泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

大和の三名城のひとつ「宇陀松山城」

2021年01月23日 11時29分30秒 | 歴史

奈良県宇陀市にある「宇陀松山城(うだまつやまじょう)」は、山城で「秋山城・神楽岡城」とも呼ばれます。国の史跡になっている他、続日本100 名城にも選ばれています。

今回は、大和の三名城のひとつ「宇陀松山城」を紹介したいと思います。

明日香村から車で約30位の所にある「宇陀松山城」は、大和盆地南東の山間部にある中世から近世にかけての城跡です。大和では、「郡山城・宇陀松山城・高取城」の三城が中心的な役割を果たしたと考えられています。

この城は、中世に秋山氏が城を整備しますが、1585年には豊臣秀長の入部により秋山氏が退去した後、豊臣家配下の大名により大規模に改修され、城下町も大規模に整備されました。その後、江戸時代には廃城となりました。

城跡は、標高473mの古城山にあり、中央に天守・本丸が東西に並びその周囲を帯郭が囲みます。本丸には、本丸御殿が確認されています。本丸の周囲は、石垣に沿って瓦葺きの多門櫓が囲む城郭となっています。

松山城下町の出入口にあたる、西口関門(黒門)から続く大手筋正面に位置するのが春日門です。町人町と、屋敷町を分ける門でもあり、大手門として機能していました。春日門という名は春日神社の入口(参道)に位置するためです。現在、門は現存しませんが、虎口を固めた両脇の櫓台の石垣は現存して見ることができます。この城は、中世から近世にかけての城跡で、お城好きな方にはお薦めの城です。できれば、縄張り図をもとに城散策することをお勧めします。

ところで「宇陀松山城」跡に行くには、観光案内施設である「千軒舎(せんげんしゃ)」の横の道から登城口があります。コンクリートで整備されていますので、城址まで約30分位で行けます。もうひとつは、春日神社からのルートがあるのですが倒木のため通行止めになっています。城跡からの眺めは素晴らしく、南に大峰山脈、北に“大和富士”とも呼ばれる額井岳(ぬかいだけ)など、周囲の山々を一望することができます。

また、「宇陀松山城」の麓では城下町が形成され、かつて松山地区が“宇陀千軒”と呼ばれるほどの賑わいを見せていました。今でも、約200軒の伝統的な建物があります。町は、「宇陀松山伝統的建造物群保存地区」となっています。のんびりとお城と町巡りができる、大和のお気に入りの場所の一つです!


                                                                           

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「飛鳥の雪景色・2021」 | トップ | 飛鳥の「古代の川原寺」を再現 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事