伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/09/29

2018-09-29 21:55:33 | 一日一章・聖書通読日記
マタイによる福音書 3:1-6

そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教を宣べて言った、 「悔い改めよ、天国は近づいた」。 預言者イザヤによって、「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と言われたのは、この人のことである。 このヨハネは、らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。 すると、エルサレムとユダヤ全土とヨルダン附近一帯の人々が、ぞくぞくとヨハネのところに出てきて、 自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。

主イエスが福音を語り始める少し前に、バプテスマのヨハネが荒野に現れて神の国が近付いたと語り、イスラエルの人々に悔い改めのバプテスマを授けました。彼こそがメシヤ到来に先立って主の道を備えるためにあらかじめ遣わされた旧約時代最後の預言者で、エリヤの再来とも称されました。するとエルサレムだけでなくユダヤ全土から人々が彼の元に押し寄せ、自らの罪を告白して、ヨハネからバプテスマを受けました。マタイによる福音書では記されていませんが、バプテスマのヨハネはイエスの親戚にあたる人物で、約半年前に祭司の子として生まれました。主の初臨と同様、再臨の日にも罪を悔い改めて主の御前に立ち返る者が続々と起こされると記されています。その日が来るのを早めることが、私たちに託された宣教の使命です。

http://bible.com/81/mat.3.1-6.ja1955

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マタイによる福音書 3:7-12

ヨハネは、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けようとしてきたのを見て、彼らに言った、「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、おまえたちはのがれられると、だれが教えたのか。 だから、悔改めにふさわしい実を結べ。 自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。 斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。 わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。 また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう」。

バプテスマのヨハネの元には一般庶民だけでなく、サンヘドリンと呼ばれるユダヤの国会議員の構成メンバーであったサドカイ人や、人々の霊的指導者を自負していたパリサイ人たちも大勢バプテスマを受けようとしたことが記されていますが、ヨハネは彼らを「まむしの子らよ」と一蹴しました。ヨハネがサドカイ人やパリサイ人たちに厳しい態度で臨んだのは、表面的には立派な人物を装っても、この世の豊かさを追い求める物質主義者であったり、極端な厳格さを人々に押しつけ表面だけを取り繕った見かけ倒しの信仰者たちでした。そのような内実を伴わない信仰を、神様もまた忌み嫌われます。そしてヨハネの後に来られるメシヤなるキリストは、そのような偽善の信仰を籾殻のように打ち分け、永遠の火で焼き尽くすと語りました。私たちの信仰はどうであるか、人の目を気にしてばかりの信仰に陥っていないか、自分の義の基準で人々を裁く憐れみを欠いた信仰者になっていないか、それとも神の義とまことの愛とに基づいた信仰であるか、時折自己点検することが必要です。

http://bible.com/81/mat.3.7-12.ja1955

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マタイによる福音書 3:13-17

そのときイエスは、ガリラヤを出てヨルダン川に現れ、ヨハネのところにきて、バプテスマを受けようとされた。 ところがヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った、「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」。 しかし、イエスは答えて言われた、「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」。そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。 イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。 また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。

ヨルダン川で人々に水によるバプテスマを授けていたヨハネの元に、公生涯に入られる前のイエス様がバプテスマを受けようとしてやってきました。ヨハネの側からしたら、聖霊と火によってバプテスマを授ける権威をお持ちである方が、水によってでしかバプテスマを授けることのできない自分の元に来られたのですから、こんな恐れ多いことはなく、思いとどまらせようとしたのは当然のことです。しかしイエス様は、罪を悔い改めてバプテスマを受けることは正しいことであると答えて、ヨハネから洗礼を受けました。神様もこのイエス様の行動を御心に適う者であると評し、バプテスマを契機としてイエス様の上に聖霊を降されました。私たちもまた洗礼を通して心の内に聖霊なる神様をお迎えすることができるようになり、きよい神の宮としての信仰の生涯をスタートすることができますから感謝いたします。

http://bible.com/81/mat.3.13-17.ja1955
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【今日の聖句】 2018/09/29

2018-09-29 06:45:16 | 今日の聖句
ヘブライ人への手紙 6:10 新共同訳

神は不義な方ではないので、あなたがたの働きや、あなたがたが聖なる者たちに以前も今も仕えることによって、神の名のために示したあの愛をお忘れになるようなことはありません。

真実なお方であられる神様は、私たちが主に対する愛に基づいて、神様のため、聖徒たちのために仕えた一切を忘れることなく、その働きに応えてくださるお方です。永遠の神に覚えられる恵みに感謝しつつ、なおも忠実に仕えるさいわいを学ぶ私たちでありますように。

http://bible.com/1819/heb.6.10.新共同訳
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