泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

石室がそっくりな「岩屋山古墳とムネサカ古墳」

2020年02月21日 10時54分18秒 | 歴史

奈良県明日香村に所在する「岩屋山古墳」は、近鉄飛鳥駅から約5分位の所にある古墳です。古墳は開口しており石英閃緑岩(通称、飛鳥石)の切石を使った見事な石室はとても有名です。この石室とそっくりな「ムネサカ古墳」がお隣の桜井市の山の中にあると知り、歴史散策してきました。

今回は、石室がそっくりな「岩屋山古墳とムネサカ古墳」を紹介したいと思います。

〇奈良県明日香村大字越に所在する「岩屋山古墳」は、周辺には牽牛子塚古墳や真弓鑵子塚古墳、マルコ山古墳等、多くの終末期古墳が点在しています。
明治時代にはイギリス人のウイリアム・ゴーランドが来村し、古墳の石室を調査して「舌を巻くほど見事な仕上げと石を完璧に組み合わせてある点で日本中のどれ一つとして及ばない」と『日本のドルメンと埋葬墳』の中で紹介しています。調査の結果、墳丘は1辺約40m、高さ約12mの2段築成の方墳で墳丘は版築で築かれており、下段テラス面には礫敷が施されていることが明らかとなりました。埋葬施設については石英閃緑岩(通称、飛鳥石)の切石を用いた南に開口する両袖式の横穴式石室です。規模は全長17.78m、玄室長4.86m、幅約2.8m、高さ約3mで羨道長約13m、幅約2m、高さ約2mを測ります。7世紀中頃の古墳と思われます。墳形は下段部が明らかに方形であることから、発掘調査では方墳とされていますが、下段部は方形であるが、上段部を八角形に築いた八角墳ではないかという説もあるようです。八角墳と言えば、飛鳥地域では天皇のみ許された古墳の形態です。

石室がそっくりな「ムネサカ1号墳」でも凝灰岩の破片が多く出土していることから、「岩屋山古墳」でも凝灰岩製の家形石棺が安置されていたと推定されます。被葬者については、「斉明天皇」や「吉備姫王」等が候補として挙げられていますが、斉明天皇は「牽牛子塚古墳」(明日香村)・吉備姫王は「カナヅカ古墳」(明日香村)が考えられています。はたして八角墓の可能性がある「岩屋山古墳」は、どなたが眠っておられるのでしょうかね~・・・

         

〇奈良県桜井市に所在する「ムネサカ一号墳」は、山上にある古墳です。「ムネサカ一号墳」の石室は「屋山古墳」と同じ設計図(規格)をもとに同一工人集団が作ったと思われるそうです。見つけにくい古墳のひとつで、私も、実際に行かれた方のブログを参考にようやくたどり着くことが出来ました。こんな山奥に、こんな立派な石室があったとは、誰もが思うような古墳です。しかも、東西にそっくりな2基の古墳が並んでいます。元は4基あったようですが、内2基はすでに消滅しており、通常「ムネサカ古墳」といえばこの1号墳を指します。県史跡で径45m、高さ8mの2段築成の円墳です。石室の全長は16.6m、玄室長4.6m、幅2.7m、奥壁、側壁ともに2段積みの花崗岩の切石を使っており壁の隙間には漆喰が詰められており今も見ることが出来ます。玄室内の床面には、直径40cm前後の石が平坦に敷かれ、石床としていたようです。石室の様式は、明日香村の「岩屋山古墳」とほぼ同スケールですが岩屋山ほど切り石は平坦化されていません。被葬者は、近くにある栗原寺の建立に関係した中臣氏との関連が考えられます。7世紀中頃の飛鳥政権をささえた貴族の墳墓の一つと考えられているようです。残念ながら、真横にあるもう一つの古墳の「ムネサカ二号墳」の入り口は開口しているのですが、土砂が入っており中まで入ることができませんでした。石室は、一号墓と同じような石室だったのでしょうか? 

それにしても、こんな山奥に「岩屋山古墳」と同じ立派な石室を持つ古墳の被葬者とは、一体誰なのでしょうかね~・・・  とてもロマン溢れる、歴史散策となりました!

                    

 

 

 

 

        

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日本書紀にも登場する「長柄神社がある名柄の街」

2020年02月14日 17時23分08秒 | 散歩

久しぶりに、「葛城の道」の「名柄」を散策してきました。奈良県御所市の郊外にある小さな集落です。葛城山の尾根をひかえた「名柄(ながら)」の地名は、古くは「長柄」といいそれがいつしか転じて現在の名になったといいます。「名柄」は宿場町として栄えた町です。町の中心にある「長柄神社」は、日本書紀に記されている由緒ある神社です。

今回は、日本書紀にも登場する「長柄神社がある名柄の街」を紹介したいと思います。

町の中央には、日本書紀にも登場する「長柄神社」が鎮座しています。神社は町の中にありながら、何本も巨木が境内に聳え、その歴史の深さを感じさせてくれます。本殿は一間社春日造・檜皮葺・丹塗り、創建年代は不明ですが、建築様式から1450年ころと思われます。『日本書紀』には、680年9月9日条に「朝嬬に幸す。因りて大山位より以下の馬を長柄杜に看す。乃馬的射させたまふ」とあり、天武天皇が「長柄神社」にて流鏑馬をご覧になったことが記されています。とても静かな雰囲気のある神社でした。

「名柄」は、明日香村からは車で約30分位の所に位置します。神社の前の道が「水越街道」です。かつて多くの人がこの道を登り、峠を越えて大阪と行きかいした場所です。登山や山頂のツツジで有名な葛城山の麓にあるこの地は、奈良と大阪を結ぶ水越街道・御所市を南北に貫く葛城古道(名柄街道)が交差する場所であったため、古くから交通の要衝として栄えていました。今でも当時の重厚な家屋が眺められるほか、古い郵便局を改装したカフェやこだわりの豆腐店もあり、散策に最適なスポットになっています。ここには旧街道沿いに古い民家が軒を連ねていて、江戸時代の雰囲気を色濃く残しています。中村邸は御所市内で最も古い建築物で、中世、吐田(はんだ)城主だった吐田越前守の子孫にあたる中村正勝が、慶長年間(1596~1615)頃に建てたものと推定されています。江戸初期の家の造りを今に伝えるこの建築物は、全国的にみても歴史的価値の高いもので、国の重要文化財にも指定されています。また、名柄の地には、末吉邸、久保邸など、江戸中期の特徴的な建物も多く、現在でも大切に生活の場として利用されています。そのため、残念ながら中村邸を始め建築物や敷地の中には入って見ることができませんでした。大和には、この様な古い街並みが数多く残っていますね~。久しぶりに、のんびりと散策することが出来ました!

 

                                              
 

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長谷寺 「大黒天祭節分会・2020」

2020年02月08日 10時57分56秒 | 歴史

2月3日に奈良県桜井市「長谷寺」において、季節の節目の邪気を追い払う行事「 節分祭」が行われました。昨年に引き続き、参加してきました。

今回は、長谷寺 「大黒天祭節分会・2020」の様子を紹介したいと思います。

「長谷寺」は、奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山派総本山の寺です。山号を「豊山」、院号を「神楽院」と称します。本尊は十一面観音で、開基(創立者)は僧の道明とされます。西国三十三所観音霊場の第八番札所であり、日本でも有数の観音霊場として知られています。一年を通じ「花の寺」として親しまれています。本尊の十一面観音菩薩は、高さ9.18mを誇る日本最大級の木彫仏です。また、『源氏物語』や『枕草子』などの古典の中でも記される、歴史あるお寺です。明日香村から、車で約20分の所にあります。

2020年の「節分祭」は、春を思わせるような天気でした。

・8:30~ 大黒堂において大黒天祭法要がありました。大黒祭ではリアル大黒様にお加持していただきました。
・9:30~ 豪華景品の当たる福引付福徳豆の授与を開始されました。景品の当たる福引は1回:300円です。楽しみにしていた「くじ付き福豆」を5枚買って引きました。
・10:30~ 節分会法要のあと11時前には、福娘・福男による「豆まき」が行われました。長谷寺では、豆まきの時は、「だだおし」で鬼を払うため、「福は内」しか言わないそうです。今年も、多くの方が来られていました。今回は、「福徳豆」を20個いただきました。そのうち、幸運の5円玉が4個入っていました。大事に財布の中に入れました。
今回で3回目の参加ですが、前回と同様にお接待の甘酒がいい具合のお味でとても美味しかったです。「節分祭」後、牡丹が笠かぶっている風景を撮りに行きました。

今年の「くじ付き福豆」では、「大黒天のお札」をいただきました。何かいいことが待っているかな・・・  今年も、とても楽しい「節分祭」となりました!

                    

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飛鳥坐神社の奇祭「おんだ祭・2020」

2020年02月03日 17時43分57秒 | 散歩

奈良県明日香村「飛鳥坐神社」において、2月2日に「おんだ祭」が行われました。久しぶりに、祭りに参加してきました。

今回は、飛鳥坐神社の奇祭「おんだ祭・2020」の様子を紹介したいと思います。

「おんだ祭」の日は、春のような暖かい天候でした。お祭りが始まるのは14時からですが、神社前では天狗の面をかぶった男性が青竹をもって、通行人のお尻を叩いて廻っていました。これは、ちゃんとした神事の一つで、青竹(ササラといいます)でお尻を叩かれることで、厄払いをするそうです。進んで、叩かれる方も多かったようです。私も、いつの間にか叩かれていました。

お祭りは、14時からですが早目の13時頃に行ったのですが、すでに境内はものすごい観客の数でした。13時過ぎには、居合の演舞や奉納の舞いが行われました。

14時丁度に、太鼓が鳴って神事がスタートしました。巫女さんによる舞や儀式等が終わると、いよいよ神事である「農耕の様子」と「種付け」が行われました。

「おんだ祭」とは、「御田植祭」ということで、「五穀豊穣と子孫繁栄」を祈る祭りとされています。

「祭り」の最後に、「拭くの神(福の神)」と言われる紙が、天狗さんやお福さんによって観客に向かって投げられました。この紙をいただくと、子宝に恵まれるというご利益があるそうです。多くの方が求められていました。15時過ぎには、すべての神事が終わりました。

西日本を代表する奇祭とされる、飛鳥坐神社の「おんだ祭」。久しぶりに参加してみて、あらためて飛鳥のすばらしいさを実感させられるひと時でした!

                                 

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