泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

奈良県橿原市にある古代寺院「田中廃寺と和田廃寺」

2024年07月08日 11時17分19秒 | 歴史
奈良県橿原市田中町にある「田中廃寺」は、舒明天皇が636年に飛鳥岡本宮の焼失後、百済宮に遷るまでの田中宮(仮宮)としてこの地に構えたといわれ、その後寺院(田中廃寺)が建立されと考えられています。発掘調査から、7世紀中頃と考えられています。 
現在、法満寺境内において田中廃寺の礎石を見ることができます。
以前は、法満寺付近が田中廃寺の中心地ではないかと考えられてきました。
しかし、発掘調査の結果、田中廃寺は法満寺付近ではなくその西側にある「弁天の森(べんてんのもり)」付近に中心部分があるらしいことがわかりました。
田中廃寺の一帯は、舒明天皇(じょめいてんのう)が、飛鳥岡本宮(あすかおかもとのみや)が焼失した後、厩坂宮(うまやさかのみや)に遷るまでの間の仮宮とした田中宮(たなかのみや)があったと考えられています。田中廃寺は、宮があった地に後に造られた寺院と考えられています。
「弁天の森」は、周囲より一段高い檀状の高まりがあり田中廃寺の基壇と考えられています。また、「弁天の森」のすぐ近くに「天王藪」と呼ばれる所があり田中廃寺の基壇とみる説もあるようですが古墳のようにも見えます。

         

〇橿原市和田町にある「和田廃寺」は、田中廃寺より南にに数分歩くと水田の中にぽつんと土壇(どだん)が現れます。これが飛鳥時代の古代寺院の1つである和田廃寺の塔の跡です。現在、礎石を見ることができます。
和田町にある寺院の跡であることから、和田廃寺と呼ばれています。
和田廃寺は、周辺にはトウノアト・堂の前といった地名が残るなど、古くからその存在を知られていました。
発掘調査によって、和田廃寺は7世紀後半から8世紀後半まで存続した寺院で、現在の土壇は、塔の基壇(きだん)の西半分であること、本来の塔基壇の大きさは、一辺12.2メートルに復原できることが分かりました。また、高さ1.27メートル、幅0.76メートルの鴟尾(しび)も出土しました。
鴟尾は、明日香村にある飛鳥資料館で見ることができます。
和田廃寺の寺域や伽藍配置の全体像は、未だに謎のままです。
飛鳥地域にある二つの古代寺院跡、特に説明板等ありませんが古代史が好きな方にとってお薦めのスポットです!

            
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