以前に一度、ブライズミ「飛鳥京への道」探訪ということで紹介したことがあります。
これは、私にとって飛鳥に住んで初めての試みでした。内容は、飛鳥時代の人々は、「飛鳥宮」に入る時にどの道を通り、どのような景色を見ながら入って行ったのだろうと想像してみました。
そこで、古地図を参考にしながら歩くという「ブラタモリ」という番組があり、好きな番組でよく視聴しています。
それを参考にしながら、ふと「飛鳥京」へ入る道は一体どこなのだろうか?
古地図を参考にしながら歩くという「ブラタモリ」とは違って、何の根拠もありませんが、今回も「古代からの畦」ということで、「ブラタモリ」ならぬ「ブライズミ」をしてみました。
ところで、飛鳥に住んで5年目になりますが、この間飛鳥に関する講座や歴史サークル等で学んだ中で、飛鳥には「古代からの畦」がいくつか残っていると教えていただきました。
そこで今回も不確かですが、ブライズミ(2)「古代からの畦」ということで紹介したいと思います。
〇飛鳥時代の遺構、一辺約40mの「方形池の跡(畦)」
明日香村島庄には『、日本書紀』や『万葉集』の記述から蘇我馬子の「飛鳥河の傍の家」や草壁皇子の「嶋宮」が存在したとされており、蘇我馬子の邸宅には池をもつ庭園があったことが知られています。
蘇我本宗家の滅亡後、邸宅のあった嶋の地は官の没収となったようで、壬申の乱の直前には天武天皇が吉野宮に行く途中で立ち寄っています。
島庄遺跡の発掘調査は、1972年度から橿原考古学研究所によって20数次にわたって行われており、飛鳥時代の遺構としては一辺約40mの「方形池」や石組暗渠・曲溝・川跡・小池・掘立柱建物等が検出されています。
現在、石舞台古墳の近くに飛鳥時代の遺構、一辺約40mの「方形池の跡(畦)」が残っていて見ることができます。ここは、発掘調査で「方形池の跡(畦)」であるということです。
〇石神遺跡の「阿倍・(新)山田道」
「阿倍・山田道」は、近鉄橿原神宮前駅東口から東へ伸び、丈六交差点付近で下ツ道と交差し東へ直線的に伸びたのち、雷・奥山・安倍寺の東側の間をにつなぐ「みち」です。
「阿倍・(新)山田道」の区間は、7世紀中頃前後(630年以降)につくられていたようです。この発掘調査では、「阿倍山田道」の南側溝と路面が検出されました。路面幅は約18mで両側に側溝を持つ立派な「みち」です。この「みち」は、丁寧に盛土をしてつくっているようです。盛土の下からは、多量の木の枝や皮が出土しており、これらは「みちづくり」のための基礎工事と考えられています。また、近接する場所でおこなわれた発掘調査では、地中の水分を除去するために、大がかりな石組みの暗渠がつくられていることも確認されています。
なんと、現在の「山田道」(雷丘の交差点付近)の横の南北の田畑には、不確かですがおそらく当時の道幅の範囲を示す跡ではないかという不思議な「畦」が残っていました。南北の田畑の畦の幅の長さを測ってみると、ほぼ同じでした。
〇石神遺跡の「阿倍・(旧)山田道」
『日本書記』によると裴世清は、推古天皇16年(608)に、遣隋使小野妹子らとともに「阿倍・山田道」を通って、推古天皇がいる「小墾田宮」に行っています。
「阿倍・(新)山田道」の区間は、7世紀中頃前後につくられていたようですので、別の「みち」を通ったと思われます。
裴世清が通った「阿倍・(旧)山田道」は、現在の「山田道」の南にある「水落遺跡」の北辺を東西に走る里道付近を通っていたのではないだろうかと、これまた歴史サークルの方に教えていただきました。
両方の「みち」とも、いつも散歩しているのに全然気づきませんでした。そう言われてよく見ると、この場所の「畔」の幅等が、他と違っていました。
〇「飛鳥京」への「みち(畦)」
「川原下の茶屋遺跡」からは、飛鳥時代の交差点が検出されていて、数少ない道路跡の遺跡です。東西道は、道幅約12m・南北道は道幅約3mで側溝もみつかっています。東西道路は、直線道路と考えられ、西は下ツ道に交わり、東は飛鳥京に続くと思われます。この道路は、川原寺の南門と橘寺の北門の間を通っているようです。地図で確認してみると、飛鳥京のエビノコ郭の西門に突き当ります。この東の道を、歩いてみました。現在、飛鳥遊歩道として整備されており、途中には「亀石」を見ることができます。細い道をまっすぐに歩いて行くと、橘寺はすぐそこにみえていますが田んぼにつきあたりました。
ここで「ブライズミ」で予想しました。「川原下の茶屋遺跡」で見つかった東西道は、道幅約12mです。この田んぼに痕跡は無いだろうかと。ひょっとしてこの「畦」ではと思い、歩幅で確認してみました。段差を考えながらさらに歩いて行くと、小さな橋がかかっておりまっすぐに行き、銀行の横の道を歩くと飛鳥京のエビノコ郭の西門に突き当りました。
飛鳥に住んでいながら、知らないことが一杯です。今回も、何の根拠もない「ブライズミ(2)」の歴史散策でしたが、とても楽しかったです!