奈良県明日香村に所在する「岩屋山古墳」は、近鉄飛鳥駅から約5分位の所にある古墳です。古墳は開口しており石英閃緑岩(通称、飛鳥石)の切石を使った見事な石室はとても有名です。この石室とそっくりな「ムネサカ古墳」がお隣の桜井市の山の中にあると知り、歴史散策してきました。
今回は、石室がそっくりな「岩屋山古墳とムネサカ古墳」を紹介したいと思います。
〇奈良県明日香村大字越に所在する「岩屋山古墳」は、周辺には牽牛子塚古墳や真弓鑵子塚古墳、マルコ山古墳等、多くの終末期古墳が点在しています。
明治時代にはイギリス人のウイリアム・ゴーランドが来村し、古墳の石室を調査して「舌を巻くほど見事な仕上げと石を完璧に組み合わせてある点で日本中のどれ一つとして及ばない」と『日本のドルメンと埋葬墳』の中で紹介しています。調査の結果、墳丘は1辺約40m、高さ約12mの2段築成の方墳で墳丘は版築で築かれており、下段テラス面には礫敷が施されていることが明らかとなりました。埋葬施設については石英閃緑岩(通称、飛鳥石)の切石を用いた南に開口する両袖式の横穴式石室です。規模は全長17.78m、玄室長4.86m、幅約2.8m、高さ約3mで羨道長約13m、幅約2m、高さ約2mを測ります。7世紀中頃の古墳と思われます。墳形は下段部が明らかに方形であることから、発掘調査では方墳とされていますが、下段部は方形であるが、上段部を八角形に築いた八角墳ではないかという説もあるようです。八角墳と言えば、飛鳥地域では天皇のみ許された古墳の形態です。
石室がそっくりな「ムネサカ1号墳」でも凝灰岩の破片が多く出土していることから、「岩屋山古墳」でも凝灰岩製の家形石棺が安置されていたと推定されます。被葬者については、「斉明天皇」や「吉備姫王」等が候補として挙げられていますが、斉明天皇は「牽牛子塚古墳」(明日香村)・吉備姫王は「カナヅカ古墳」(明日香村)が考えられています。はたして八角墓の可能性がある「岩屋山古墳」は、どなたが眠っておられるのでしょうかね~・・・
〇奈良県桜井市に所在する「ムネサカ一号墳」は、山上にある古墳です。「ムネサカ一号墳」の石室は「岩屋山古墳」と同じ設計図(規格)をもとに同一工人集団が作ったと思われるそうです。見つけにくい古墳のひとつで、私も、実際に行かれた方のブログを参考にようやくたどり着くことが出来ました。こんな山奥に、こんな立派な石室があったとは、誰もが思うような古墳です。しかも、東西にそっくりな2基の古墳が並んでいます。元は4基あったようですが、内2基はすでに消滅しており、通常「ムネサカ古墳」といえばこの1号墳を指します。県史跡で径45m、高さ8mの2段築成の円墳です。石室の全長は16.6m、玄室長4.6m、幅2.7m、奥壁、側壁ともに2段積みの花崗岩の切石を使っており壁の隙間には漆喰が詰められており今も見ることが出来ます。玄室内の床面には、直径40cm前後の石が平坦に敷かれ、石床としていたようです。石室の様式は、明日香村の「岩屋山古墳」とほぼ同スケールですが岩屋山ほど切り石は平坦化されていません。被葬者は、近くにある栗原寺の建立に関係した中臣氏との関連が考えられます。7世紀中頃の飛鳥政権をささえた貴族の墳墓の一つと考えられているようです。残念ながら、真横にあるもう一つの古墳の「ムネサカ二号墳」の入り口は開口しているのですが、土砂が入っており中まで入ることができませんでした。石室は、一号墓と同じような石室だったのでしょうか?
それにしても、こんな山奥に「岩屋山古墳」と同じ立派な石室を持つ古墳の被葬者とは、一体誰なのでしょうかね~・・・ とてもロマン溢れる、歴史散策となりました!
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