奈良県明日香村石神において、3月2日(11時~15時)に「石神遺跡第1次調査区の再発掘」現地説明会が行われました。
多くの古代史好きな方が見学に来られていました。この日は、橿原市にある「本薬師寺跡」において「藤原京右京八条三坊発掘調査(南門跡)」の現地説明会が行われました。
同日に、飛鳥時代の現地説明会が行われのは大変珍しく、午前中に「本薬師寺跡(南門跡)」の現地説明会に、続けて「石神遺跡」の現地説明会に行ってきました。
今回は、「石神遺跡第1次調査区の再発掘・2024」現地説明会を紹介したいと思います。
「本薬師寺跡(南門跡)」の現地説明会については、後に紹介したいと思います。
「石神遺跡」は、7世紀代を通じて造営が繰り返された遺跡です。斉明天皇の時代(655~661年)には建物群や石敷きの広場などが整然と配置され、「日本書紀」に記述がある、蝦夷(えみし)ら外国使節を迎えて服属儀礼や饗宴をする施設だったとみられています。
調査地は、1902~03年に須弥山石(しゅみせんせき)と石人像(飛鳥資料館で見ることができます。)が出土した水田です。
奈文研は、3回目となる発掘調査を実施しました。
その結果、西側から続く7世紀前半の遺跡南限の東西塀と、途中で北に折れる南北塀を新たに検出しました。南北塀の東側では、調査区外でクランクする南北方向の石組み溝も再検出しました。これら塀と溝は7世紀前半の石神遺跡の区画東南隅に当たると考えられ、区画の規模は東西102メートル以上と判明しました。南北は175メートルと推定されています。 7世紀前半皇極天皇以前の時代のものとみられる掘立柱の塀の跡が見つかりました。柱の穴の近くには、以前の調査で見つかった幅1メートルほどの石組みの水路もあり、当時からこの一帯に天皇の宮殿や役所など重要な施設があったと考えられるということです。
この調査地がある場所の東側の水田を、一昨年から発掘調査されていました。この時は、塀の跡等が見つかりました。
さんぽの途中、よく発掘作業を見学していましたが今回、位の高い人の邸宅があった可能性があるとみられているということで、次の発掘調査で何がでてくるのか楽しみです!
(2023年石神遺跡発掘調査)
(2022年石神遺跡発掘調査)