泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

河内三太子(かわちさんたいし)三番目の寺院 「上(かみ)の太子・叡福寺(えいふくじ)」

2017年05月28日 21時21分32秒 | 歴史

大阪府南河内郡太子町にある「叡福寺(えいふくじ)」は、推古天皇が「聖徳太子」の墓を守護するために建立されたお寺です。
戦国時代には、織田信長の兵火で焼失しましたが、江戸時代に豊臣秀頼によって聖霊殿が再建され、次第に伽藍の復興が図られました。
毎年4月11日、12日の大乗会式には「太子まいり」として多くの人でにぎわいます。

今回は、河内三太子(かわちさんたいし)の三番目の寺院「上(かみ)の太子・叡福寺(えいふくじ)」について、紹介したいと思います。

大阪府と奈良県との府県境近く、太子町の竹内(たけのうち)街道沿いに立つ「叡福寺」は、「聖徳太子」の御陵のある寺院として広く知られています。日本の古代史に偉大な足跡を残した「聖徳太子」に対する信仰は、すでに奈良時代から認められますが、鎌倉時代にも親鸞、叡尊、日蓮、一遍といった高僧が「叡福寺」に参詣しました。

以後、「叡福寺」は四天王寺とともに、大阪における太子信仰の拠点寺院として繁栄してきました。

「聖徳太子」は、推古天皇の摂政として十七条憲法や冠位十二階の制定、遣隋使の派遣など進んだ政治制度や文化を取り入れ、政治改革を図った「聖徳太子」の知名度は抜群に高いです。

『日本書紀』によると、621年2月5日の夜半「聖徳太子」は斑鳩の宮に薨去され、その月のうちに磯長(しなが)廟に葬ったと伝えられています。

また寺伝では、「聖徳太子」は生前にこの地に廟を造ることに決め、620年に墓所を造営したとされているようです。

621年に、太子の母・穴穂部間人大后が死去したのでこの墓に埋葬しされました。更に622年2月には、大后の眠る廟に太子と前日に亡くなった妃の膳部大郎女が合葬されました。

こうして三人の棺がこの御廟に納められたので、「三骨一廟」と呼ばれるようになったようです。

南大門をくぐると、正面に聖徳太子御廟が見えます。南大門と御廟を結ぶ中心線の西側に、手前から多宝塔、金堂、精霊院が並びます。中心線の東側には客殿と念仏堂が建っています。これらの伽藍のうち精霊院と多宝塔は、昭和52年に国の重要文化財に指定されました。

御廟の周囲には、二重の石列が巡らされています。これは弘法大師が築いたと言われる聖地と俗界をへだてる結界石で490本もあるとされ、全てに観音の梵字が刻まれています。

河内三太子(かわちさんたいし)の歴史散策は、古代の歴史がお好きな方はお勧めです。歴史のロマンが感じられる、河内三太子(かわちさんたいし)でした!

                            

 

 

 

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聖徳太子ゆかりの寺院 「河内三太子(かわちさんたいし)」(野中寺・中の太子)

2017年05月25日 21時09分28秒 | 歴史

大阪府羽曳野市にある「野中寺(やちゅうじ)」は、「聖徳太子」ゆかりの寺院であり「河内三太子(かわちさんたいし)」と称される寺院の一つです。

このお寺は、この地域を支配していた王辰爾を祖とする船・津・白猪らの百済系渡来氏族で、 その中でも有力であった船氏が、一族の繁栄と守護を願って650年頃建立したと推定 されている古刹です。

今回は、聖徳太子ゆかりの寺院「河内三太子(かわちさんたいし)」(野中寺・中の太子)について紹介したいと思います。

「野中寺(やちゅうじ)」は、聖徳太子と蘇我馬子の建立と伝えられ「中の太子」と呼ばれています。

境内には、塔や金堂など飛鳥時代の伽藍の跡が残っており、国指定の史跡になっています。方丈や勧学院(府指定文化財)などは、江戸時代に律宗の学問所が設けられたときの建物です。

このお寺には、白鳳期の弥勒菩薩半跏像(重要文化財)・鎌倉時代の地蔵菩薩立像(重要文化財)のほか、ヒチンジョ池西古墳石棺(府指定文化財)や歌舞伎・浄瑠璃の演目「お染久松」の主人公である、お染・久松の墓など見所がたくさんあります。境内庭園のサザンカは府の天然記念物に指定されています。

このお寺の見所は何と言っても、「塔心礎」です。基壇の中央に心礎を置き、その四方に12個の礎石を配しており、他の寺院の塔に見られる四天柱礎は存在しなかったようです。

「塔心礎」は、径71cmの円孔があり、その周囲に半円形の支柱孔を三つもち、上面に亀の彫刻が認められます。円孔の内側には方形の舎利孔があり、塔跡の調査で「庚戌年正月」の記念名平瓦が出土しているので、650年頃には塔が設立されていたことがわかりました。

残されている「塔心礎」の円孔の形が、明日香村にある「橘寺」に残る塔心礎円孔にそっくりなので驚きでした。また、亀の彫刻が、とても素晴らしかったです。

「野中寺」は、聖徳太子建立48寺院の一つとされています。朱塗りの仁王門を入った境内には、かつての大伽藍の礎石が残っています。

飛鳥時代のロマンを感じることができる「寺院」でした! 

                                

 

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聖徳太子ゆかりの寺院 「河内三太子」(大聖勝軍寺・下の太子)

2017年05月22日 20時14分13秒 | 歴史

「聖徳太子」ゆかりの寺院であり「河内三太子(かわちさんたいし)」と称される、「叡福寺(えいふくじ)」〔大阪府南河内郡太子町〕・「野中寺(やちゅうじ)」〔同府羽曳野市〕・「大聖勝軍寺(たいせいしょうぐんじ)」〔同府八尾市〕の三つお寺があります。「叡福寺」を含めた3ヶ寺は「河内三太子」と称され、叡福寺が「上(かみ)の太子」、野中寺が「中(なか)の太子」、大聖勝軍寺が「下(しも)の太子」として親しまれ、太子を慕う多くの参拝者を集めてきました。

今回は、聖徳太子ゆかりの寺院「河内三太子」について、数回にわたって紹介したいと思います。

大阪府と奈良県との府県境近く、太子町の竹内(たけのうち)街道沿いに立つ「叡福寺」は、聖徳太子の御陵のある寺院として広く知られています。日本の古代史に偉大な足跡を残した「聖徳太子」に対する信仰は、すでに奈良時代から認められますが、鎌倉時代にも親鸞、叡尊、日蓮、一遍といった高僧が「叡福寺」に参詣し、以後叡福寺は四天王寺とともに、大阪における太子信仰の拠点寺院として繁栄してきました。

一方、羽曳野市に伽藍(がらん)を構える「野中寺」は、聖徳太子の発願(ほつがん)、蘇我馬子の建立と伝えられています。

また、八尾市の「大聖勝軍寺」は、太子が蘇我氏とともに物部氏と戦った合戦場に立ち、ともに太子ゆかりの名刹(めいさつ)として知られています。

〇「大聖勝軍寺」

「大聖勝軍寺」は、大阪府八尾市太子堂にあります。蘇我馬子が物部守屋を滅ぼした587年の丁未(ていび)の乱の古戦場跡に、聖徳太子が 建立したと伝えられる寺院です。

一帯は、物部守屋の阿都の家があったと見られる地域で、寺伝には、四天王寺と同じく丁未の乱からまもなく創建したとされます。聖徳太子自身が本尊とされています。

門前には「仏法元始 聖徳太子古戦場」の碑や、討たれた物部守屋の首を洗ったという「守屋池」や「神妙椋樹」があります。「神妙椋樹」は、中世以降の太子伝では有名なエピソードで、聖徳太子に敵が迫ったとき、椋の幹が開き、太子はその中に隠れて助かったとされています。

近辺には、物部守屋の墓をはじめ鏑矢塚・弓代塚などがあります。他にも、歴史的な場所が数多くあり、古代の歴史を好きな方には是非、歴史散策をお勧めします!

                        

 

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山一面がレッドカーペッドがひかれたような 「葛城山のツツジ」

2017年05月16日 15時03分06秒 | 散歩

奈良県御所市の葛城山(かつらぎさん)では、5月になると見事な彩りのツツジを楽しむことができます。今丁度満開で、見頃です。多分、今週いっぱいが見頃だと思われます。

今回は、山一面がレッドカーペッドがひかれたような「葛城山のツツジ」を紹介したいと思います。

葛城山(かつらぎさん)は、奈良県御所市(ごせし)と大阪府南河内郡(みなみかわちぐん)との境にある山です。標高は959.2mで、正式名称を「大和葛城山」と言います。

この葛城山の山頂付近の葛城高原は、ツツジが群生していることで有名です。

特に、「一目百万本」と言われる葛城山のツツジの景色は絶景です。 満開時期に見られる真っ赤に染まった姿は 、まるで山一面がレッドカーペッドがひかれたような景色です。

2年ぶりに「葛城山のツツジ」を見に行ったのですが、丁度満開で、この時期にしか 味わえない絶景の景色を見ることが出来ました。自然の恵みを見れて、幸せなひと時でした!

                               

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新緑に映える 「飛鳥の春」

2017年05月13日 11時26分50秒 | 散歩

奈良県明日香村は、7世紀に中央集権律令国家の誕生の地であることから、飛鳥時代の宮殿や史跡が多く発掘されていることで知られています。

今、飛鳥は新緑がとても綺麗です。

今回は、新緑に映える「飛鳥の春」の風景を紹介したいと思います。

明日香村は日本で唯一、村全域が「古都保存法」対象地域です。また、「明日香村特別措置法」によって、村内全域が歴史的風土保存の対象となっています。

法律や村民の方の長い間の管理・保存のおかげで、「日本の原風景」がそのまま残っており、「日本の心の故郷」とも呼ばれたりもします。

飛鳥時代の遺跡・飛鳥川のせせらぎの音・レンゲ畑でのヒバリのさえずり等を聴きながら新緑に映える飛鳥の散策は、とても心も体も癒されます!

                      

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