泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

日本最古の官道 「横大路(札ノ辻〜長尾神社)」

2016年03月27日 15時24分23秒 | 歴史

日本書記に「推古天皇二十一年(613年)、難波より京(飛鳥)に至るまでに大道を置く」と記されています。前回は、日本最古の官道「横大路(札ノ辻〜小西橋)」の東半分を紹介しました。今回は、西半分の「橿原市の札ノ辻から葛城市の長尾神社」までを紹介したいと思います。

日本最古の官道(国道)である「横大路」は、現在の葛城市の長尾神社から桜井市の慈恩寺北交差点まで東西にほぼまっすぐに進む道です。古代では、難波京と飛鳥京を結ぶ官道のひとつとして整備された大路でした。 江戸時代には伊勢参りの道として使われ、伊勢街道(伊勢本街道)とも呼ばれ賑わった道です。

現在、街道の面影を残しながら、沿道には魅力あふれるスポットが点在しています。今回は、寄り道をしながら「橿原市の札ノ辻から葛城市の長尾神社」まで、約11キロを歩いてきました。

2回にわたっての日本最古の官道「横大路」の歴史散策でした。青空の下、古代に思いをはせながら歩くと、とても気持ちがいいものですね!

(行程)

橿原市の札ノ辻ー曽我町(入鹿神社・普賢寺大日堂)-曲川町(代官屋敷)ー本郷町(不動院)ー内本町(伊勢神宮常夜灯)-大中南町(高田御坊)-尺土(緑の一里塚)-長尾神社

 

                                               

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飛鳥の神の宿る石 「くつな石」伝説

2016年03月24日 14時49分53秒 | 歴史

奈良県明日香村には、色々な伝説が残っています。阪田という集落の奥に、「くつな石」という、村人が「神の宿る石」として崇めている石があります。

今回は、明日香村の伝説の一つである、神の宿る石「くつな石」伝説について紹介したいと思います。

ピラミッド状の墳丘を持つという「都塚古墳」から1kmほど斜面を上ったところに、「くつな石」という石が祀られています。

「くつな石」の由来は、「昔、この巨石に目を付けた石屋が石を切り出そうと、石鑿で「コン!」と一打ち…。すると石の割れ目から、赤い血が流れ出し、傷ついた蛇が顕れた。驚いた石屋はそのまま逃げ帰ったそうな。ところがその夜から、ひどい熱と激しい腹痛におそわれ、とうとう亡くなってしもうた。」

このことを聞いた村人たちは、これを「祟り(たたり)」として恐れ、敬い、此の石を「神の宿る石」として祀ったということだそうです。それが「くつな石」です。この辺りでは蛇のことを「くちな」と呼び、そこから「くつな石」になったのではないかと言われているようです。実際に見てみると、「くつな石」は不思議な色と形をした石でした。現地にある鳥居は、ボランティアの方たちが明日香の桧で制作し、奉納したものだそうです。

「くつな石」は、雨乞いの神としても知られているようです。昔は、よくここで雨乞いの祈祷がおこなわれ、霊験あらたかだったそうです。

入口近くの坂道をのぼると、眼下に阪田、島庄、岡の集落などの景色や、甘樫丘、遠くに二上山を望める絶景が見られました。

また、明日香村に残る伝説を探し求め、散策したいと思っています!

                        

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「飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社(あすかかわかみにいますうすたきひめのみことじんじゃ)」

2016年03月20日 21時19分52秒 | 歴史

奈良県明日香村、奥飛鳥に鎮座する日本一長い名前の神社である「飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社(あすかかわかみにいますうすたきひめのみことじんじゃ)」、栢森にある「加夜奈留美命神社」・坂田の「葛神社」を、今回紹介したいと思います。

『日本書紀』には、雨乞いが行われた地との記録が残っています。642(皇極元)年、日照りが続き、農作物が育たず、人々は飢えに苦しんでいました。
当時、政治の実権を握っていた蘇我氏が、先に雨乞いの儀式を行いましたが、少ししか雨が降らなかったようです。ところが「皇極天皇」が四方拝して雨乞いすると、雷が鳴って大雨が降りをしたようです。雨はしばらく降り続け、この地に恵みをもたらしました。その様子を見て、人々は大いに喜び、天皇の徳を称えたと記されています。

「飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社」には本殿はなく、拝殿後方の南淵山をご神体とする原始神道の神社です。神社前の飛鳥川は川幅が狭く、露岩の間を水が渦巻いている場所があり「八幡たぶ」と呼んでいます。社名は、渦巻き滝つ瀬となっている川水の様を「うずたき」と形容して、女神として祀ったものであろうと言われているようです。「皇極天皇」が雨乞いを行った場所は、このあたりではないかとも言われているようです。

栢森にある「加夜奈留美命神社」の摂社に、九頭神社(葛神社?) があります。祭神は龍神で、雨を司る祈雨・止雨の神として古来崇敬されてきた神です。

また、坂田にある「葛神社」は、古くから祀られている龍神さんです。「加夜奈留美命神社」の旧社地の説が有るようです。もとは「九頭竜大明神」と称されていたようです。

現在、坂田と祝戸の氏神さまです。拝殿には、明治の初めまで行われたとされる雨乞いの様子を描いた「明日香南無天踊り」と「龍神さんの龍」が、絵馬として奉納されています。

今回の「奥飛鳥」の歴史散策、歩いていて気持ちがよくとても有意義な時間を過ごすことができました!

                              

 

 

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飛鳥の 「春の風景」

2016年03月14日 16時28分12秒 | 散歩

このところ少し肌寒い天気が続いていますが、奈良県明日香村においても「春」がやってきました。

ヒバリの声を聴きながら散策していると、春の花々やつくし・ふきのとうなど、あちらこちらに「春」の風景を目にします。飛鳥は、肌で四季の変化を感じさせられる所だと、改めて思う瞬間です。飛鳥は、歩くことをお勧めします、とても気持ちがいいですよ。

今回は、飛鳥の「春の風景」を紹介したいと思います。

ところで昨年は、残念ながら「飛鳥の桜」を十分に見ることが出来ませんでした。あと2週間程すれば、あちらこちらに「桜」を見ることができます。

今年は、楽しみにしています。2週間後、「飛鳥の桜」の風景を皆さんに紹介できたらと思っています!

                                

 

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鞍作氏のゆかりの寺跡がある 「坂田の集落」

2016年03月11日 20時08分39秒 | 歴史

奈良県明日香村の阪田には、かって巨大な寺院が存在しました。渡来系氏族である鞍作(くらつくり)氏の氏寺で、土地の名に因んで「坂田寺」と呼ばれています。創建年代は不明ですが、日本で最初の本格的な寺院である飛鳥寺と並んで、我が国で最も古い寺院の一つとされています。天武天皇の時代(672 - 686)には、大官大寺、飛鳥寺、川原寺、豊浦寺と並んで飛鳥の五大寺の一つに数えられたほどの大寺院だったそうです。

『日本書紀』によれば、推古天皇14年(606)4月、多須奈の子の鞍作止利(くらつくりのとり)が、飛鳥寺の金堂に安置する金銅と繍(ぬいもの)の丈六の仏像を完成して納入しました。推古女帝は、祖父・達等以来の仏法興隆に尽くした功を褒めて、近江国坂田郡の水田二十町を止利に賜ったそうです。鞍作止利はこの田を施入して、天皇のために金剛寺を造ったといわれています。金剛寺とは、「坂田寺」の法号です。 

今回は、古代氏族・鞍作氏のゆかりの寺跡がある「坂田の集落」を紹介したいと思います。

南淵山の急な北側斜面に甍を並べている阪田の集落の頂きに、「医王山金剛寺」という寺があります。かっての「坂田寺」の法灯を今に継いでいて、聖徳太子遺跡霊場であると伝えられているようです。

「都塚古墳」を目にしながら「坂田寺」跡を見て、阪田の集落の頂きにある「医王山金剛寺」を散策してきました。古代に思いをはせながら散策した春の坂田の集落の景色、歴史と共にとても素晴らしかったです!

                                

 

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