泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

この秋開園の 「国営飛鳥歴史公園・キトラ古墳周辺地区」

2016年06月30日 22時04分57秒 | 散歩

奈良県高市郡明日香村檜前・阿部山・大根田地区に、国営飛鳥歴史公園の5番目の地区となる「キトラ古墳周辺地区」が、2016年9月24日(土)に開園します。

今回は、この秋開園の「国営飛鳥歴史公園・キトラ古墳周辺地区」の現在の様子を紹介したいと思います。

この地域は、古代より渡来人が多く住んだ地域です。その中心となる「檜隈寺」は7世紀に建立された東漢氏の氏寺で、飛鳥・白鳳文化の諸寺院のなかでも渡来人の経営になるものとして特徴的な寺院でした。 現在は、「美阿志神社」が立地しています。これまでの調査で、中門跡、塔跡、講堂跡と推定される遺構と礎石が発掘され、伽藍配置をなしていたことが解明されています。

古代より渡来人が多く住んでいたこの地域において、「キトラ古墳」中心に周辺の自然環境や田園景観と合わせ、一体的に保全し、多くの方に飛鳥の歴史や風土、文化を楽しんでいただくために、現在整備中です。

特別史跡に指定されている「キトラ古墳」は、数度に渡る内部探査等により、墳丘や石室、壁画など細部に渡って綿密な調査・分析が行われました。公園内にはキトラ古墳や壁画を分かりやすく楽しく学べる、体感型施設「四神の館」などが開館します。

他にも、四神の広場・檜前寺跡前休憩案内所・農体験小屋(農業体験等が行われます)・体験工房(古代飛鳥の技術を題材としたプログラムが体験できます)などが整備されています。

特に、体験工房においては「古代ガラス」の製作体験のため、古代ガラス製作インストラクターの方々が、本番に備えての予行練習が行われていました。

国営飛鳥歴史公園は、「日本人の心のふるさと」を基本テーマに整備されています。

この秋開園の「国営飛鳥歴史公園・キトラ古墳周辺地区」、とても楽しみにしています!

                                        

 

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古代史話の舞台となった 「海石榴市(つばいち)」

2016年06月26日 20時56分03秒 | 歴史

前回は、5~6世紀ごろの奈良県桜井市南部の大和国家の政治の中心地、「磐余(いわれ)」を中心に紹介しました。

今回は、同時期(5世紀末から7世紀初頭にかけて)の古代の「市」である、奈良県桜井市金屋にある「海石榴市(つばいち)」を中心に紹介したいと思います。

「海石榴市(つばいち)」は、古代の東西南北の交通の要衝であり、また大和川(初瀬側)の河港もあり、磐余や飛鳥に都がおかれた時代に、中国や朝鮮半島の使節は大和川をさかのぼりこの地に上陸しました。

6世紀の半ばに百済の「聖明王(しょうみょうおう)」からの仏教が、伝来した最初の地でもありました。

「海柘榴市」が正史にいくたびも登場することになったのは、もちろんヤマト政権の王宮が何代にもわたって周辺に置かれたからです。

実在が確実視される最初の天皇である「崇神天皇」の磯城瑞籬宮(しきのみつかきのみや)は、まさに「海柘榴市」があった場所です。
この金屋の辺りは大阪から大和川を遡ってくる川船の終着地点でありました。さらに、山の辺の道や上ツ道、山田道、初瀬街道が交差する陸上交通の要衝でもありました。

のためさまざまな物産が集まり、我が国最古の交易市場がこの地に成立しました。市はいつしか「海柘榴市」と呼ばれるようになったようです。

今回は、「海柘榴市」とは至近距離に宮を築いた、「垂仁・雄略・景行・欽明天皇」の宮跡と伝承されている場所も紹介したいと思います。

最後に、飛鳥時代の悲劇の皇子「大津皇子」の邸宅跡と言われている場所を紹介したいと思います。

「敏達天皇」の宮であったところで、奈良県桜井市戒重にある春日神社あたりが伝承されています。「敏達天皇」は欽明天皇の第二子で、仏教をめぐって物部と蘇我が争っていた時代です。

宮はこの後、「大津皇子」の邸宅となっており、皇子はここで死を賜ったと伝えられています。

その「大津皇子」が、死を賜るに際して詠んだ辞世の句が、「大津皇子、死を被(たまわ)りし時に、磐余の池の堤にして涙を流して作らす歌一首」という題詞とともに万葉集に遺されています。

「ももづたふ  磐余(いわれ)の池に  鳴く鴨を 今日のみ見てや  雲隠りなむ」

自邸の近くにあった「磐余の池」の畔で、自由に飛べる鴨たちを見るにつけ、自らが囚われの身であることを嘆いたのでしょう。自らの死を悟って詠んだ、とても悲しい歌ですね。

「二上山」には、天武天皇の子で謀反の疑いをかけられ自害させられた、「大津皇子」の墓があると言われています。

古代に思いをはせながらの歴史散策、今回もとても興味深く散策することができました!

                                                       

   

 

 

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古代史話の舞台となった 「磐余(いわれ)」

2016年06月22日 15時10分33秒 | 歴史

「磐余(いわれ)」とは、奈良県桜井市南部の古地名で、5~6世紀ごろの大和国家の政治の中心地です。この後に、歴史の舞台は「飛鳥」へと移っていきます。

今回は、2回にわたって古代史話の舞台となった「磐余(いわれ)」について紹介したいと思います。

「磐余(いわれ)」は、5~6世紀頃の要地です。現在の桜井市南西部の池之内、橋本、阿部から橿原市の東池尻町を含む同市南東部にかけての地域に、「磐余池」があったと言われているようです。この地域には、池之内や池尻といった字名が現存しているところから、古くには確かに潅漑用の巨大な池が存在したことを伺わせます。

履中天皇が灌漑用の溜め池を作らせたのが、「磐余池」です。『日本書紀』には、履中天皇2年11月条に「磐余池を作る」とあります。

履中天皇の宮「磐余稚桜宮」がこのあたりで営まれ、この池で船をうかべて遊宴されたことが、日本書紀に記述があります。

履中天皇が「磐余池」に船を浮かべて宴遊されたとき、天皇のお盃の中に桜の花が散って入った。天皇は不思議なことだと思われて物部長真胆連(もののべのながのまいのむらじ)に「この花は今咲くべき時節でもないのにおちてきた。どこからだろうかさがしてこい」と仰せになった。物部長真胆連は桜の花を見つけ出して献上すると、天皇は珍しい事とお喜びになり、宮の名を「磐余稚桜宮」とおつけになった。それがこの神社の名の由来だそうです。

この「磐余池」のほとりに、履中,清寧,継体,用明天皇らの皇居のあったと伝承されています。

5世紀前半の第17代履中天皇の「磐余稚桜宮(いわれわかざくらのみや)」は、桜井市池之内の丘に鎮座する神社です。この場所ではないかと伝承されているようです。

5世紀末の第22代清寧天皇の「磐余甕栗宮(いわれのみかぐりのみや)」は、橿原市東池尻町にある御厨子神社がある所と伝承されているようです。

6世紀前半の第26代継体天皇の「磐余玉穂宮(いわれたまほのみや)」は、桜井市池之内の「磐余稚桜宮」の近郊であろうと伝承されているようです。

6世紀後半の第31代用明天皇の「磐余池辺双槻宮(いわれのいけのべのなみつきのみや)」は、吉備池の北に位置する春日神社にあったと伝承されているようです。

5世紀から6世紀にかけて、四人の天皇が「磐余」の地に宮居を置いたと言われています。「磐余」は古代の王城の地だったのですが、いずれの宮跡も特定されいないようです。

古代史話の舞台となった「磐余(いわれ)」の散策は、古代に思いをはせながらとても興味深く歴史散策が出来ました!

次回は、「ももづたふ磐余池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」と歌った、大津皇子の邸宅があったと伝承されている所等を紹介したいと思います。

                                       

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アジサイ祈願が行われる 「久米寺」

2016年06月16日 09時36分40秒 | 散歩

奈良県橿原市にある「久米寺」は、畝傍山(うねびやま)の南に位置する仁和寺(にんなじ)別院の真言宗のお寺で、橿原神宮(かしはらじんぐう)の一の鳥居を南に入ってすぐのところにあります。

今回は、アジサイの花が見頃の「久米寺」を紹介したいと思います。6月の第3日曜日には、『アジサイ祈願』が行われるようです。

「久米寺」は、一般に「久米(くめ)の仙人」の伝説にちなんだ寺として知られていますが、もともとここは久米部(くめべ)の武人の住んだ地といわれ、推古(すいこ)天皇2年の時に聖徳太子の弟だった「来目皇子(くめのおうじ)」の創建と伝えらる古寺です。
「来目皇子」が幼少の頃眼病を患い両目を失明しましたが、聖徳太子のお告げにより薬師如来に祈願したところ平癒したと言われています。これにより皇子は、自らを「来目皇子」と称したということです。創建のきっかけは、推古天皇の眼病全快のお礼だったと言われ、本尊の薬師如来は、眼病に効くと言われているようです。

創建は聖徳太子の弟、「来目皇子(くめのおうじ)」とも「久米仙人」ともいわれますが不確かです。この「久米仙人」は飛行の術を得て空を飛んでいるときに、川で洗濯中の娘の姿に目がくらんで墜落したというエピソードを持つ伝説の人です。

境内から発掘された礎石や瓦などから、奈良時代には存在したと考えられています。金堂、観音堂、多宝塔などが木立につつまれて、古寺らしい雰囲気をかもしている素敵なお寺です。

境内いっぱいに咲くアジサイの花が丁度見頃で、人影もまばらなせいかのんびりと散策することが出来ました!

                                

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日本の原風景 「飛鳥の棚田」

2016年06月12日 21時22分10秒 | 散歩

奈良県明日香村稲渕の棚田は、日本の棚田百選に選ばれており美しい棚田が広がる光景は、「日本の原風景」ともいえる場所です。

今回は、田植えが行われ始めた日本の原風景「飛鳥の棚田」の風景を紹介したいと思います。

日本の棚田百選に選ばれている稲渕の棚田と共に、細川谷や栢森等の棚田がとても素晴らしいです。

特に、細川谷の夕焼け時の風景は「日本の原風景」そのものです。

夕焼けの風景は、何か懐かしく何度見ても心が震えてくるのは、私だけなのでしょうか・・・

                           

 

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