泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

飛鳥京跡苑池 「第12次調査現地説明会・2018」

2018年10月27日 15時44分47秒 | 歴史

奈良県明日香村の天皇の宮殿にあった国内初の本格庭園「飛鳥京跡苑池」(7世紀)の発掘調査で、県立橿原考古学研究所は、10月25日に二つある池のうち「北池」のほぼ全周を確認したと発表しました。

現地説明会が、明日香村「飛鳥京跡苑池」において10月27日午前9時半~午後3時に行われました。

今回は、飛鳥京跡苑池「第12次調査現地説明会・2018」について紹介したいと思います。

橿考研は今年5月から、約2065平方メートルを発掘調査を行いました。大きさは東西約36メートル、南北約52メートル。西側には長さ約22メートルと7メートルの二つの階段状の護岸が見つかり、専門家は船着き場や臣下のみそぎの場として利用していた可能性があるとみているようです。

北池の護岸の多くは垂直に石が積まれていたのに対し、西側の2カ所ではそれぞれ9段と6段の階段状に石が積み上げられていました。飛鳥時代の池で、これほど長い階段状の護岸が見つかるのは初めてだそうです。北池の面積は約1500平方メートル、深さ4メートル以上あるようです。

一方、南池は以前の調査で全容が判明しており、面積約2200平方メートルで、階段状の護岸はありませんでした。

階段状の護岸については、ある考古学の先生は護岸が崩れにくくするための「工法上の理由だった」とした上で、「船を着けて乗り降りするのに便利な構造で、池で天皇や上級貴族が船遊びをしていた可能性がある」。また別の先生は、「天皇は東岸で、臣下は西岸に並んでみそぎをしたのでは」と推測されているようです。

今回の調査の結果 苑池は7世紀中ごろ(斉明天皇)の築造とされ、7世紀後半とみられる改修(天武・持統天皇)で池の南東から南西側に土を盛った部分が広がっているのを確認されました。

護岸の石積みは、南池がほぼ垂直の石積みのみであるのに対し、北池は階段状に石が積みを多用しています。その他にも、平面形や池底の構造など南池と北池では、その構造に多数の相違点が存在し、飛鳥京苑池が意匠の全く異なる二つの池に構成されることが明確になったようです。

今回の場所は、毎日のように散策している所で、最初から発掘の様子を見ていました。南池の現地説明会のおりには、北池は調整池ではないかとのことでしたので、特に大きなものがでないのではないかと思っていました。最初のうちは、石のかたまりが出てきました。途中から、プールの形が出てきて階段状の石垣があちらこちらで見えてきました。一体何だろうかと思っていました。新聞等の発表や、現地説明会を聞いて大変驚きました。

飛鳥の地は、何が出てくるかわからないロマンあふれる素敵な所ですね~!

                                            

 

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「古都飛鳥文化祭・2018」

2018年10月22日 20時45分00秒 | 散歩

奈良県明日香村「国営飛鳥歴史公園石舞台地区あすか風舞台」において、10月20日(土)~21日(日)に「古都飛鳥文化祭・2018」が行われました。

今回は、「古都飛鳥文化祭・2018」の様子を紹介したいと思います。
飛鳥の歴史・文化・芸能・食などが一同に介す「古都飛鳥文化祭・2018」が、「飛鳥歴史公園石舞台地区」において秋空の下行われました。

古代文化の香り豊かな郷「飛鳥」は、遥か1400年前に史上初の都が置かれていた地の歴史的風土と人々の心が築き上げてきた、文化と誇りを伝える「秋の祭り」です。

「古都飛鳥文化祭」は、2015年に始まり今年で4年目を迎える文化祭です。 歴史・芸能・農・食など、様々な飛鳥の文化と魅力が感じさせられる「明日香の祭り」です。

10月20日には、14時から「あすか風舞台」において明日香村伝承芸能等が行われ、17時からは飛鳥坐神社の宮司さんによる奉納祭の後、地元の和太鼓集団「倭」による演奏が行われました。

19時より、山車や御輿での村内パレード「御轟祭」が行われ、多くの方が参加し21時頃には花火でフイナーレしました。

10月21日には、17時より明日香村仏教団による「古墳祭」が行われ、前日にひき続き和太鼓集団「倭」による演奏が行われました。

今年も、和太鼓集団「倭」による迫力ある演奏は見事でした。

20時過ぎには「お祭り体験」が行われ、20時30分位には花火でフイナーレしました。両日とも、多くの方が来られ「明日香の祭り」を楽しんでおられました。

毎年楽しみにしている「古都飛鳥文化祭」、今年も多くの感動のなか終了しました!

                            

 

 

 

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奈良大和路の花の見どころ 「馬見丘陵公園のダリア」

2018年10月16日 20時07分47秒 | 散歩

馬見丘陵は、奈良県香芝市・広陵町・河合町など2市3町に跨る標高70m程度の東西約3km、南北約7kmに及ぶ低い丘陵地です。この丘陵は、馬見古墳群のエリアと一致し古墳の集積地となっています。古墳好きな方には、お薦めのスポットです。

「奈良県営馬見丘陵公園」は、この歴史と文化の遺産やすばらしい自然環境を県民の憩いの空間として、広く活用してもらうことを目的に整備された公園で入園は無料です。

今、「馬見丘陵公園」のダリアが満開を迎えています。

今回は、奈良大和路の花の見どころ「馬見丘陵公園のダリア」を紹介したいと思います。

奈良県は、ダリアの球根生産量が日本一です。北エリアの「ダリア園」では秋になると、約120品種1,000株のダリアが一斉に咲き誇ります。ダリアやコスモスなど約20万株の花々が咲き乱れています。ダリアの開花する場所は、北駐車場近くの花見茶屋エリアです。約120品種、1,000株のダリアを観賞することができます。
花の大きさが30~40cmにもなる「エモリーポール」をはじめ、奈良県内で作出された「奈奈」のほか、草丈が4~5mもの高さになる「皇帝ダリア」など、さまざまな種類を楽しめます。
ダリア園の見頃は例年、10月上旬から11月上旬にかけてです。今丁度見頃で、今年も見事なダリアを見ることが出来ました。また、コスモスなどの花も綺麗でした。

園内では四季折々の自然を満喫でき、春には桜やチューリップ、夏にはバラや花菖蒲、ヒマワリ、秋にはダリアやコスモスなど色とりどりの花が咲き誇ります。

「馬見丘陵公園」は、明日香村からは車で40分位の所です。四季折々の自然を満喫でき、飛鳥とは趣きの違う風景を見ることができ、春と秋には、弁当持参で行く大和の素敵な場所ですよ!

                             

 

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第10回  「高取かかし祭り・2018」

2018年10月08日 20時33分04秒 | 散歩

奈良県高取町土佐町なみ一帯および市尾墓山古墳において、2018年10月1日(月) ~ 2018年10月31日(水) の期間に、「高取かかし祭り」が行われています。

今回は、第10回 「高取かかし祭り・2018」の様子を紹介したいと思います。

日本一の山城「高取城」の城下町として栄えた高取町は、昔からの町家が多く現存し、その当時の佇まいを残しています。

この町並の佇まいをひとつのテーマパークに見立てて、開催されるイベントが「町家の案山子(かかし)めぐり」です。

「高取かかし祭り」には、田園の案山子から変身した子供やおばあちゃん、七福神そして古代人の案山子などが一杯います。

例年と違っているのは、今年初参加の「市尾墓山古墳」に古代人の案山子などが飾られていることです。「市尾墓山古墳」は、国指定史跡で長さが約70m、高さが10mの前方後円墳です墳丘は二段に築かれ、周濠と外提をあわせると全長100mの規模になります。

築造された時期は、出土遺物などから6世紀初めごろと考えられえます。古墳時代後期を代表する貴重な古墳で、当時この地域に権力をもった豪族が葬られていたと考えられます。

「案山子と古墳」不思議な組み合わせでしたが、とてもユニークなアイディアで楽しませていただきました。残念なのは、土佐町なみの案山子の数が少なかったのが惜しまれます。

「高取かかし祭り」は、明日香村の稲渕で行われた「案山子祭り」とは、趣の違った町家の「案山子祭り」です。

秋の一日、明日香村(稲渕)や高取町の「案山子」巡りをされてはいかがですか!

                                                   

 

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「斎王」に出会う伊勢路

2018年10月02日 16時13分10秒 | 歴史

国営飛鳥歴史公園のボランティア活動で普段活動されている歴史が大好きな皆さんと一緒に先日、三重県明和町にある「斎宮跡」等を巡ってきました。

今回は、「斎王」に出会う伊勢路を、紹介したいと思います。

いつもは、飛鳥でボランティア活動やガイド等を行っている国営飛鳥歴史公園の「歴史サークル」の皆さんですが、今回は、研修の一環として三重の方まで約50人位で貸し切りバスを借りて研修に行ってきました。

(行程) 明日香村ー斎宮歴史博物館ー斎宮跡歴史ロマン広場ー伊勢神宮ーおかげ横丁ー明日香村

「斎宮跡(さいくうあと)」は、古代から中世にかけて設置された斎宮(斎王の居住した宮殿と、役所・斎宮寮)を中心とする遺跡です。斎宮は「いつきのみや」とも呼ばれ、斎王の宮殿と斎宮寮(さいくうりょう)という役所のあったところです。三重県松阪市と伊勢市にはさまれた多気郡明和町に所在します。近鉄山田線「斎宮駅」から徒歩ですぐの場所です。「斎宮寮」は、伊勢神宮の祭祀を行うために皇室から派遣された斎宮が執務した場所です。斎宮は、天皇の代替わり毎に交替し、南北朝時代まで続いたとされています。斎宮跡は、伊勢神宮から約15km離れており、都と伊勢神宮を結ぶ伊勢道のルート上に位置しています。斎王制度は、約700年前の後醍醐天皇の時代に途絶えてしまいましたが、斎宮跡(昭和54年国史跡指定)は、東西2km、南北700mの広大な遺跡として、今も地下に眠っています。

 出土遺物は、土製の飾馬、三彩陶器、緑釉陶器以外に、土師器や水司、膳司、殿司など役所名を墨書した土器も発見されています。遺物は、古里地区の「斎宮歴史博物館」に収蔵・展示されています。

「斎宮歴史博物館」は、国指定史跡斎宮跡の一角に建つ県立の博物館です。「斎宮」の歴史を紹介するため、伊勢神宮に使えた未婚の皇女・斎王(さいおう)の役割や、当時の斎宮の様子などを資料や模型、映像を使って分かりやすく紹介しています。博物館では、映像と学芸員さんの詳しい説明を受けました。

国史跡「斎宮跡」は、、その規模は、東西約2キロメートル、南北約700メートルに及び、約137ヘクタールもの広大な面積を有します。
昭和45年(1970年)に始まった発掘調査によって、「幻の宮」とされてきた斎宮の解明が進んでいます。そして、国史跡に指定された昭和54年(1979年)以降は、調査だけでなく、史跡「斎宮跡」を守り伝えるために、史跡を整備し活用していくことも重要な課題となっています。この「斎宮」は天照大神の御杖代として、代々の天皇ごとに伊勢に派遣されていた「斎王」の御所であるとともに、その事務を取り扱った官人の役所でした。かつて斎王が住んだ宮跡といわれ、近くから関係遺跡が発掘されました。斎王は、天皇に代わって伊勢神宮に仕えるため、天皇の代替りごとに皇族女性の中から選ばれて、都から伊勢に派遣されていました。

斎王の宮殿である「斎宮」は、伊勢神宮領の入口に位置し、都さながらの雅な暮らしが営まれていたと言われています。
地元の人々によって神聖な土地として守り続けられてきた「斎宮跡」一帯は、日本で斎宮が存在した唯一の場所として、皇女の祈りの精神を今日に伝えています。

現在、「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」として、「日本遺産」にもなっています。

 「斎宮跡歴史ロマン広場」では、地元のボランティアガイドさんによる案内のもと、復元された建物や史跡斎宮跡を1/10のスケールで縮小した公園を案内していただきました。建物は、平安時代前期(9世紀)の復元建物3棟(正殿・西脇殿・東脇殿)を、発掘調査で発見された位置そのままに再現しています。
公園の東側では、奈良時代の終わり頃に造られた碁盤目状の区画、方格地割が再現されていました。

 また、「斎宮歴史博物館」前にある塚山古墳群は、斎宮以前の古墳時代、博物館のある一帯には小さな古墳が群集して造られていました。博物館正面の1号墳、南東の2号墳、道向かいの林の中に3号墳が整備されています。

「斎宮跡」見学後、伊勢神宮にお参りしました。平日にもかかわらず、多くの方が参拝に来られていました。参拝後、江戸期から明治期の伊勢路の建築物を移築などで再現した「おかげ横丁」を散策し名物の赤福を買ってきました。

  今回、あまり知らなかった「斎王」関係の研修は大変勉強になりました!

                                            

 

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