泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

邪馬台国の有力候補地 「纒向(まきむく)遺跡」

2018年05月17日 14時32分30秒 | 歴史

2018年5月14日のニュース等によると 、 「邪馬台国」の有力な候補地とされる奈良県桜井市の「纒向遺跡」からモモの種が出土し、 分析した結果「邪馬台国」があったとされる時期と年代が重なる可能性が高いことがわかりました。

今回は、邪馬台国の有力候補地「纒向(まきむく)遺跡」について紹介したいと思います。

奈良県桜井市にある「纏向遺跡」は、弥生時代末期から古墳時代前期にかけての大集落遺跡です。「邪馬台国」の有力候補地とされている所です。

奈良県桜井市の「纒向遺跡」から出土した桃の種の年代を分析した結果、「邪馬台国」があったとされる時期と重なる可能性が高いことがわかりました。

JR桜井線の巻向駅の周辺に広がる「纒向(まきむく)遺跡」は、 3~4世紀にわたってつくられた遺跡で大規模な集落跡で、「邪馬台国」の有力候補地の1つとされています。

「纏向遺跡」では、以前の発掘調査の時に出土遺物の中に、祭祀に使われたとされる桃の種およそ2800個が見つかりました。

このうち15個について名古屋大学が放射性炭素を用いて年代測定をしたところ、西暦135年から230年の間のものである可能性が高いことがわかったということです。

この結果は、卑弥呼が治めていたとされる時期と一部が重なります。「邪馬台国」の所在地については近畿と九州等で論争が続いていますが、近畿にあったとする説を補強する材料となりそうです。

今回「纏向遺跡」を中心に、歴史散策してきました。現在、「纏向遺跡」の中心の場所では、卑弥呼の宮殿跡とされる建物遺構を目に見えるものにするために、その場所に柱がを立てられていました。

また、この遺跡の近くのエリアには箸墓・ホケノ山古墳・纒向石塚古墳・勝山古墳・矢塚古墳・東田大塚古墳の大規模な古墳が集中して、都市集落を形成しています。

古墳の中で特に有名なのは、3世紀最大の前方後円墳である「箸(はし)墓」です。全長約280メートル、高さ約29メートル、後円部の直径は約155メートルある大変優美な形をした古墳です。この古墳が建造されたのは3世紀半ばとされており、「卑弥呼」がいた時期と重なります。「卑弥呼」の墓は、「魏志倭人伝」のなかでは、「径百余歩」と記されています。大変興味深いのは、当時の「魏(ぎ)」の国の1歩は約4尺7寸7分とされ、現在のメートルに換算すると約150メートルとなります。箸墓の後円部の直径は、約155メートルです。

はたして、ここに眠るのは「邪馬台国」の女王「卑弥呼」なのでしょうか。 また、「纏向遺跡」は「邪馬台国」があったとされる場所なのでしょうか?

遺跡から発掘された遺物は、近くにある「桜井市立埋蔵文化財センター」で見ることができます。また現在、橿原考古学研究所付属博物館において「古代の輝き」ということで、纒向石塚等の古墳から出土した遺物が特別に展示されていて見ることが出来ます。

「邪馬台国」の場所については、古くは江戸時代から議論があります。 はたして「邪馬台国」は、一体どこにあったのでしょうか?「古代史は、面白い!」

                                                      

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«  「長岳寺のかきつばた20... | トップ | 新緑の奥飛鳥 「栢森(かや... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事