泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

飛鳥時代の国営工房 「飛鳥池遺跡」

2015年06月26日 12時00分40秒 | 歴史

「飛鳥池遺跡」は、北をは飛鳥寺に隣接し、南側は天武天皇の飛鳥浄御原宮に近接するという、飛鳥の中心に位置する所です。

「酒船石遺跡」のある丘陵と飛鳥寺瓦窯のある丘陵との間にあった所です。

ここは、飛鳥時代(7世紀後半~8世紀初頭)、天皇の宮廷生活や寺院の造営などの国家の要請を、物資面から支えた古代の国営工場でした。

1997年に、奈良県立万葉文化館建設に伴う事前調査により、「飛鳥池遺跡」が発見されました。

「飛鳥池遺跡」の構造は、東西の丘陵の間が最も狭まった所に設けられた掘立柱塀によって、南半部と北半部に分けられていたようです。

「南半部」は、掘立柱建物や多数の炉が設けられた工房地区で、鉄・銅を鋳造する工房や金・銀・ガラス・水晶などを加工する工房があったようです。また、日本最古の鋳造貨幣「富本銭」が発見されました。万葉文化館の地下の展示物コーナーで復元されたものを見ることができます。                  

「北半部」は、官衙風の大規模建築物や導水路・方形池などが設けられた工房群の管理地区だったようです。南半部の工房から出る水は北半部に入り、北半部の溝や池で廃棄物を沈澱させてから域外に排出する仕組みになっていたようです。現在、遺跡が復元されています。また、この場所から8000点にも及ぶ木簡が出土しており、天皇号成立で話題となった「天皇」の名を記した木簡なども発見されました。

                  

 

 

 

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御所の 「巨勢(こせ)の道」

2015年06月22日 17時24分28秒 | 歴史

奈良県御所市の「秋津洲(あきつしま)の道」に引き続き、今回は、「巨勢(こせ)の道」を紹介したいと思います。

「谷間の川筋」を意味する「コ」(川)・「セ」(瀬)から転じた「巨勢」の地には、古代豪族である「巨勢氏」が誕生した地です。この地には、大規模な寺院跡である巨勢寺跡や有力者を埋葬したとみられる古墳等が見られます。

・「巨勢寺跡」 聖徳太子創建の伝承を持つ寺院跡です。「日本書紀」にも寺名がみえる古代豪族「巨勢氏」の氏寺で、法隆寺式の大伽藍があったと推定されています。古道を通り過ぎ、畑の中に、1個の礎石と大日堂という小さなお堂があるだけでした。かって古代豪族の氏寺跡かと思うと、とても感慨深かったです。

      

・「安楽寺(安楽寺塔婆)」 鎌倉時代の創建とされる境内に、大日堂と呼ばれる三重塔の初層が残っている「安楽寺塔婆」として重要文化財に指定されています。「安楽寺」の位置する稲宿地区は、かっての街道筋にあたり、多くの人々で賑わった場所です。静かな集落の奥に、「安楽寺塔婆」を見ることができました。

     

・「新宮山古墳」 巨勢山古墳群のなかの一つで、丘陵に築かれた6世紀中ごろの円墳です。開口していて、石棺を見ることができます。「安楽寺塔婆」の近くにあります。民家の近くにある古墳ですが、見応えがありました。

          

・「水泥(みどろ)古墳」 吉野口駅から歩いていく途中の、水泥の集落の中にあります。7紀頃の古墳で南北2基あり、南の古墳は、「水泥南古墳」と呼ばれ横穴式石室を有する円墳です。開口していて、家形石棺を見ることができます。この石棺のふた石の突起には、蓮華文様が浮き彫りされており、仏教的要素を取り入れたもので、とても珍しい形をしています。「水泥北古墳」は、個人の宅地内にあり見ることができませんでした。この珍しい石棺の被葬者は、一体誰なのでしょうか? 

   

・「権現堂古墳」 吉野口駅から、丘陵地帯にのぼっていく途中の「天安川神社」の境内にある古墳です。円墳で古墳時代後期のもので、巨勢氏の首長とみられています。石棺内部の石枕が、刳り抜かれている珍しい造りをしています。残念ながら、保存状態があまりよくなく、よく見ることができませんでした。     

・「阿吽(あうん)寺」 聖徳太子建立の巨勢寺の子院の一つで、「万葉集」に詠まれた「つらつら椿」の寺です。山号は、「玉椿山(ぎょくちんざん)」と呼ばれています。寺名は、洪水の際に村人を救った「阿吽法師」にちなんでつけられたそうです。道路沿いにあるお寺ですが、境内はとても静かでした。    

今回は、「秋津洲(あきつしま)の道」とはひと味趣きの違った、「巨勢(こせ)の道」を歴史散策をしてきました。探せば、色々な「道」がありますね。次は、どの「道」を歩こうかな!

  

  

 

 

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御所の 「秋津洲(あきつしま)」の道

2015年06月17日 17時07分11秒 | 歴史

奈良県御所市は、葛城氏や巨勢氏・鴨氏といった古代豪族の根拠地であり、神武天皇をはじめ、初期の天皇たちや日本武尊にまつわる伝承地が残る所です。

今回は、色々な伝承が残る地である「秋津洲(あきつしま)」の道を、紹介したいと思います。

・「孝安天皇玉手丘上陵」(欠史八代天皇のひとりとされる天皇) 神武天皇が「国見」をしたとされる伝説の山「国見山」の丘陵にある、第6代天皇の陵墓です。

・「日本武尊白鳥陵」 第12代景行天皇の子である日本武尊が白鳥になり羽根を休められたという伝承地。「大和は国のまほろば たなづく青垣山こもれる大和しうるわし」の歌を詠んで、白鳥になり飛び帰ったと言われています。

・「條ウル古墳」 明日香村の石舞台古墳にも匹敵する規模の石室・石棺がある6世紀後半の古墳。被葬者は、巨勢氏の盟主とされているようです。残念ながら埋め戻され、説明版があるのみでした。

・「室宮山古墳」(国史跡) 全長238mの三段の前方後円墳で、後円部には南北に2基の竪穴式石室があり、1基は開口しているので見ることができます。とても見事な「石棺」を見ることができました。5世紀前半の築造と考えられ、被葬者は不明ですが葛城氏の首長の墳墓とされているようです。見応え十分の古墳でした。すぐ近くには、40m位の方墳の「ネコ塚古墳」がありましたが、残念ながら畑になっていました。

「室宮山古墳」の南から南東部にかけて、700以上の古墳が密集する日本最大規模の群集墳である「巨勢山古墳群」(国史跡)を見ることができます。

古道を歩きながらの歴史散策「秋津洲(あきつしま)」の道、とても充実していました!

                                                    

 

 

 

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アジサイ満開の 「矢田寺」

2015年06月12日 14時35分40秒 | 散歩

奈良県大和郡山市にある「矢田寺」は、別名「アジサイ寺」とも言われるくらい有名なお寺です。

今回は、関西でも有名なアジサイ満開の「矢田寺」を紹介したいと思います。

「矢田寺」の歴史は、飛鳥時代にさかのぼります。壬申の乱(672年)の時、大海人皇子(後の、天武天皇)が戦勝祈願のため矢田山に登られ、勝利した後に飛鳥の地で即位され、勅命により知僧僧正が開基されました。知僧僧正は、遣唐使として唐に渡り、玄奘三蔵(西遊記で登場するお坊さん)から法相宗を学び日本に伝えられたそうです。

境内には、約60種・1万株のアジサイが、様々に形や色を変えて楽しませてくれています。丁度見ごろで、多くの参拝の方がおられました。

境内には、「みそなめ地蔵」をはじめ、多くの「お地蔵様」が見られ、もう一つのアジサイ寺「久米寺」とは、ひと味趣きの違うお寺でした。

散策の途中、別院にて精進料理とアジサイの形をした和菓子と抹茶をいただきました。

とても、美味しかったです。

梅雨の晴れ間の散策でしたが、何だかとて幸福な気持ちになれた一日でした!

                                                    

 

 

 

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アジサイが咲きほこる 「久米寺」

2015年06月09日 16時39分44秒 | 散歩

奈良県橿原市にある「久米寺」は、聖徳太子の弟である来目皇子が創建したと伝わる一方で、ユニークな説話を残す久米仙人が建立したとも言われています。

本尊の薬師如来は、眼病に霊験あらたかとされているようです。

橿原神宮駅からすぐの「久米寺」は、「アジサイ」の名所としても知られています。

今回は、アジサイが咲きほこる 「久米寺」を紹介したいと思います。

丁度見ごろでしたが、ほとんど人影がなくて、ゆっくりとアジサイを楽しむことができました!

                                          

 

 

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