました。まさか、その道沿いの約50㎝下に窯跡が埋まっているとは思いもしませんでした。
ところで、2019年度の「泉飛鳥儒」のブログは、これが最後となります。拙いブログを見ていただき、ありがとうございました! 泉飛鳥塾(ブログ)をはじめて7年目となりますが、今年度はじめて「いいね!」をいただきました。
ありがとうございました。とても、嬉しかったです!2020年の2月頃には、久しぶりに博多の地を離れて「飛鳥」に戻る予定です。今まで以上に、「飛鳥」等の魅力を発信していきたいと思っています。どうぞ、宜しくお願い致します。
「2020年、皆様にとって良い年でありますように!」