泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

初夏の「飛鳥の風景・2019」

2019年05月29日 13時29分29秒 | 散歩

飛鳥の地においても、毎日暑い日が続いていますが、皆様の地域はいかがですか・・・

5月を終えようとしてますが、飛鳥では丁度田植えの準備を行っています。散策していると、あちらこちらから耕運機の音がします。

今回は、初夏の「飛鳥の風景・2019」を紹介したいと思います。

飛鳥を散策していると、今の時期あちらこちらで「花」が咲いている景色を目にすることができます。

特に、稲渕地区や高松塚地区においては「ミカン」の白い花を目にすると共に、何とも言えない爽やかな柑橘の香りが漂ってきます。散策していて、とても癒されます。

ところで、飛鳥の地ではまもなく、田んぼに水がはいります。水がはられた田んぼの夕焼けの景色は、真に「日本の原風景」の風景ですよ!

(夕焼けの景色は、6月上旬から中旬にかけて見ることが出来ます。今回掲載した写真は、以前撮ったものです。)

                                 

 

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色とりどりの バラが咲きほこる「花まんだらのおふさ観音・2019」

2019年05月25日 08時09分10秒 | 散歩

「おふさ観音」は、奈良県橿原市小房町にある寺院の通称名 です。山号は十無量山で、正式名称は高野山真言宗別格本山「十無量山 観音寺」です。

このお寺には、イングリッシュローズ等が境内に所狭しとあふれる「花まんだらの寺」として知られています。色とりどりのバラをはじめ、四季折々の花々が楽しめる「おふさ観音」です。美しい境内が仏様の世界にも例えられ、「花まんだら」とも呼ばれています。

今回は、色とりどりのバラが咲きほこる「花まんだらのおふさ観音・2019」の様子を紹介したいと思います。

ここにはかつて大きな池があり、1650年のある日に「おふさ」という娘が白い亀の背中に乗った「観音様」を見たことから、小さなお堂を建て観音様をおまつりしたのが起源とされています。ご本尊である十一面観音様は、身体健全、厄除け、ボケ封じをはじめ開運、良縁、学力向上などさまざまな願いを叶えてくださるとして、多くの参拝者が訪れています。

現在「おふさ観音」では、バラ祭り(5月15日~6月30日 )が行われています。イングリッシュローズを中心に現在3,800種、4,000株のバラが、可憐に優雅に咲き競います。 境内一面に咲き誇るバラは、見る人の心を魅了します。つるバラのアーチをくぐると、一番奥に「円空庭」(日本庭園)が迎えてくれます。

境内は、バラの香りがいっぱいでバラファン必見のお寺ですよ!

                        

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水面に清楚な姿を映す「長岳寺のかきつばた・2019」

2019年05月21日 20時29分00秒 | 散歩

「山の辺」の道に残る「長岳寺」は、5月中旬のカキツバタのほか、桜 (4月上旬 )・平戸ツツジ (4月下旬~5月上旬 )・アジサイ (7月上旬 )・ 酔芙蓉 (9月中旬~10月下旬 )・紅葉や冬のヤブツバキ等でも知られる、「花のお寺」としても有名です。

今回は、水面に清楚な姿を映す「長岳寺のかきつばた・2019」を紹介したいと思います。

「長岳寺」は824年、淳和天皇の勅願で弘法大師が創建したと伝わるお寺です。「釜の口山」という山号から、「釜の口のお大師さま」と呼ばれています。文化財が多く、鐘楼門、庫裡として使われ三輪そうめんを食せる旧地蔵院、旧地蔵院本堂、また本尊の阿弥陀三尊などは重要文化財です。参道には、大人の背丈をはるかに超えたヒラドツツジが隙間なく連なります。散策した時(5月15日)は、残念ながらツツジ花は終わりかけていました。でも、鐘楼門を通り過ぎると、満開のかきつばたが姿を見せてくれました。

今年も「長岳寺」のかきつばたは、水面にその清楚な姿を映してとても綺麗でした!

                         

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一目百万本!「葛城山のツツジが見頃・2019」

2019年05月15日 09時06分54秒 | 散歩

葛城山(かつらぎさん)は、奈良県と大阪府の境に位置する山で標高959.2mです。「金剛生駒紀泉国定公園」内にあり、北の二上山、南の金剛山とともに連峰をなしています。山頂付近にはつつじが群生し、「一目百万本」と言われるほど淡い紅色のツツジのカーペットは、それはもう圧巻の景色でした。

今回は、一目百万本!「葛城山のツツジが見頃・2019」の様子を紹介したいと思います。

近鉄ロープウェイ「葛城山登山口駅」から「葛城山頂駅」まで約6分くらいです。短い時間ですが、ロープウェイの窓から見える景色も楽しみの一つです。「葛城山頂駅」から15分ほど歩くと、眼下に赤い絨毯を敷き詰めたような「自然ツツジ園」が見えてきます。この一角は、「一目百万本」と呼ばれるつつじの大群生です。

話によると、人が植えたりしたものではなく、自然の群生というのですから驚きです。

葛城山の山頂付近は、元々で覆われていました。笹は、60~70年に一度花を咲かせ、実をつけると枯れてしまうと言われています。葛城山では、1970年頃に笹の花が咲き、枯れた後に、ツツジが咲き出したのだそうです。開花時には、真っ赤なじゅうたんのごとく葛城山を埋め尽くすつつじは、すべて自生のものだそうです。

高原には、木製の見晴台のようなものが何箇所も設置されていて、そこでお弁当を食べたりすることもできます。多くの方が、弁当持参で来られていました。

散策した日は、5月13日でした。午前9時半位のロープウェイ乗り場では、人も少なく直ぐに乗ることが出来ました。頂上付近は、気温14度ということで涼しくて気持ちがよく、新緑がとても綺麗でした。「一目百万本」が見える所には、多くの方が景色を満喫されていました。多分、今週いっぱいが見頃だと思われます。

「一目百万本」と言われるほど淡い紅色のツツジのカーペットの景色は、とてもとても見事でしたよ!

                     

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持統天皇の「吉野行幸への道・芋峠」

2019年05月12日 21時48分02秒 | 歴史

日本書紀」によると、「持統天皇」は「斉明天皇」が造営されたとある「吉野宮」に31回 も行幸をされたようです。その道は、飛鳥と吉野を結ぶ古道にある「芋峠」だと言われています。

「大海人皇子(のちの天武天皇)」が壬申の乱の直前、鸕野讃良皇女らと共に近江から飛鳥嶋宮を経て吉野入りした際もこの道を通ったと思われます。

「持統女帝」は、夫である「天武天皇」が亡くなってからも、夫との思い出の吉野へこの峠を越えて31回も訪れました。

今回は、「持統天皇」の「吉野行幸への道・芋峠」と思われる古道を紹介したいと思います。

 その行幸は、明日香から芋峠を越えて吉野川に出て宮滝にあったとされる「吉野宮」に向かわれたものです。1日で行ける行程とは言え、「吉野古道」の山道を通り芋峠を越えて、行幸されたと思われます。「吉野宮」は、亡き夫の「天武天皇」との思い出の地ではありましたが、なぜこれほどまでに「吉野行幸」を繰り返されたのでしょうか・・・

今回は奥明日香・栢森から「持統天皇」が通ったとされる「吉野古道」を部分的に歩き、ほんの少しですが「吉野行幸」を体感してきました。

明日香村から吉野町の宮滝まで約18キロ程ありますので、今回は車で栢森まで行き、ここから徒歩で古道の入口から小峠を通り行者まで。次の日、行者から三軒茶屋跡を通り芋峠まで歩きました。今回、2回に分けて歩きました。その後、車で芋峠から吉野町千股に下りて、宮滝にあったとされる「吉野宮」まで行きました。

(ルート)

明日香村から稲渕地区ー栢森地区ー古道入口ー小峠ー行者ー三軒茶屋跡ー芋峠ー吉野町千股(車で移動)-宮滝にあったとされる「吉野宮」へ 

今から約1300年程前に「大海人皇子」は、近江大津宮から飛鳥「島の宮」(明日香村島庄)を経て吉野に身を隠します。このときの「吉野への道」は、最短距離でもある『芋峠越え』が有力視されています。

やがて兵を挙げて「壬申の乱」に勝利し、飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)で「天武天皇」として即位しますが、686年に没後、皇后であった鵜野讚良(うののさらら)が「持統天皇」となります。在位中、吉野離宮に行幸した際も、飛鳥川に沿って稲渕,栢森を経て芋峠を越えたのではないかと考えられており、「吉野への道」は飛鳥時代の「歴史の道」ともいえる道です。

ところで、芋峠(標高556m)の語源は、芋を背負って峠を越えた という伝承や、疱瘡(ほうそう・いも)の疫病神を払 うという説のほか、吉野の「妹山」が見おろせる峠の説などがあります。芋峠を下ると現在の吉野町千股に入り、「持統天皇」は宮滝にあった「吉野宮」に向かったと思われます。

 

今回、「持統天皇」が通ったとされる「吉野古道」を部分的に歩きました。思った以上に古道は整備されており、ポイントの所は表示板等が設置されていました。

今から約1300年程前に「大海人皇子」や「持統天皇」が通った道。どのような景色を見、またどのような想いをはせながら通ったのかと想像しながらの「吉野古道」の歴史散策は、ロマンあふれる散策となりました!

                                                                                                        

   

 

 

 

 

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