泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

「偕楽園の梅まつり・2024」

2024年03月24日 13時51分06秒 | 旅行
茨城県水戸市にある「偕楽園」は、日本三名園のひとつであるとともに梅の名所としても知られています。 
今回は、「偕楽園の梅まつり・2024」を紹介したいと思います。
「偕楽園」は、金沢の「兼六園」・岡山の「後楽園」とともに日本三名園のひとつに数えられており、江戸時代(1842年)に水戸藩第9代藩主徳川斉昭公により、領民の休養の場所として開園されました。
園内には約100品種3,000本もの梅が、春の訪れを告げるかのように可憐に咲き競います。
2024年「水戸の梅まつり」は、2月10日から3月17日まで行われています。
梅の見頃は、例年2月下旬から3月中旬頃ですが、今回2月中旬に行ってきましたが、梅の花はほぼ満開でとても綺麗でした

                 
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雲海のように梅花がほころぶ「賀名生(あのう)梅林・2024」

2024年03月21日 17時20分51秒 | 散歩
奈良県五條市西吉野町にある雲海のように梅花がほころぶ「賀名生(あのう)梅林・2024」を、紹介したいと思います。
奈良県明日香村から車で約1時間程にある「賀名生(あのう)梅林」は、毎年この時期に訪れていますが今年も、純白や淡い紅色の2万本もの梅花が咲き、雲海のような幻想的な風景が広がっていました。
「賀名生(あのう)」という地名は、南朝時代に付いた由緒あるものです。
この場所は、1348年「後村上天皇」が吉野より難を逃れ、ここにお入りになられました。さらにこの邸宅は、「後亀山天皇」の皇居と伝えられているようです。今なお当時の面影をとどめる屋敷は、全国でも最古に属する民家で重要文化財に指定されています。
今年は、例年より早く梅花はほぼ満開でした。9時半頃に見学に行ったのですが、ほとんど人に会うことがなくのんびりと雲海のように梅花をみることができました。
ほのかな香りが山々を伝うように漂い桃源郷のような、「賀名生(あのう)梅林」を見ることができでした!

              
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「飛鳥川沿いに咲く河津桜・2024」

2024年03月19日 07時49分45秒 | 散歩
少しずつですが、奈良県の飛鳥地域にも春の訪れが感じられるこの頃です。
飛鳥川沿いの「河津桜」が、今年も見事に咲いていました。
今回は、「飛鳥川沿いに咲く河津桜・2024」を紹介したいと思います。
お隣町(橿原市)ですが飛鳥川沿いに咲いています。とても綺麗でした。
今年も、飛鳥川沿いにこのような素敵な「河津桜」を見ることができました。
飛鳥地域にも、春がやってきたようです!

            

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奈良県本薬師寺跡「藤原京右京八条三坊発掘調査」現地説明会2024

2024年03月14日 07時52分29秒 | 歴史
奈良県橿原市にあった飛鳥時代の都 藤原京の本薬師寺(もとやくしじ)の跡で、寺の正門にあたる南門の隅の部分が見つかりました。
奈良県橿原市、3月2日に「本薬師寺跡」において「藤原京右京八条三坊発掘調査(南門跡)」の現地説明会が行われました。
同日に明日香村の「石神遺跡」がありました。
飛鳥時代の現地説明会が同日に行われのは大変珍しく、午前中に「本薬師寺跡(南門跡)」の現地説明会に、続けて「石神遺跡」の現地説明会に行ってきました。
今回は、本薬師寺跡「藤原京右京八条三坊発掘調査」現地説明会を紹介したいと思います。
本薬師寺は、飛鳥時代の天武天皇が皇后の病気が治ることを祈願して創建を始めたといわれる寺で、橿原市にあった飛鳥時代の都 藤原京の中に建立され、奈良市にある薬師寺の前身といわれています。
橿原市が2月、寺の中心部の南側を発掘したところ建物の基礎の盛り土の跡のほか、周囲に石を敷き詰めた跡や、屋根の雨水を流す溝の跡などが見つかりました。
盛り土の部分からは、直径2メートル近くの礎石を抜きとった跡も見つかり、今回、発見されたのは寺の正門にあたる南門の隅の部分とみられています。南門は礎石の大きさなどから立派な構造だったと考えられ、調査担当者は「国家主導で造られた寺院にふさわしい門が存在していたことがはっきりした」としています。
今回は、同日に飛鳥時代の遺構を見学でき古代史好きな私にとって、とても有意義な一日となりました!

                  
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奈良県明日香村の「石神遺跡第1次調査区の再発掘・2024」現地説明会

2024年03月12日 09時35分53秒 | 歴史
奈良県明日香村石神において、3月2日(11時~15時)に「石神遺跡第1次調査区の再発掘」現地説明会が行われました。
多くの古代史好きな方が見学に来られていました。この日は、橿原市にある「本薬師寺跡」において「藤原京右京八条三坊発掘調査(南門跡)」の現地説明会が行われました。
同日に、飛鳥時代の現地説明会が行われのは大変珍しく、午前中に「本薬師寺跡(南門跡)」の現地説明会に、続けて「石神遺跡」現地説明会に行ってきました。
今回は、「石神遺跡第1次調査区の再発掘・2024」現地説明会を紹介したいと思います。
「本薬師寺跡(南門跡)」の現地説明会については、後に紹介したいと思います。
「石神遺跡」は、7世紀代を通じて造営が繰り返された遺跡です。斉明天皇の時代(655~661年)には建物群や石敷きの広場などが整然と配置され、「日本書紀」に記述がある、蝦夷(えみし)ら外国使節を迎えて服属儀礼や饗宴をする施設だったとみられています。
調査地は、1902~03年に須弥山石(しゅみせんせき)と石人像(飛鳥資料館で見ることができます。)が出土した水田です。
奈文研は、3回目となる発掘調査を実施しました。
その結果、西側から続く7世紀前半の遺跡南限の東西塀と、途中で北に折れる南北塀を新たに検出しました。南北塀の東側では、調査区外でクランクする南北方向の石組み溝も再検出しました。これら塀と溝は7世紀前半の石神遺跡の区画東南隅に当たると考えられ、区画の規模は東西102メートル以上と判明しました。南北は175メートルと推定されています。 7世紀前半皇極天皇以前の時代のものとみられる掘立柱の塀の跡が見つかりました。柱の穴の近くには、以前の調査で見つかった幅1メートルほどの石組みの水路もあり、当時からこの一帯に天皇の宮殿や役所など重要な施設があったと考えられるということです。 
この調査地がある場所の東側の水田を、一昨年から発掘調査されていました。この時は、塀の跡等が見つかりました。
さんぽの途中、よく発掘作業を見学していましたが今回、位の高い人の邸宅があった可能性があるとみられているということで、次の発掘調査で何がでてくるのか楽しみです!

                 

(2023年石神遺跡発掘調査)
   
(2022年石神遺跡発掘調査)


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