奈良県高市郡明日香村において、2月26日(日)の午前10時から午後3時まで、「飛鳥寺西方遺跡現地説明会」が開催されました。
この場所は、645年の「乙巳の変」の中心人物である中大兄皇子と中臣鎌足が蹴鞠をした広場「槻の木の広場(飛鳥寺西方遺跡)」としても有名な場所です。
今回は、飛鳥時代の本格的な高床式建造物跡が発見された「飛鳥寺西方遺跡現地説明会」の様子を紹介したいと思います。
飛鳥寺西方地域は、「槻樹(つきのき)の広場」の候補地のひとつであると考えられます。「槻樹の広場」とは、大きな槻樹(いまのケヤキ)の下に大勢の人数が集まることができる広場であったと考えられています。「槻樹の広場」は、壬申の乱の時には軍営が置かれたり、辺境の人々を招いては饗宴を催したりと今でいえば多目的広場として活用されていました。このほかにも、大化の改新前夜には、中大兄皇子と中臣鎌足が蹴鞠を通して出会ったのも、この「槻樹の広場」であったと考えられています。
「飛鳥寺西方遺跡」の調査は今回で9年目の調査となりますが、今回の調査の結果、飛鳥時代の建物跡1棟と石組溝2条・石列の一部等がみつかりました。
当日は、天候が良く現地には多くの方が訪れていました。1時間おきに担当者による調査説明が行われ、この遺跡が壬申の乱や大化の改新の舞台であると聞き、興味は尽きないようでした。
「飛鳥寺西方遺跡」の調査成果については、3月18日の土曜日に午後1時から15時まで、明日香村中央公民館でおこなう「明日香村発掘調査報告会」でも報告される予定です。
来年は10年目の調査で、最後の「飛鳥寺西方遺跡」の発掘調査がおこなわれる予定だそうです。「槻樹」の跡が見つかる等、新たな発見があるかもしれませんね。楽しみです!