大阪府枚方市にある「百済寺跡」は、750年頃に百済王敬福(くだらのこにきしきょうふく)によって建立されたと言われています。
百済の王族の末裔である百済王氏(くだらのこにきし)一族が氏寺として建立したと考えられる寺院の跡です。
京阪電車交野線「宮之阪駅」から、徒歩約7分の所にあります。
百済王氏は、百済国が滅亡(660年)した際に倭国に派遣されていた百済王義慈王の王子の禅広(善光)を祖とする氏族で、持統朝に「百済王」という氏族名を賜りました。百済王敬福は、百済義慈王の子禅広の曾孫 にあたります。
百済寺跡は発掘調査によって、南門・中門・金堂・講堂・北方建物(食堂)・北門が中軸線上に並び、中門から発した回廊が金堂に取りつき、回廊内に東西に2つの塔が並ぶ建物の配置がわかっています。また寺の範囲は約140m四方で築地塀が廻り、堂塔院・僧院のほかに少なくとも4つの区画に分かれていたことが明らかになりました。建物の基壇(基礎)には凝灰岩切石を用いており、平城京の大寺院と同じような立派さです。古代の一時期、天皇家に次ぐ有力氏族であった百済王氏の寺院として、格の高い寺院であったことがわかります。
古代日朝文化交流の史実をあらわす価値の高い史跡であるとして、1941年に国史跡に、1952年には特別史跡に指定されました。
現在は、全国でも初めての史跡公園として市民の憩いの広場に整備されています。
また、公園の隣には百済王氏の祖霊を祭る百済王神社があります。
円形に加工した精巧な礎石が多く残り、奈良時代創建当時の主要堂塔の土壇などが良好に遺存する数少ない遺跡で 、見応えある史跡公園です!
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