泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

古代の防衛最前線 「水城」

2015年03月31日 15時53分42秒 | 歴史

7世紀は、東アジア動乱の時代でした。660年に、唐・新羅の連合軍による百済の滅亡が決定的となると、倭(日本)は直ちに百済へ救援軍を派遣しました。

しかし、663年、白村江の海戦で惨敗を喫しました。これにより唐・新羅の本土侵攻が予想されたため、「大宰府」周辺は国防の最前線に位置づけられることとなりました。

「日本書紀」によると、664年に「水城」を築いて「大宰府」と博多湾側の平野を断ち、665年には、「大野城・基い城」の二城を築いたと記されています。

「水城」(太宰府市・大野城市)は、福岡平野の南端にあって、平野部が最も狭小となる地点をふさぐように築かれた人工の堤です。規模は長さ1,2km、基礎部の幅80m、高さは10m、全てが人工の盛土からなっています。

「日本書紀」には、「大堤を築きて水を貯えしむ」と記され、発掘調査の結果、博多側に幅60mの濠が確認されました。その他、東西二箇所の門や堤の内側から外側の濠へ導水する巨大な木樋(もくひ)が確認されました。また、近くには「小水城」(春日市・大野城市)と呼ばれる堤も見ることができます。

今回は、古代の防衛最前線である「水城」を紹介したいと思います。

「水城」の上に立ってみると、古代の人々の悲壮なる思いが伝わってきそうな感覚に陥りそうでした!

                          

 

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飛鳥の 「四季の風景(秋・冬)」

2015年03月23日 17時10分19秒 | 散歩

飛鳥の「四季の風景(春・夏)」に続き、「秋・冬」を紹介したいと思います。

「秋」は、奥飛鳥と呼ばれる「稲渕」の黄金色に輝く棚田や彼岸花、「栢森・入谷」の幻想的な景色、飛鳥川沿いの紅葉がとても印象的でした。

「冬」は、殆ど雪が降らないのですが、1~2回積もった時がありました。雪景色の「飛鳥」も素晴らしく、雪化粧の石舞台や岡寺・甘樫丘が見事でした。

間もなく、飛鳥の「桜」を見ることができます。

今年も、カメラを手に散策したいと思っています。一体どの様な景色に出会えるのでしょうか、とても楽しみです!

                  

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飛鳥の 「四季の風景(春・夏)」

2015年03月12日 20時17分57秒 | 散歩

奈良県明日香村で住んで2年目になります。いままで、撮りためていた飛鳥の「四季の風景」の中から、今回は、「春と夏」の風景を紹介したいと思います。

四季の中で、特に「春」がとても好きです。細川谷の水田に夕焼けが映える景色、飛鳥川沿いや甘樫丘・石舞台の「桜」がとても印象的でした。「夏」は、稲渕の棚田の風景が見事でした。

色々な彩色を見せてくれる「飛鳥」。今年も、どの様な景色がみれるか楽しみです!

                                    

 

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大宰府 「梅花の宴」

2015年03月08日 19時35分12秒 | 散歩

    「わが苑に梅の花散る久方の 天より雪の流れ来るかも(大伴旅人)

730年正月一三日(新暦では、2月8日)、大宰府政庁の帥(そち)であった「大伴旅人」が官邸において催した「梅」を題にした歌会を、「梅花の宴」と呼ばれています。

今回は、「梅」が満開の「大宰府政庁跡」や「歴史の道」、そして学問の神様である「菅原道真公」を祀っている、「太宰府天満宮」を散策してきました。

「菅原道真公」は都の邸を発つとき、庭の「梅」にむかって「東風ふかばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」とおっしゃいました。その「梅」は道真公のあとを慕って「大宰府」まで飛んできました。今も、道真公の御墓所近くに咲いて、境内のどの「梅」よりも早く道真公に春をつげています。この「梅」を、「飛梅」と呼んでいます。

「旅人」と呼ばれる列車で連れていってくれる「大宰府」は、今「梅の花と香り」でいっぱいです! 

                                     

 

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飛鳥の 「阿部山・栗原・大根田」散策

2015年03月05日 20時38分10秒 | 散歩

今回は、久しぶりに明日香村の集落を散策しました。

散策した集落は、キトラ古墳(国特別史跡)がある「阿部山」と、「日本書記」・「古事記」に、雄略天皇の代に渡来した呉人を定住させたと記されている「栗原」や、隣の集落の「大根田」を撮ってきました。

「阿部山」にあるキトラ古墳は、高松塚古墳からは、南へ1キロほどに位置し、2段築成の壁画のある古墳です。

現在は、周辺が整備され古墳を保護するための覆屋がとられていました。

「栗原」には、呉原寺跡があります。渡来系氏族の呉原氏の氏寺といわれ、700年に僧「道昭」が、日本で初めて火葬にされた場所ともいわれている所です。

「大根田」は、「栗原」と「阿部山」の間に位置する集落で、このあたりも渡来系の人々が住んだ所なのでしょうか。まるで、時が止まったような散策でした!

                             

 

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