泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

飛鳥の 「彼岸花風景」

2016年09月28日 17時15分23秒 | 散歩

奈良県明日香村の稲渕地区は、「日本の棚田百選」に選ばれている所です。秋になると、棚田の畦の部分に植えられた「彼岸花(ひがんばな)」が咲き誇り、稲の緑と美しいコントラストを魅せてくれます。

今回は、飛鳥の「彼岸花風景」を紹介したいと思います。

「彼岸花」は、別名「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」とも呼ばれ、9月中旬の秋のお彼岸ごろに、細い花弁が放射状に広がる独特の形の花を咲かせます。茎の太い部分(鱗茎)には毒があり、田の畦や墓地など、地中を荒らす小動物を遠ざけるために植えられることが多く、明日香村一帯でも秋の風物詩となっています。


奥飛鳥と呼ばれている稲渕地区は、傾斜地の両側に広がった棚田は全国棚田100選にも選ばれ、秋になると棚田のあぜ道に咲く「彼岸花」を目当てに、全国から多くの方が見物に来られています。

特に9月17・18日には「彼岸花祭り」が催され、稲渕地区では案山子コンテストが実施されました。

どの案山子も力作揃いでしたが、今年の最優秀賞は「棚田のマーメイド」でした。案山子というよりは、芸術作品でした。

昔懐かしい日本の秋の風景が、飛鳥の地に残っており「日本のこころの故郷」とも言われています。

飛鳥は、時の経つのを忘れてしまいそうな気がする素敵な場所です!

                                              

 

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古代にロマンを求めて 「キトラ古墳壁画体験館 四神(しじん)の館」

2016年09月23日 19時55分15秒 | 歴史

奈良県明日香村の「キトラ古墳」(特別史跡、7世紀末~8世紀初め)の近くで、実物の極彩色壁画を保存・公開する国内初の施設「キトラ古墳壁画体験館 四神(しじん)の館」が9月24日、オープンします。

今回は、村内住民対象に内覧会が9月22日におこなわれましたので、「キトラ古墳壁画体験館 四神(しじん)の館」の様子を、一足早く紹介したいと思います。

「キトラ古墳」は、檜前の集落を越えて阿部山に向かう山の中腹にあります。
二段築成の円墳で、上段が直径9.4m、テラス状の下段が直径13.8m、高さは上段・下段あわせて4mを少し超えると推測されます。1983(昭和58)年11月7日に石室内の彩色壁画のひとつである玄武が発見されて、世間や学会から注目を集めました。2000(平成12)年には国指定史跡に指定され、続いて特別史跡に指定されました。


壁画には、現存する世界最古の本格的な星図とされる「天文図」が描かれています。他にも、中国思想に基づいた方角の守護神「四神」(青竜〈せいりゅう〉、白虎〈びゃっこ〉、朱雀〈すざく〉、玄武〈げんぶ〉)、獣頭人身の「十二支像」などが石室内に描かれました。

「四神の館」では9月24日~10月23日、白虎と朱雀の壁画とともに、天文図が初めて公開されます。壁画の発見から33年、異例の石室からのはぎ取りや修理などの苦難を乗り越え、「安息の地」を得ました。

地上1階の「同古墳壁画保存管理施設」(文化庁整備)には、温湿度を管理した壁画保管室があり、大型展示ケースと2カ所ののぞき窓から壁画を見学できる展示室や、副葬品を常設展示する出土品保管室が設置されています。壁画は年4回の期間限定で公開されるようです。

本館地下1階の展示室では、4面の大型スクリーンに最大倍率100倍のマルチ高精細映像を映し出して壁画の詳細な姿が紹介されていました。

石室の大きさを体感できる原寸大模型や壁画の発見、調査、修理の過程を歩むドキュメンタリー展示もあります。シアター(約70人収容)では、修理の様子などを映像で紹介されていました。

他にも、色々なキトラ古墳の詳細が大型スクリーンに展示される「東西南北4面マルチビジョン」があり、真ん中で見るとまるで石室の中にいるような体験ができます。

また、高松塚古墳の極彩色壁画も9月24~30日、村内の修理施設で一般公開されます。西壁女子群像(飛鳥美人)や玄武(げんぶ)を見学できるようで、楽しみです。

古代にロマンを求めての「「キトラ古墳壁画体験館 四神(しじん)の館」の見学、この機会に是非、ご覧になることをおすすめします!

                                                

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 「飛鳥彼岸花祭り 2016」

2016年09月20日 17時15分47秒 | 散歩

奈良県明日香村稲渕地区及び飛鳥歴史公園石舞台地区において、9月17・18日「飛鳥彼岸花祭り」が催されました。

今回は、「飛鳥彼岸花祭り 2016」の様子を紹介したいと思います。

17日は天気は良かったのですが、18日は小雨が降りました。そのせいか、例年より訪れる方が少なかったようです。

稲渕地区においては、彼岸花が咲きほこるなか「案山子コンテスト」が行われました。今年のテーマは「棚田deオリンピック」でした。

案山子ロードには「あすか食広場」が設置され、ロードには色々と工夫された「案山子」が展示されていました。日本の原風景の中での「案山子」、どれも見事な出来でした。

飛鳥歴史公園石舞台地区においては、「飛鳥里山クラブ」の皆さんの協力のもと、昔遊び体験や自然素材のクラフト体験が行われ、子どもたちが楽しんでいました。

18日の18時30分からは、小雨の中、地元の劇団「時空」さんによる劇が公演されました。

今年は、「蒼穹の龍」という題でした。飛鳥時代、「大津皇子」の死霊に取りつかれた「草壁皇子」、母「讃良」の期待に押しつぶされるように「草壁皇子」の心は病んでいく様子を描いた歴史ファンタジーでした。

小雨の中、「時空」さんによる劇を楽しみにしていた方々が熱心に観劇されていました。傘をさしながの観劇でしたが、小雨の中での迫真の「時空」さんの演技、とても見事でした。

1300年前に、「草壁皇子」が実際に住んだとされる「島庄」において公演された「蒼穹の龍」、飛鳥ならではのイベントでした。毎年、楽しみにしています。

10月15・16日には、「古都飛鳥文化祭2016」が催されます。明日香村の芸能・文化・歴史が丸ごと楽しめる「秋のお祭り」です。

飛鳥の秋は、飛鳥ならではのイベントが盛り沢山です。多くの方に来ていただき、日本の原風景を体感していただけたらと思います!

                                            

 

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日本書紀に出てくる 「古代の寺院跡」

2016年09月15日 21時00分59秒 | 歴史

飛鳥の周辺において、日本書紀に出てくる「古代の寺院跡」を見ることができます。今回は、「古代の寺院跡」を紹介したいと思います。

〇本明寺「石川精舎跡」

本明寺「石川精舎跡」は、橿原市石川町にあります。『日本書紀』の記述の中にある寺院です。敏達天皇13年(584)9月の条に、”百済から帰国した鹿深臣(かふかのおみ)が弥勒菩薩の石像一体をもたらし、佐伯連(さえきのむらじ)も仏像一体を持って帰ってきました。この年、蘇我馬子(そがのうまこ)はこれら二体を請い受け、弥勒菩薩象は家の東方に仏殿造って安置した”とされています。さらに、”馬子は石川の家に仏殿を造った。仏法の広まりはここから始まった”とあります。敏達天皇13年(584)に蘇我馬子が石川の宅に造った寺「石川精舎」の跡と伝えられています。

境内に蘇我馬子の五輪塔と伝えられる高さ230cmもある鎌倉時代の立派な石塔があります。住宅地の中にあり、説明版もありませんので見つけるのに苦労しました。

         

〇大窪寺跡

橿原市大久保町にある「大窪寺跡」は、跡地付近に所在する国源寺観音堂(こくげんじ かんのんどう)が法燈を継承するとされ、同寺の境内に伝世される塔心礎は大窪寺のものと推定されます。大窪寺は、天武天皇朱鳥元年(686)八月条の寄進記事にその名がみえているので、天武期の創建であることが窺えます。伽藍配置は明らかではありませんが、塔心礎と伝えられる礎石の位置などから、国源寺本堂のあたりが金堂であった可能性があります。神武天皇陵のすぐ近くありました。

                    

〇軽寺跡

橿原市大軽町にある「軽寺跡」は、「日本書紀」朱鳥元年(686)8月の条に「桧隈寺、軽寺、大窪寺それぞれに30年を期限として寄進する」との記事があります。法輪寺境内に金堂及び講堂と推定される土壇を残すのみで、土壇の位置や地形から法隆寺式ではないかと考えられています。寺域は法輪寺本堂のある丘陵の一部が周辺2m~3mほど際立っており、寺域が及んでいた可能性があります。軽寺の“軽”という文字は大寺の名前によく使用されるほどで、寺域の推定は南北140m以上、東西65m程の大寺であったようです。また境内には第15代天皇応神天皇の『軽島豊明宮跡(かるしまとよあきらのみやあと)』の伝承地とされており碑が立っています。現在は往時の跡形もなく、法輪寺の境内に説明板が記されています。

               

〇保寿院「膳夫寺跡」

橿原市膳夫町にある保寿院「膳夫寺跡」は、聖徳太子妃膳夫姫(かしわてひめ)がその養母を弔うために建立した「膳夫(かしわて)寺跡」と伝えられています。
7世紀後半の瓦や柱穴のある礎石がここから出土しています。境内南に弁天神社、三柱神社が有ります。細い道の、行き止まりの所にある寺院跡でした。

                      

日本書紀を見ながらの歴史散策でした。「古代の寺院跡」は訪れる人もなく、何だか歴史から取り残されたような場所でした。でも、とても興味深く散策することができました!

 

 



 

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奥飛鳥 「初秋の栢森」

2016年09月11日 17時16分21秒 | 散歩

奈良県明日香村には、「奥飛鳥」という場所があります。「奥飛鳥」とは、明日香の南東方向にある稲渕・栢森・入谷の3つの集落をさします。

その中でも栢森集落は、1300年以上も昔、この土地を通って天武・持統天皇が吉野宮滝へ向かわれた場所と伝えられています。

今回は、奥飛鳥「初秋の栢森」を紹介したいと思います。
明日香村全体が、歴史的景観保全のための明日香村特別措置法(1980年施行)による厳しい建築規制を受けています。

「奥飛鳥」3地区を中心とした「奥飛鳥の文化的景観」は、国の「重要文化的景観」にも選ばれていて、日本の原風景でそのものです。

集落入口には飛鳥川に「女綱(めづな)」と呼ばれる綱掛けが渡されています。栢森は集落の背後に高い山を背負う緑深い谷間にあり、村の中央部を流れる飛鳥川の源流域に約50軒位の民家が軒を連ねています。集落の中心には、日本最古の女神だといわれる謎多き「加夜奈留美命」を祭神とする「加夜奈留美命神社」が鎮座しています。

高い建物がなく、ほっと心安らぐ田園風景に包まれた栢森集落の散策は、心がとても癒される素敵な場所ですよ!

                                               

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