泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

私が好きな 「飛鳥の風景2016」

2016年12月30日 18時05分53秒 | 散歩

「采女の袖吹きかえす明日香風 京を遠みいたずらに吹く」(志貴皇子)

都が藤原京に移った後、故郷の明日香を偲んで詠んだ歌です。

明日香村は、日本の始まりの地であり、飛鳥時代の宮殿や史跡が多く発掘されていることでも知られます。そのため、「日本人の心の故郷」とも呼ばれています。

飛鳥に住み始めて4年目になりますが、毎日飛鳥の風景に癒されています。2016年が終わるにあたって、私が好きな「飛鳥の風景2016」を紹介したいと思います。

2017年も、飛鳥の風景等を紹介したいと思っています。皆様にとって、2017年が良い年になりますように!

                                         

      

 



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世界遺産の国内暫定リストに追加された 「古市古墳群」

2016年12月23日 14時12分57秒 | 歴史

大阪平野の南東部、現在の藤井寺市と羽曳野市にまたがる東西約4km、南北約4kmの範囲の中に、たくさんの古墳が集中して存在する場所があります。

この古墳の集まりを「古市古墳群」と呼んでいます。

今回は、2008年に大仙陵古墳(仁徳天皇陵)を含む「百舌鳥古墳群」とともに、世界遺産の国内暫定リストに追加された「古市古墳群」を紹介したいと思います。

(行程)

 近鉄土師ノ里駅ー栗塚古墳ー市ノ山古墳(伝允恭陵)ー国府遺跡ー仲津山古墳(伝仲津姫陵)ー道明寺・道明寺天満宮ー古室山古墳ー誉田御廟山古墳(伝応神陵)

誉田八幡宮ー野中古墳ー墓山古墳ー向墓山古墳ー前ノ山古墳(白鳥陵)ー近鉄古市駅


古市古墳群」は、東西約2.5キロ、南北4キロの範囲内に、誉田御廟山古墳(伝応神陵)など墳丘長200メートル以上の大型前方後円墳6基を含む、123基(現存87基)の古墳で

構成される古墳群です。いずれも標高24メートル以上の台地や丘陵上にあります。

北部の誉田御廟山古墳(伝応神陵)・仲津山古墳(伝仲津姫陵)・市ノ山古墳(伝允恭陵)・岡ミンザイ古墳(伝仲哀陵)などの古い古墳群と南方の前ノ山古墳(白鳥陵)を中心とする

前方部の著しく発達した西向きの新しい一群とに分けられるようです。古墳造営には豪族の土師氏などが関与していたと考えられています。

これらの古墳は、今までの調査・研究によって、4世紀後半から6世紀前半にかけての約180年間に造られたことがわかっています。

 

「古市古墳群」には、大型の前方後円墳が多く、墳丘長100m以上の前方後円墳が15基あります。そのうち、墳丘長200m以上の巨大な前方後円墳が7基もあります。

これは、「古市古墳群」の最大の特徴です

今回の歴史散策で驚いたことは、近鉄土師ノ里駅に降りると、すぐ目の前には立派な古墳を見ることができます。また、高速道路の下に古墳があったり、マンションや

の横に古墳があったりして驚くばかりでした!

今回は、古市古墳群」の半分位しか見ることができませんでした。また、残り半分を歴史散策したいと思っています。

それにしても、どうしてこの場所にこんなに数多くの古墳が造られたのでしょうか・・・

                                                              

 


 

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古代を歩く 「粟原寺・白山神社・十二柱神社・宗像神社・桜井茶臼山古墳」

2016年12月16日 16時25分50秒 | 歴史

奈良県桜井市はヤマト王権発祥の地です。市内には沢山の名所・旧蹟が残されています。そんな桜井の魅力を全国発信するため2013年に「大和さくらい100選」を、市内にある記紀・万葉ゆかりの地やビューポイントから一般公募し、100選が選ばれました。

今回は、「大和さくらい100選」の中から 「粟原寺・白山神社・十二柱神社・宗像神社・桜井茶臼山古墳」を紹介したいと思います 。

〇粟原寺(おおばらでら)・・・奈良県桜井市粟原にかつてあった寺です。創立は7世紀末にさかのぼります。現在は廃寺となり建物などは残っていませんが、寺の跡は「粟原寺跡」として国の史跡に指定されています。大宇陀から女寄峠を越えて桜井に抜ける忍阪街道の中ほどの丘陵地に粟原の集落があり、その南の端に天満神社があります。寺はその裏手に隣接した高台にあります。発掘調査が行われていないため、伽藍の規模や配置など詳しいことは不明です。

現在は、塔跡に心礎や礎石などが確認できるほか、東側の一段低くなった場所にも礎石が並べられています。ただし東側の礎石は元からこの場所にあったのではなく、塔跡の西側にある十三重石塔が建てられているあたりから運ばれたと見られています。石塔が建てられている場所は通称「コンドー」と呼ばれていて礎石もいくつか確認でき、ここに金堂があったと考えられています。

談山神社が所蔵する「粟原寺三重塔伏鉢」(国宝)に刻まれた銘文によって、寺の由緒がはっきりとしています。この伏鉢は古代の金石文の重要な資料として国宝に指定されるとともに、寺跡も史跡に指定されました。銘文によると、仲臣朝臣大嶋が草壁皇子を忍び寺の設立を発願しました。大嶋の死後、比賣朝臣額田によって、694年に起工し金堂と丈六の釈迦像が造られ、22年後の715年に三重塔が完成したと記されています。大嶋は文献でも名前が確認できる人物ですが、比賣朝臣額田に関してはいっさい不明であり、一部に飛鳥時代の歌人・額田王ではないかとする説も出されているようです。飛鳥時代に、忍阪街道の中ほどの丘陵地の地に、これほど立派なお寺があったとは思いもしませんでした。

            

 〇白山神社・・・桜井市黒崎(字宮の本)にある白山神社は、第21代雄略天皇「泊瀬朝倉宮」伝承地とされ、雄略天皇がこの近くで詠んだ歌が万葉集にのっています。
境内には保田與重郎が建立した記念碑『萬葉集發燿讃仰碑』が建ちます。長谷寺に行く時に、よく通る道沿いにあるとは思いませんでしたので驚きでした。

        

〇十二柱神社・・・桜井市出雲地区に鎮座する十二柱神社は、武烈天皇の「泊瀬列城宮」伝承地とされています。十二柱神社の名前は、合計で12の神様を祀ることに由来します。出雲という地名ですが、島根県の出雲との関係から国号地名ではないかと思われます。奈良県内には出雲以外にも、但馬、吉備、筑紫、長門、備後等々の国号地名が見られます。出雲という地名には、古代社会における大和との交流が偲ばれます。神代の七神とその後の地神五神を祭神とします。垂仁天皇のころ、当麻蹴速と相撲を取り、勝者となった野見宿彌の五輪塔が移されているます。出雲地区には、古い町並みが残っていました。

               

〇宗像神社・・・鳥見山の北麓、国道165号南側に鎮座します。天武天皇の御子、高市皇子が母親(胸形尼子娘)の実家の氏神である宗像三神を祀った のが始まりとされます。幕末の国学者、鈴木重胤がこの地にきて、宗像三神の衰微をなげき村民と相はかって再興に努力し、安政6年(西暦1875年)に改めて筑前の宗像本社から神霊を迎えたとされています。ここも、道路沿いにありました。

      

〇桜井茶臼山古墳・・・奈良県桜井市の市街地にある桜井茶臼山古墳は、存在感のある古墳時代前期の巨大古墳です。市の南東部に広がる鳥見山(とみやま、245m)から北へのびる一つの尾根を利用して、前方部を南に向けて築かれています。ちょうど三輪山の南の初瀬谷への入口に面した場所にあり、奈良盆地東南部から東へ抜ける昔の初瀬・伊勢街道を見下ろしています。 上空から見ると、端正な姿の柄鏡(えかがみ)の形をした前方後円墳であることが分かります。一周し、後円墳に上りました。はたして、一体誰が葬られているのでしょうか・・・

           

ヤマト王権発祥の地である桜井市は、飛鳥のすぐお隣の場所です。これからも、沢山の名所・旧蹟が残されている「大和さくらい100選」の場所を、歴史散策したいと思っています!

 

 

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多くの太子伝説が残る 「太子道(筋違道)」(後編)

2016年12月10日 16時27分33秒 | 歴史

飛鳥時代に、聖徳太子が「斑鳩の里」から「三宅の原」を経て、「飛鳥の宮」とを往来された道が「太子道(筋違道)」です。

今回は、多くの太子伝説が残る「太子道(筋違道)」(後編)を紹介したいと思います。

前回は、近鉄黒田駅の西側にある「黒田大塚古墳」から出発し、南側に向かって田原本駅までの歴史散策を紹介しました。

今回は、近鉄黒田駅から北側に向かって三宅町の屏風から伴堂・島の山古墳までを紹介したいと思います。 

(行程)

 近鉄黒田駅ー伴堂杵築神社ー三宅古墳群ー忍性菩薩御誕生之地石碑ー屏風杵築神社ー白山神社ー面塚(観世流能楽発祥の地)-島ノ山古墳-------近鉄黒田駅

「太子道」は、条里制の南北方向の地割りに斜交(北方向約20度西、南方向約20度東)している道で、別名「筋違道」とも呼ばれています。中世以降は、「法隆寺」街道とも呼ばれ、生活道路として盛んに利用され、現在も町道三宅70号線として活用されています。

今でもこの道筋には、多くの太子伝説が残されていて、今回そのいくつかを紹介したいと思います。

伝承では、「聖徳太子」は、従者の「調子丸」を従え、愛馬「黒駒」にまたがって、斑鳩から飛鳥の小墾田宮まで、「筋違道」を通って毎日通われたといわれています。

「太子道」の途中に「屏風(びょうぶ)」という場所があります。その地名は、「聖徳太子」が「太子道」を往復する際にここで休憩したとき、村人が屏風を立てて風を防ぎ、食事などの接待したとの故事に由来します。「太子」が休息した場所は「白山神社」になっていて、その境内には「駒つなぎの柳」や太子が休憩をとられた「腰掛石(こしかけいし)」が今も残っています。また、橿原市の新口(にのくち)の地名は、太子が途中で喉が渇き、井戸の水を飲まれて「口中これ新なり」と云われたことに由来するそうです。

また、「太子道」沿いには弥生遺跡や古墳時代に始まる遺跡も多いようです。三宅町~田原本町にかけての地域には多くの古墳が残っています。今回、5世紀後半に築造された三宅古墳群を見学しました。残念ながら、現在、畑等に利用されていて看板がないと、なかなか古墳だとわからないような状態でした。

ただ、「島ノ山古墳」のように全長195mの規模を持つ立派な大型前方後円墳もあり、楽しみながら歴史散策することが出来ました。

今回は、何度も「太子道」を歩かれた方の紹介の本「太子道を往く(岡本精一著)」を参考にしながら、黒田駅を出発点に2回に分けて歴史散策しました。近鉄黒田駅前の道が「太子道(筋違道)」ですので、とてもわかりやすく散策しやすかったです。

「太子道(筋違道)」には、多くの太子伝説が残っていて、とても楽しく歴史散策が出来ました! 次は、どこを散策しようかな・・・

                                                            

 

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多くの太子伝説が残る 「太子道(筋違道)」(前編)

2016年12月06日 13時24分49秒 | 歴史

飛鳥時代に、聖徳太子が「斑鳩の里」から「三宅の原」を経て、「飛鳥の宮」とを往来された道が「太子道(筋違道)」です。

以前から、是非歩いてみたい古道の一つでした。今回、田原本町観光ボランティアガイドの方の案内で、「太子道(筋違道)」を歴史散策しました。

今回は、多くの太子伝説が残る「太子道(筋違道)」を2回に分けて紹介したいと思います。 

(行程)

  近鉄黒田駅ー黒田大塚古墳ー黒田法楽寺ー孝霊神社ー太子道ー宮古(薬師堂)-保津(環濠集落)-薬王寺(楠の巨樹)-蓮休寺ー近鉄西田原本駅

「太子道(筋違道)」として知られる古道の一つに、斑鳩(いかるが)と飛鳥(あすか)の間を短距離で結ぶように造られた直線道路があります。7世紀前半以前に建設されたものと推定されています。

北北西に約20度傾いた斜行道路で、現在この道は、北は斑鳩町高安から下ツ道と合う橿原市新ノ口付近に至る約13.5kmが道路や畦道として残っています。

今回は、近鉄黒田駅の西側にある「黒田大塚古墳」から出発し、南側に向かって田原本駅まで約4キロほど歴史散策しました。

「聖徳太子」がこの道を利用して飛鳥と斑鳩を往復したという伝承があり、そのために「太子道」の名で親しまれています。この道路は、条里制の南北方向の地割りに斜交(北方向約20度西、南方向約20度東)している道で、別名「筋違道」とも呼ばれています。中世以降は、「法隆寺」街道とも呼ばれ、生活道路として盛んに利用され、現在も町道三宅70号線として活用されています。

「太子道」は、現在の生駒郡斑鳩町の高安付近から東南に延びていました。近鉄黒田駅を通り、田原本町の矢部付近で南北に走る矢継街道にはいり、橿原市八木町から飛鳥川の堤を高市郡明日香村に向かっていました。今も三宅町の屏風から伴堂を経て田原本町の宮古まで、太子道の一部が約3kmほど生活道路としてはっきりと残っています。

「太子道(筋違道)」沿いには、太子伝説が数多く残っており、田原本町観光ボランティアガイドさんの詳しい説明のおかげで、大変興味深く歴史散策をすることができました。

特に、宮古の集落で大切にされている「薬師堂」の平安時代初期の「薬師如来坐像」(重要文化財)が素晴らしかったです!

わざわざこの日のために、集落の方が、お堂を開けて頂きました。とても嬉しく思いました。

次回は、近鉄黒田駅から北側に向かって三宅町の屏風から伴堂・島の山古墳までを紹介したいと思います。

                                                               

 

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