泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

明日香村のどこからも見える?「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」(最終回)

2023年01月27日 08時47分53秒 | 歴史
奈良県明日香村には、飛鳥時代の「斉明天皇」との関わりのある古墳?があります。
ふとこれらの古墳は、血縁関係のある「斉明天皇」が眠っている「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」を意識して築かれたのではないかと思いました。
とすると、ひょうとして「斉明天皇」と血縁関係のある古墳から見えるのではないかと思い、確かめてきました。
前回は、「高松塚古墳」・「キトラ古墳」でした。
最終回は、「中尾山古墳」を紹介したいと思います。

〇「斉明天皇」と血縁関係のあると思われる古墳
5「斉明天皇」のひ孫(草壁の皇子の子である文武天皇)が葬られているかもしれないとされる「中尾山古墳」です
「中尾山古墳」は、、国営飛鳥歴史公園(高松塚周辺地区)内の小高い丘上に立地しています。
8世紀初頭に築かれた八角墳で終末期古墳です。697年〜707年に在位し、大宝律令を完成させた文武天皇の真陵ではないかと言われています。墳形は八角形で、対辺長約19.5メートル・高さ4メートル以上を測ります]。墳丘は3段築成で、版築によって構築されています。
極彩色壁画で有名な高松塚古墳は一つ南側の丘陵上、直線距離にして約200メートルの位置にあります。

さて、ここから見えていたのでしょうか・・・
木々が遮っていて、見えませんでした。諦めていたところ、なんとある所からはっきりと見ることができました。とても、嬉しかったです!
今回紹介した古墳は、血縁関係のある「斉明天皇」が眠っている「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」を意識して築かれたのではないかと推測しました。
実際現地に行っての感想ですが、飛鳥時代に日本の基礎を築いた「斉明天皇」を敬い、これらの古墳は強く意識して築かれたのではないかと思いました‼

     
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明日香村のどこからも見える?「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」(2)

2023年01月21日 08時37分32秒 | 歴史
奈良県明日香村には、飛鳥時代の「斉明天皇」との関わりのある古墳?があります。
ふとこれらの古墳は、血縁関係のある「斉明天皇」が眠っている「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」を意識して築かれたのではないかと思いました。
とすると、ひょうとして「斉明天皇」と血縁関係のある古墳から見えるのではないかと思い、確かめてきました。
前回は、「天武・持統天皇」陵・「鬼の雪隠・俎板」古墳でした。
今回は、「高松塚古墳」・「キトラ古墳」を紹介したいと思います。

〇「斉明天皇」と血縁関係のあると思われる古墳
3「斉明天皇」の孫(天武天皇の皇子である忍部皇子)が葬られているかもしれないとされる「高松塚古墳」? ※諸説あり
「高松塚古墳」は、国営飛鳥歴史公園内高松塚周辺地区の東に位置する古墳です。石室の壁画が有名です。7世紀末から8世紀初頭にかけて築造された終末期古墳で、直径23m(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳です。
ここからは、はっきりと見ることができました。
「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」からも、ほんの僅かですが見ることができます。

   

4「斉明天皇」の孫(天武天皇の皇子である高市皇子)「キトラ古墳」? ※諸説あり
「キトラ古墳」は、檜前(ひのくま)の集落を越えて阿部山に向かう山の中腹にあります。二段築成の円墳で、上段が直径9.4m、テラス状の下段が直径13.8m、高さは上段・下段あわせて4mを少し超えると推測されています。7世紀末から8世紀初頭にかけて築造された終末期古墳です。
 ここからは、残念ながら檜前(ひのくま)に丘陵がありと見ることができませんでした。

    
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明日香村のどこからも見える?「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」(1)

2023年01月16日 19時58分07秒 | 歴史
奈良県明日香村越において、飛鳥時代の女帝「斉明天皇」の真陵とされる「牽牛子塚(けんごしづか)」古墳(国史跡)の整備が終わり現在、当時の天皇陵に特有の八角形の古墳(八角墳)の築造当時の姿を見ることができます。
この古墳の東方面からは、明日香村のいたる所から見えます。
一番は、古墳の東側方面約4~5㎞位の所の「朝風峠(平田峠)」です。はっきりと見えます。

ところで明日香村には、「斉明天皇」との関わりのある古墳があります。
ふとこれらの古墳は、血縁関係のある「斉明天皇」が眠っている「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」を意識して築かれたのではないかと思いました。
とすると、ひょうとして「斉明天皇」と血縁関係のある古墳から見えるのではないかと思い、確かめてきました。

今回は、明日香村のどこからも見える?「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」を、数回にわたって紹介したいと思います。

〇「斉明天皇」と血縁関係のあると思われる古墳
1「斉明天皇」の子と孫(天武・持統天皇陵)
2「斉明天皇」の初葬?(斉明天皇と天智天皇の子である皇子)かもしれないとされる「鬼の雪隠・俎板古墳」? 
※諸説あり
3「斉明天皇」と孫(天武天皇の皇子である忍部皇子)が葬られているかもしれないとされる「高松塚古墳」? 
※諸説あり
4「斉明天皇」の孫(天武天皇の皇子である高市皇子)が葬られているかもしれないとされる「キトラ古墳」? 
※諸説あり
5「斉明天皇」のひ孫(草壁の皇子である文武天皇)が葬られているかもしれないとされる「中尾山古墳」
があります。
全て、「牽牛子塚(けんごしづか)」古墳の東側方面に造られています。

1回目は、「天武・持統天皇陵」・「鬼の雪隠・俎板古墳」です。
1「斉明天皇」の子と孫である「天武・持統天皇陵」
天武天皇と皇后の持統天皇の合葬陵で,桧隅大内陵ともいいます。8角形の5段築造で,東西45m,南北50m,高さ9mです。1235年に盗掘にあいました。
「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」と同様に、天皇陵に特有の八角形の古墳(八角墳)です。表面も同様に、凝灰岩の切り石を張り巡らせていました。
多分、母である「斉明天皇」の御陵を参考にしたのではないかと思います。
残念ながら、ここからは「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」は途中の木々があって見えませんでした。
ひょとして、築造当時は見えていたのではないかと思いました。距離的には、約3㎞位でしょうか・・・

             

2「斉明天皇」の初葬?(斉明天皇と天智天皇の子である建皇子)かもしれないとされる「鬼の雪隠・俎板古墳」
「鬼の雪隠・俎板古墳」は、古墳の石室石材の一部です。鬼の俎は刳貫式の横口式石槨の底石、雪隠は蓋石にあたります。墳丘は失われてしまいましたが、7世紀後半に築造された古墳だったと考えられています。東西約41mの長方墳で墳丘にはには二つの石槨があったと考えられているようです。一つは、「斉明天皇」。もう一つは孫の建皇子」ではないかという説もあるようです。
こちらも同様に、途中の木々があって見えませんでした。
こちらも、築造当時は見えていたのではないかと思いました。
距離的には、約3㎞位でしょうか・・・

    
 



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奥飛鳥と呼ばれている栢森地区の「綱掛け神事(女綱)・2023」

2023年01月12日 09時32分50秒 | 散歩
奈良県明日香村稲渕・栢森地区において、1月に「綱かけ神事」が行われました。
「綱掛け神事」は、稲淵と栢森両大字に伝わる神事です。
前回は、奥飛鳥と呼ばれている稲渕地区の「綱掛け神事(男綱)・2023」の様子を紹介しました。
今回は、奥飛鳥と呼ばれている栢森地区の「綱掛け神事(女綱)・2023」の様子を紹介したいと思います。
 明日香村では、毎年「成人の日」に稲渕地区で「男綱(おずな)」が、1月11日の日には柏森地区で「女綱(めずな )」の神事が行われ、豊作を祈って新しく 作り掛け替えられます。
「綱かけ神事」は、子孫繁栄と五穀豊穣を祈るとともに、悪疫などこの道と川を通って侵入するものを押しとめ、住民を守護するための神事と言われています。「男綱」は柏森のさらに奥にある男渕の竜神を、「女綱」は女渕の竜神を祭っているといわれています。

〇稲渕からさらに南にある柏森(かやのもり)地区の「女綱の綱掛神事」は、「男綱」と対になる「女綱」です。 
寒い中、栢森地区の方が集落から「女綱」を運んでこられ、福石(陰物ともいう)と呼ばれる石の上に祭壇を設け、僧侶の法要の後、飛鳥川の上に陰物を形どった「女綱」を掛けられました。
栢森大字の神事の特徴は、全体を仏式で行なわれます。ちなみに、稲渕地区での「男綱の綱掛神事」は神式で行われます。最後に、両神事とも参加者全員にミカンが配られました。
今年は、15時15分頃から行われ16時15分頃には終了しました。
明日香村という歴史の地で、郷土行事を通しその一端に触れさせていただきました!

               

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奥飛鳥と呼ばれている稲淵地区の「綱掛け神事(男綱)・2023」

2023年01月09日 17時02分58秒 | 散歩
今年も、飛鳥の魅力を中心に色々と発信していきたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します!
今回は、奥飛鳥と呼ばれている稲淵地区の「綱掛け神事(男綱)・2023」の様子を紹介したいと思います。
 奈良県明日香村稲渕・栢森地区において、毎年「成人の日」(2023年1月9日)に稲渕地区で「男綱(おずな)」が、1月11日の日には柏森地区で「女綱(めずな )」の神事が行われ、豊作を祈って新しく 作り掛け替えられます。
「綱かけ神事」は、子孫繁栄と五穀豊穣を祈るとともに、悪疫などこの道と川を通って侵入するものを押しとめ、住民を守護するための神事と言われています。「男綱」は柏森のさらに奥にある男渕の竜神を、「女綱」は女渕の竜神を祭っているといわれています。

〇稲渕地区の「男綱の綱掛け」の「男綱」は、長さ約80m、重さ300kg位あります。稲渕地区の住民の方が勧請橋の所で、朝からわらを編んでおられました。高さ約1.5m・直径30cmほどのシンボルが綱と共に飛鳥川をまたいで、長い注連縄が張られます。張る時は、一般の参加者も一緒になって行います。今年は、昨年よりは参加者が増えていました。また、橋の傍では甘酒の接待もあり心も体も温まりました。
「男綱」を掛け渡した後に、神所橋と呼ばれる橋に祭がを設けられた場所で、神職による御祓いが行われ、最後に竹串にミカンとお札のついた物を参加者がいただいて終了となります。
今年は、13時30分頃から始められ15時頃には終了しました。
 今年こそは、コロナの終息を願いながら参加しました!

              

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