奈良県明日香村で、7世紀後半につくられた天武天皇や持統天皇の宮殿跡よりさらに古い時代の塀の跡が見つかりました。
2023年11月25・26日に、現地説明会がありました。
今回は、飛鳥京跡「第190次調査現地説明会・2023」を紹介したいと思います。
塀の跡は、7世紀後半につくられた天武天皇や持統天皇の都の跡がある明日香村の飛鳥宮跡で見つかりました。
県立橿原考古学研究所が、天皇の住まいがあった「内郭」と呼ばれる区域で発掘調査を行ったところ、長さおよそ35メートルの塀の跡が見つかりました。柱を据える穴は一辺1メートル以上あり、重要な建物などを区画する堅牢な塀跡とみられています。
県立橿原考古学研究所が、天皇の住まいがあった「内郭」と呼ばれる区域で発掘調査を行ったところ、長さおよそ35メートルの塀の跡が見つかりました。柱を据える穴は一辺1メートル以上あり、重要な建物などを区画する堅牢な塀跡とみられています。
飛鳥岡本宮は、西側を流れる飛鳥川の地形に合わせて、東西軸に対して北へ20度ほど斜めに設計されたと考えられており、今回の塀跡も同じ方向に延びていました。柱穴には焼けた土や灰が残り、636年に火災で焼けたという「日本書紀」の記述と合致しています。
この塀の跡は、天武天皇や持統天皇の時代に東西南北を軸に建てられた建物や塀などの跡とは異なり、北東から南西の方向に建てられたとみられ、さらに古い時代のものと考えられるということです。
また、掘立柱建物が2棟と石組溝や飛鳥宮の北側の1本柱列も出ています。
この場所では少なくとも3度、天皇の宮殿が設けられたと考えられていて、今回見つかったのは7世紀前半に最初に置かれた舒明天皇の「飛鳥岡本宮」の塀だった可能性が高いとしています。
この場所では少なくとも3度、天皇の宮殿が設けられたと考えられていて、今回見つかったのは7世紀前半に最初に置かれた舒明天皇の「飛鳥岡本宮」の塀だった可能性が高いとしています。
調査では、皇極(こうぎょく)天皇の「飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)」や天武・持統天皇の「飛鳥浄御原(きよみはらの)宮(みや)」に関わる大型建物跡なども出土しています。天皇の代替わりごとに建て替えられた宮が一括して見つかるのは、極めて珍しいということだそうです。
この調査は、10月から行われていました。現地説明会には、多くの古代史が好きな方が来られていました。
実はさんぽの途中、毎日のように発掘作業を見学していたのですが、まさか飛鳥時代の宮殿跡が3期にわたって出てくるとは思いもしませんでした! 次は、どのような発見があるか楽しみです・・・