泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

京都 「長岡京・恵解山古墳・勝龍寺城跡」を巡る

2017年09月29日 20時29分02秒 | 歴史

国営飛鳥歴史公園のボランティア活動で普段活動されている歴史が大好きな皆さんと一緒に、9月の中旬頃に京都の史跡等を巡ってきました。

今回は、京都「長岡京・恵解山古墳・勝龍寺城跡」を紹介したいと思います。

いつもは、飛鳥の案内等を行っている国営飛鳥歴史公園の「歴史サークル」の皆さんですが、今回は、研修の一環として京都の方まで約50人位で貸し切りバスを借りて研修に行ってきました。

〇京都府向日(むこう)市・ 長岡京市付近に置かれた古代の都である「長岡京」は、今から1200余年前の延暦(えんりゃく)3年(784)11月11日、桓武(かんむ)天皇の命によって奈良の平城京から遷(うつ)された都です。

日本史にその名を長くとどめることはありませんでしたが、研究が進むにつれ、諸制度の改革や蝦夷(えぞ)の統治など国家の建て直しをはかり、平安京の基礎をつくった貴重な時代であったことが明らかになってきました。

この都は、東西4.3km、南北5.3kmと平城京、平安京に匹敵する広大なもので、向日市、長岡京市、大山崎町と京都市の一部の地域に及んでいます。
政治の中心である「長岡宮(ながおかきゅう)」は向日市、経済の中心である市(いち)は長岡京市、表玄関口にあたる港(山崎津・淀津)は大山崎町大山崎・京都市伏見区淀にあり、諸国から多くの人々が往来する日本の政治・経済・文化の中心地となりました。

しかしながら、792年の大洪水や桓武天皇の弟である早良(さわら)親王の死、その怨霊(おんりょう)などから、794年10月22日に平安京へ都が遷されました。

主な建物は壊され新しい都へと移され、徐々に田園地域へと姿を変え、10年間の都の歴史は地中で長い眠りにつき、やがて「幻の都」と呼ばれるようになりました。

住宅地の中に「長岡宮(ながおかきゅう)」跡があり、一部は公園として遺跡が保存してありました。

                   

〇京都府長岡京市勝竜寺にある「恵解山古墳」は、古墳時代中期(今から約1600年前)に造られた前方後円墳です。古墳の大きさは全長128m、後円部の直径約78.6m、前方部の幅約78.6mで、乙訓地域最大の規模を有しています。古墳の周囲には幅約25mの浅い周濠(しゅうごう)があり、周濠を含めた古墳の全長は約180mに及びます。
築かれた当時は斜面全体に石が葺(ふ)かれ、平らなところには埴輪(はにわ)が立て並べられていました。古墳に葬られた人物の名前は記録に残っていませんが、古墳の大きさなどから少なくとも乙訓地域の全域を支配した実力者の墓であったと考えられます。

「恵解山古墳」は、昭和55年、墓地拡張工事の際に前方部の中央付近からで鉄器が出土し、長岡京市教育委員会が緊急調査を行いました。調査の結果、鉄製の武器(大刀146点前後、剣11点、槍57点以上、短刀1点、刀子10点、弓矢の鏃472点余り、ヤス状鉄製品5点)など総数約700点を納めた武器類埋納施設が発見されました。古墳からこのように多量の鉄製武器が出土した例は京都府内にはなく、全国的に見ても非常に珍しく貴重であることから、恵解山古墳は昭和56年10月国史跡に指定され、鉄製武器などの出土品は平成11年に府指定文化財に指定されました。

「恵解山古墳」公園として整備されており、見応えがある古墳でした。

            

〇京都府長岡京市勝竜寺にある「勝龍寺城 (しょうりゅうじ じょう) 」は、室町期から戦国期にかけて使われた城郭で、元々は守護大名の郡代役所だった建物が時代に応じて要塞化した例とされています。有名なエピソードとして、細川忠興とガラシャ(明智光秀の娘)が結婚式を挙げた場所で、明智軍vs秀吉軍の山崎合戦で敗れた明智光秀一行が退却した場所などがあります。戦国期までは三好三人衆の所領だったが織田軍の侵攻後、細川藤孝(後の幽斎)の居城となり、二重の堀や枡形虎口などを持つ堅固な城郭に改めました。江戸時代初期に廃城となります。主郭跡地は公園となり、模擬櫓や模擬城門などのお城風建築物が並びます。

「勝龍寺城」は1339年、足利尊氏の命により細川頼春によって築城されました。 1578年明智光秀の娘、玉(後のガラシャ夫人)が、細川忠興に嫁ぎ、2年間、この城で幸福な新婚時代を過ごしました。本能寺の変の後、山崎の合戦では光秀がこの城に本陣を構えました。 勝竜寺城公園は1992年、勝龍寺城跡に造られた都市公園で、「日本の歴史公園100選」にも選ばれています。

今回、案内していただいた方は、実際に「長岡京」等の発掘調査に携わった方で、大変勉強になり充実した研修会でした!

          

 

 

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飛鳥の秋を彩る 「彼岸花祭り・飛鳥光の回廊2017」

2017年09月25日 19時47分02秒 | 散歩

奈良県明日香村において、9月23・24日に明日香村内の各所において「彼岸花祭り」・「飛鳥光の回廊2017」が行われました。

今回は、飛鳥の秋を彩る「彼岸花祭り・飛鳥光の回廊2017」を紹介したいと思います。

9月23・24日は、稲渕地区および飛鳥歴史公園石舞台地区において「彼岸花祭り」が実施され、夜には「飛鳥光の回廊」も実施されました。

稲渕地区の棚田では、両日とも天気が良く「彼岸花祭り」の一環として「案山子コンテスト」が実施されました。彼岸花もほぼ満開で、大変多くの方が来られていました。

夕方からは、明日香村内の各所においてロウソクを灯した「飛鳥光の回廊2017」が実施され、昼間とは違う幻想的な飛鳥を楽しんでおられました。

今回は、川原寺や飛鳥歴史公園石舞台地区・岡エリア地区・万葉文化館・飛鳥寺を中心に見学に行きました。

特に、飛鳥寺では光と切り絵の「蓮華蔵世界」ということで、普段は閉じられている本堂正面から光と切り絵の「蓮華蔵世界」を表現した「飛鳥大仏」を礼拝することができました。

とても優美で繊細な空間の中での「飛鳥大仏」を、礼拝することができました。

「彼岸花祭り」・「飛鳥光の回廊」とも、多くの方が「初秋の飛鳥」を楽しんでおられました。とても、楽しかったですよ!

                                    

 

 

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彼岸花が咲く 「初秋の飛鳥」

2017年09月21日 20時59分44秒 | 散歩

奈良県明日香村では、このところ朝夕が急に涼しくなり、田畑の畦には真赤な「彼岸花」が咲き始めました。

今回は、彼岸花が咲く「初秋の飛鳥」の風景を紹介したいと思います。

今回紹介する場所は、飛鳥寺周辺と棚田百選に選ばれている稲渕の棚田の風景を紹介したいと思います。

明日香村のあちらこちらで「彼岸花」を見ることが出来ますが、特に飛鳥寺周辺と稲渕の棚田の「彼岸花」が見事です。

棚田百選に選ばれている稲渕の棚田では、9月23・24日に「案山子コンテスト」があります。9月19日位から、多くの方が「彼岸花」や「案山子」の見学に来られています。

飛鳥寺周辺と稲渕の棚田「彼岸花」は、ほぼ9分咲きでとても綺麗です。

また、9月23・24日には稲渕地区と石舞台地区において「彼岸花祭り」が催されます。この日の夕方からは、明日香村の各場所いおいてロウソクを灯した「飛鳥光の回廊」も実施されます。とても幻想的で、昼間とは違う飛鳥の風景を見ることが出来ます。

毎年実施される「彼岸花祭り」と「飛鳥光の回廊」ですが、とても楽しみにしています。

飛鳥の秋は、飛鳥ならではのイベントが盛り沢山です。多くの方に来ていただき、「日本の原風景」が残る「初秋の飛鳥」を体感していただけたらと思います!

                                 

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古代豪族葛城氏の本拠地 「御所市」

2017年09月18日 19時58分59秒 | 歴史

奈良県御所市は、奈良盆地の西南端に位置し、西には葛城山や金剛山そびえ立つ所で、古代豪族「葛城氏」の本拠地です。

今回は、古代豪族葛城氏の本拠地「御所市」について紹介したいと思います。

〇「掖上鑵子塚古墳(わきがみかんすづかこふん)」は、奈良県御所市柏原にある前方後円墳です。西方の丘陵上に所在する前方後円墳です。国見山から北東に派生する尾根の高まりの一つを巧みに利用して墳丘を築造しており、特に前方部前端の部分は尾根を切り通して形を整えております。近年の測量と周濠の部分的な調査によって、墳丘の全長150メートル、高さ17.5メートル、前方部の推定幅101メートル、高さ12メートルと計測されています。また、墳丘をとりまく水田は、鎌倉時代までは水をたたえた周濠であったことが判明しています。特に、案内板等がなく探すのが大変でした。

〇「神武天皇社」は、御所市「柏原」に鎮座するこの神社です。祭神は「神倭伊波礼毘古命」です。初代「神武天皇」の即位した場所であると言われています。1736年の大和誌には「橿原宮。柏原村に在り」と記し、本居宣長も1772年の「菅笠日記」に、畝傍山の近くに橿原という地名はなく、一里あまり西南にあることを里人から聞いたと記しています。集落の中にあり、車を置いて歩いて探しました。

〇「吉祥草寺(きっしょうそうじ)」御所市茅原の地に建つお寺です。修験道の開祖「役行者(えんのぎょうじゃ。または役小角)」の生誕の地であり、舒明天皇の創建、役小角の開基と伝わる古刹です。大和盆地の南部に位置し、若き日の役小角が西にそびえる葛城山系で修行をしていたため、は、修験道の聖地となっています。山門に「役行者誕生所」とあるように、修験道の開祖「役行者」の生誕の地であり、境内の一角には「産湯の井戸」や「腰かけ石」も遺されています。とても静かな、雰囲気があるお寺でした。

〇御所市蛇穴村にある「野口神社」では、毎年5月5日の例祭に、藁で14メートル余りの大蛇を作り村の各戸を廻り家々の邪気を払い、巡行後神社へ奉納する「蛇綱曳き」の神事が行われています。この祭事の由来について、茅原郷から蛇穴の道を通り、雨の日も風の日も毎日葛城山へ修行に通う役行者がいました。河内からこの地に移住してきた茨田の長者のひとり娘がその行者に恋慕の情を抱きます。しかし、業に身を挺する者には、熱き恋心は届きませんでした。娘は女の情念から蛇身となって追いかけますが、折しも田植時期で村人が弁当を運んでいると大蛇が火を吹いていたので、驚き提げていた味噌汁をぶっかけ逃げ帰りました。そして村人と共にその場所へ行くと、大蛇は静かに傍らの井戸の中で身を潜めていたので、巨石でその井戸を覆ったという説話があります。その場所が現在の「野口神社」の地と言われており、境内には井戸を模った石組みの蛇塚があります。その娘の霊を供養するために、この神事が始まったと伝えられています。小さな神社ですが、役行者と娘さんとの説話がとても興味を注がれる所でした。

古代豪族葛城氏の本拠地「御所市」は、飛鳥とは趣の異なった「古代ロマン」を感じさせられる所でした!

                                    

 

 

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初秋の 「飛鳥の風景」

2017年09月12日 16時43分39秒 | 散歩

奈良県明日香村においても、この1~2週間で朝・夕とても涼しくなり、秋の気配を感じさせられる時期となりました。

今回は、初秋の「飛鳥の風景」を紹介したいと思います。

飛鳥を散策していると、秋の訪れを感じさせられるススキや秋桜の花、柿・栗の実等を見ることが出来ます。この時期、栗拾いするのが楽しみで、今年も大きな栗を見つけました。

また、奥飛鳥と呼ばれている稲渕の棚田周辺を散策していると、彼岸花もほんの少しですが咲き始めました。

前回紹介しました、9月23・24日に行われる「彼岸花祭り」の準備も整ってきています。「案山子」さん達も、ほぼ全部準備できていました。

今回は、原点にたちかえりテーマが「案山子」ということで、とても素朴な「案山子」さんが多いようです。機会がありましたら、是非ともご覧下さい。

飛鳥の秋は催し物も多く、9月17日には地元の劇団「時空」さんにより、石舞台地区あすか風舞台において「時空を超えた入鹿の旅」ということで演劇が行われます。

また、9月23・24日の夜には明日香村内各所でロウソクを灯した「光の回廊2017」が実施されます。毎年、とても楽しみにしています。

日本の原風景が残る「飛鳥の秋の風景」は、心がとても癒される素敵な所ですよ!

                               

 

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