泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

飛鳥 「光の回廊2015」 

2015年08月30日 22時28分49秒 | 散歩

奈良県明日香村において、8月29・30日に、「飛鳥 光の物語」(古代から現代・未来への懸け橋)というテーマで、催し物が行われました。

今年は、残念ながら雨の影響で一部しか実施されませんでした。一部分ですが、紹介したいと思います。

・「石舞台芝生広場」では、「飛鳥光の食舞台&肉バルin飛鳥」ということで、グルメ屋台が集合し雨天ながら参加者が美味しそうに飲食されていました。

        

・「川原寺」跡では、いつもは光の芸術があるのですが、今年は寂しく「朱雀と旗」のみでした。

   

・「高松塚地区」の広場では、小雨にもかかわらず「光の地上絵」を見ることができました。今年のテーマは、「祝 日本遺産登録」ということで、飛鳥時代を創った女性天皇(推古・斉明・持統天皇)の形を、色鮮やかな地上絵で見ることができました。また、国営飛鳥歴史公園で活躍されているボランティアグループ「里山クラブ」の皆さんの力作「天の川」も、とても綺麗でした。展望台の所に設置されていた、「創造の卵」から発せられる光が幻想的でした。

             

・「飛鳥京」跡では、若手アーティストによる不思議な「光の作品」を見ることができました。

     

・「飛鳥寺」では、ライトアップされていて普段は閉じられている本堂正面から、日本最古の大仏様を見ることができました。

   

・「琴の演奏・雅楽・光の広場」を、楽しむことができました。古都「飛鳥」でしか、味わうことができない美しい音色でした。

今年は、残念ながら小雨の中の「飛鳥 光の回廊」散策でしたが、とても素敵な時間を過ごすことができました! 来年も楽しみにしています・・・

                     

 

 

 

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ブライズミ 「飛鳥京への道」探訪

2015年08月20日 17時49分26秒 | 散歩

古地図を参考にしながら歩くという「ブラタモリ」という番組がありますが、いつも興味深く視聴しています。

飛鳥を散策していて、ふと「飛鳥京」へ入る道は一体どこなのだろうか?

古代の人々は、「飛鳥京」に入る時にどの様な景色を見ながら歩いていたのだろうと想像してみました。

今回は、古地図を参考にしながら歩くという「ブラタモリ」とは違って、何の根拠もありませんが「飛鳥京」へ入る道を、「ブラタモリ」ならぬ「ブライズミ」をしてみました。

飛鳥には、古代の道の跡がほとんど発見されていませんが、ほんの少しの古代の道路跡や遺跡・資料等を参考にしながら探訪してみました。

「平田キタガワ遺跡」・・・飛鳥京に入る玄関口?

下ツ道・紀路(ほぼ現在の国道169号線に重なるようです)から飛鳥に入る玄関口には、「平田キタガワ遺跡」という遺跡があります。飛鳥京(第Ⅲ期)に類似した石敷きや、石組護岸・敷石・石列などが発見されています。遺構の性格についても、断定できるものは検出されなかったようです。この遺跡は、下ツ道・紀路を通って「飛鳥京」に入っていく入口になると思われます。ここには、斉明朝時の「石神遺跡」のような迎賓館的な施設が建てられていたことが推測されています。ここで、外国からの使節団等が色々とおもてなしをうけたのでしょうか?この立地は、「天武・持統陵」へと続く谷筋になっています。ここから、平田川沿いに歩いてみました。

       

「欽明天皇陵」・「カナヅカ古墳」・「鬼の俎(まないた)・雪隠(せっちん)古墳」・「天武・持統陵」・・・丘陵に一直線上に並び、南側を意識して造られた古墳を見ながら歩いたのでは?

「欽明天皇陵」 明日香村平田にある「梅山古墳」と呼ばれる宮内庁管理の古墳です。墳長は約140mあり、墳丘は北側が2段、南側が3段に築成されています。周濠があり、北側に比べ南側が広く造られていたようです。この古墳は南から見る時に、より壮大に見える工夫がなされていたようです。この場所は、下ツ道・紀路から飛鳥に入る玄関口にあたる地点です。この南には、迎賓館的な施設の「平田キタガワ遺跡」があります。

「カナヅカ古墳」は、現在は小さな墳丘に見えるのですが、築造当時は墳丘全面に東西60m、南北25mの大規模なテラスを持っており、その上に一辺約35mの2段築成の方墳であったと考えられています。やはり、南側を意識して築造されたのでしょうか。

「鬼の俎(まないた)・雪隠(せっちん)古墳」は、奇妙な名前を持つこの古墳は、昔このあたりに鬼が住み、旅人を捕まえては上の俎で調理して食べ、下の雪隠で用を足したという伝承がある古墳です。欽明天皇陵から天武・持統陵に至る同丘陵上ある古墳です。やはり、南側を意識して築造されているようです。

「天武・持統陵」は、飛鳥時代を創った天皇の古墳です。高さ約9m・東西約58m・南北約45mで全面石で覆われた5段築成の八角慕です。2室からなる切石積みの石室があり「天武天皇」の棺と「持統天皇」の金銅製骨臓器が納められていたといわれています。鎌倉時代に盗掘にあい、大部分の副葬品が奪われたようです。

               

 「川原下の茶屋遺跡」・・・飛鳥時代の交差点?

この遺跡からは、飛鳥時代の交差点が検出されていて、数少ない道路跡の遺跡です。東西道は、道幅約12m・南北道は道幅約3mで側溝もみつかっています。東西道路は、直線道路と考えられ、西は下ツ道に交わり、東は飛鳥京に続くと思われます。この道路は、川原寺の南門と橘寺の北門の間を通っているようです。地図で確認してみると、飛鳥京のエビノコ郭の西門に突き当ります。ひょうとしたら・・・

この東の道を、歩いてみました。現在、飛鳥遊歩道として整備されており、途中には「亀石」を見ることができます。細い道をまっすぐに歩いて行くと、橘寺はすぐそこにみえていますが田んぼにつきあたりました。

ここで「ブライズミ」で予想しました。「川原下の茶屋遺跡」で見つかった東西道は、道幅約12mです。この田んぼに痕跡は無いだろうかと。ひょっとしてこの畦ではと思い、歩幅で確認してみました。

「ん~、ここかな!?」段差を考えながらさらに歩いて行くと、小さな橋がかかっておりまっすぐに行き、銀行の横の道を歩くと飛鳥京のエビノコ郭の西門に突き当りました!

歴史の楽しみ方も色々な形がありますね。今回、何の根拠もない「ブライズミ」の探訪でしたが、とても楽しかったです!

                              

 

 

 

 

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遠の朝廷(とおのみかど) 「大宰府の歴史道」散策

2015年08月17日 21時22分32秒 | 散歩

飛鳥時代に成立したとされる九州(福岡県太宰府市)の「大宰府政庁」は、遠の朝廷(とおのみかど)と呼ばれ、九州の政治・経済・外交・防衛を担当しました。

大宰府においても、「飛鳥の遊歩道」と同じように、「歴史の道」があります。

九州で亡くなった天智天皇の母である「斉明天皇」を弔った「観世音寺 」から、「大宰府政庁」までの「歴史の道」を紹介したいと思います。

(行程)

「観世音寺」(斉明天皇を弔った寺で、飛鳥にある川原寺と同じ伽藍配置です)ー「戒壇院」(奈良時代の三戒壇院の一つです)-「玄の墓」(奈良時代の僧で、大宰府の地で亡くなりました)-「清水山弘法の池」(1200年以上も前から、この地の人々に大切にされている清水です)ー「武藤氏の墓」(鎌倉時代、元寇の時の武将の墓です)-「学校院跡」(奈良時代、吉備真備により設置された役人を養成する学校です)-「坂本八幡宮」(政庁の近くにあり、奈良時代に大宰府の長官として赴任し、万葉歌人としても有名な大伴旅人の邸宅跡の候補地の一つです。境内には、がらんさまと呼ばれる立石がありあります。飛鳥にも、同じような謎の立石があります)ー「大宰府展示館」(政庁で発掘された物や、大宰府の歴史を紹介する展示館で、ボランティアガイドの方も常駐されています)ー「大宰府の官衙跡」(役所の跡や塀の跡を見ることができます)ー「朱雀門の礎石」(大宰府政庁朱雀門の礎石で、近くの川から発見され重さが約4トンもある礎石です)ー「大宰府政庁」跡(7世紀後半に、九州の政治・経済・外交・防衛を担当した役所で、史跡公園として整備されています)

「大宰府の歴史道」を歩くと、「飛鳥の地」と同じ感覚に陥るのは私だけなのでしょうか!

                                                                       

 

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明日香の 「神奈備(かむなび)山」

2015年08月14日 10時15分49秒 | 歴史

「三諸(みもろ)の 神奈備(かむなび)山ゆ との曇り 雨は降り来ぬ 天霧(あまぎ)らひ 風さえ吹きぬ 大口の 真神の原ゆ 思いつつ 帰りにし人 家に至りきや」(万葉集)

「万葉集」には、「明日香の神奈備山」が詠まれています。古代、飛鳥の人々が神様が特別に来臨(らいりん)すると考えていた聖なる山です。

平安時代の歴史書である「日本紀略」には、829年の項に「大和國高市郡賀美郷甘南備山の飛鳥社を同郡鳥形山に遷す。神の託宣に依るなり」と記されています。この記事にある鳥形山には、飛鳥坐神社(明日香村大字飛鳥)が鎮座していて、この場所が平安時代以降、新たに「明日香の神奈備山」となったようです。

この移動によって「明日香の神奈備山」の所在が不明となりました。現在有力な候補地として、雷丘(いかづちのおか)説、甘樫丘(あまかしのおか)説、岡寺山説、ミハ山説などがあるようです。

はたして、古代の人々にとって「三諸(みもろ)の 神奈備(かむなび)山」は、一体どこなのでしょうか。思いを巡らせながら、歩いてみました!

                 

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夏の風景 「飛鳥遊歩道」

2015年08月08日 20時50分20秒 | 散歩

奈良県明日香村には、いたる所に「飛鳥遊歩道」があります。どこの遊歩道を歩いても、とても気持ちがいいです。

今回は、その中でもよく散策する「飛鳥遊歩道」の風景を、紹介したいと思います。

天智天皇が、飛鳥時代を創った母の「斉明天皇」を弔って建てられた「川原寺」から、飛鳥川沿いに歩きながら「飛鳥京」に至る道です。

(散策のコース)

川原寺ー川原寺裏山遺跡(川原寺が何回か焼失した時に、仏具関係を埋めた場所です)ー川原寺工房跡(川原寺で必要な物を作った工房跡です)-ミロク石(飛鳥の謎の石仏の一つです)-入鹿首塚(乙巳の変の時に、蘇我入鹿の首が中臣鎌足を追って落ちた場所と言われる所です)-真神原(飛鳥の中心の場所で、蓮の花がとても見事でした)-飛鳥苑池遺構(斉明・天武天皇の時の苑池跡で、発掘作業がさらに続いていました)ー飛鳥京跡(飛鳥時代の宮殿跡で、夕焼けがとても素晴らしいです)

「飛鳥」の夏は、観光をする人がとても少ないせいか、のんびりと散策することができました!

                                                                  

 

 

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