泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

私が好きな「飛鳥の四季景色(冬~秋)・2021」

2021年12月25日 18時15分32秒 | 散歩

いよいよあと数日で、2020年も終わろうしています。

2021年最後の「泉飛鳥塾」のブログは、私が好きな「飛鳥の四季景色(冬~秋)・2021」を紹介したいと思います。

2021年も、毎日のようにカメラを持って大好きな飛鳥を散策しました。

私が住む明日香村は、奈良県の中央部付近に位置する人口約5500人が住む小さな村です。村内には、飛鳥時代の宮殿や史跡が多く発掘されていることで知られ、「日本人の心の故郷」とも言われています。

飛鳥は、歴史はもちろんですが、「日本の原風景」がいたる所でみられます。散策していると、四季の変化を肌で感じられる素敵な所です。今回紹介するのは、2021年の1月から12月までに、散策しながら撮った風景写真です。

2022年も、素敵な飛鳥の景色に出会えることを楽しみにしています!

〇冬景色

明日香村に、1月12日と2月27日に雪が降り積もりました。なかなか見ることがない、雪景色を見ることができました。

 

   

〇春景色

石舞台古墳周辺や奥飛鳥の桜がとても綺麗でした。また、飛鳥川沿いの桃花や八釣の里の景色は、春の訪れを感じられるような風景でした。

   

〇夏景色

稲渕地区の棚田や真神原に咲く蓮花・坂田の棚田の夕焼けがとても美しかったです。まさに、日本の原風景です。

    

〇秋景色

黄金色した坂田・稲渕地区の棚田や飛鳥寺周辺に咲く彼岸花が見事でした。稲の収穫後、天日干しされた景色は、とても懐かしい風景でした。また、中尾山古墳周辺の紅葉がとても綺麗でした。

   

2021年も、コロナで始まりコロナで終わる年でした。

2022年は、一刻も早くコロナが終息し平常の生活に戻ることを願っています。

2021年の「泉飛鳥塾」のブログは、これが最後となります。拙いブログを見ていただき、ありがとうございました!

2022年も、「飛鳥」の魅力や小さな旅で出会った風景等を発信していきたいと思っています。

どうぞ、宜しくお願い致します。  

  「2022年、皆様にとって良い年でありますように!」

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中世の大和豪族「越智氏」の跡(後)

2021年12月21日 17時08分59秒 | 歴史
奈良県高取町越智には、中世の大和豪族「越智氏」に関わる跡が残っています。
前回(2021年9月3日)は、中世の大和豪族「越智氏」の跡(前)では、越智氏(おちし)(中世の豪族)の「館跡」や「貝吹城」(越智氏の詰城)を紹介しました。

今回は、「越智氏」の跡として「光雲寺」(越智氏の墓所)や「有南神社」(越智氏の祖を祀った社)を紹介したいと思います。

「越智氏」は、中世では十市氏・箸尾氏・筒井氏と並び「大和四家」と呼ばれていました。越智維通の代に「多武峯の戦い」に敗れて衰退しましたが、維通の子である越智家栄は河内守護・畠山氏の支援により再興し、筒井氏を圧倒するほど勢力を回復しています。しかし織田信長の勢力が大和に及ぶようになると降伏しました。

〇光雲寺(越智氏の墓所)

南北朝時代初期の1346年に「興雲寺」と称し、越智氏の菩提寺として建立されたのが始まりです。その後、室町初期の文安3(1446)年に復興開基されて繁栄するも、天正年間に越智氏の没落で衰退したようです。1698年に再興してからは寺号を「光雲寺」と改めました。本堂は県の重文に指定されており、山門前には樹齢1000年近い厄除け杉がそびえています。この杉にも、話が残っています。お堂の近くには、越智一族のお墓もありました。また、三大山城のひとつである「高取城」の瓦も見ることができました。

「光雲寺」は、越智集落の南に位置しています。歩きながら探していると、丘陵の麓にありました。丁度参拝したとき、住職さんに色々と説明をしていただきました。静かな環境にある禅宗のお堂は、とても心が落ち着く感じでした。

いつも、この近くを通っていたのですが全く知りませんでした。歴史がお好きな方は、お薦めのスポットです!

           

〇有南神社(越智氏の祖を祀った社)
中世に当地一帯を支配した越智氏が、祖である親家を祀った社です。諸説あるものの越智氏は、源頼親(源満仲の次男)の末裔とされ、また大和国高市郡の越智氏はその子孫である親家の後裔とされます。
「光雲寺」から徒歩約5分位の所にあり集落を通りぬけた、丘陵にありました。
現在は、この集落の氏神様として大切にされていると思われます。綺麗に、整備されていました。
今回の中世の大和豪族「越智氏」の歴史散策は、大変興味深い散策となりました!
       
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奥飛鳥の「晩秋の風景・2021」

2021年12月10日 17時42分55秒 | 散歩

季節的には初冬ですが、飛鳥はまだ、晩秋の景色を見ることが出来ます。

特に、奥飛鳥と呼ばれている風景は、「日本の原風景」そのもののように感じます。

今回は、奥飛鳥の「晩秋の風景・2021」を紹介したいと思います。

今回紹介するのは、奈良県明日香村稲渕地区の景色です。奥飛鳥とは、明日香村稲渕・栢森・入谷大字の全域と阪田・祝戸大字の一部です。

この地域は、国の重要文化的景観「奥飛鳥の文化的景観」として平成23年に選定されました。

また、棚田百選・日本のむら百選・日本の里百選にも選定されています。

稲渕地区は、中世(平安~室町時代)に開墾されました。稲渕の棚田は、300枚あまりの水田と畑により形作られ、明日香村の美しい歴史的景観の一部となっており、農村の原風景を色濃く残しています。

棚田周辺に遊歩道が整備されており約4km位ですが、高低差も少なくのんびりと歩くことが出来ます。

奥飛鳥は、私の大好きな場所の一つで、お薦めのスポットです!

                            

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飛鳥京跡苑池「現地説明会・2021」

2021年12月05日 19時52分16秒 | 歴史

国内初の本格庭園とされる奈良県明日香村の「飛鳥京跡苑池(えんち)」(国史跡・名勝、7世紀)の現地説明会が、12月4・5日(10:00~15:00)に行われました。多くの歴史好きの方が来られ、飛鳥時代の庭園遺構を見られていました。

今回は、飛鳥京跡苑池「現地説明会・2021」を紹介したいと思います。

今回の発掘調査で、南北二つの池のうち北池の排水構造が明らかになったようです。これまで発見された池と合わせて、国内初とされる本格的な宮廷庭園主要部の全容がほぼ明らかになりました。

苑池は7世紀中ごろ、「斉明天皇」の時代に造営が始まり、のちの「天武天皇」の時代(7世紀後半以降)に大幅に改修されたと考えられています。当時の天皇の皇居である飛鳥宮跡の北西に隣接しています。

南北約280メートル、東西約100メートルの範囲に、庭園の中心となる北池(南北約52メートル、東西約36メートル)と南池(南北約53メートル、東西約63メートル)の二つの池があります。

北池は、水に関連した祭礼に用いる「流水施設」があったと推定されます。五角形の南池は池内に中島があり、高床式の「水上舞台」もあったとされます。

今回、発掘が行われたのは北池の一部で、新たに両側に石を積み上げた幅約6メートルの水路が見つかりました。水路は、池からあふれた水を川へ流すためのものとみられ、これまでの調査結果から少なくとも100メートルは北へ続いていると考えられている。水路のそばでは、湧き出る水を使った祭祀が行われたとみられていて、発掘を行った奈良県立橿原考古学研究所では「池の構造や変遷などをかなり明らかにすることができた」としています。今回は、土器や木簡も出土したようです。

北池とは、小さな石組みの溝(長さ約14メートル、幅約60センチ)で連結し、溝を流れてきた池の水は約1・5メートルの高低差を利用して滝のように水路に流れ落ちる構造だったようです。水路は、全長100メートル以上で、近くの飛鳥川に通じていたと推定されています。

平成11年から20年以上にわたって続けられた飛鳥京跡苑池の調査は終了し、奈良県は令和6年の世界遺産登録に向けた復元、整備を始める予定です。とても、楽しみにしています。

いつも散歩の途中に、発掘の様子を道すがら見学していました。何もない野原と思った所から、約1350年程前の飛鳥時代の宮廷庭園の遺構を見ることができ、大変感激しました。飛鳥は、凄い!

                   

 

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