ヨエル書 1:1-3
ペトエルの子ヨエルに臨んだ主の言葉。 老人たちよ、これを聞け。すべてこの地に住む者よ、耳を傾けよ。あなたがたの世、またはあなたがたの先祖の世にこのような事があったか。 これをあなたがたの子たちに語り、子たちはまたその子たちに語り、その子たちはまたこれを後の代に語り伝えよ。
ヨエル書の記された年代ははっきりとは特定されていないそうですが、次のアモス書に預言が引用されていることから、アモスよりも先の年代、そして内容的にみるとおそらく預言者エリヤとエリシャの時代に南ユダ王国で活動した預言者であろうと研究されているそうです。その内容は、当時に起こったイナゴの大群による飢饉に重ね合わせて、その後に起こる大国の脅威に警鐘を鳴らす預言です。私たちは歴史上に起こった事実から神様の発せられた警告を読み解く賢さが求められています。
http://bible.com/81/jol.1.1-3.ja1955
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ヨエル書 1:4-5
かみ食らういなごの残したものは、群がるいなごがこれを食い、群がるいなごの残したものは、とびいなごがこれを食い、とびいなごの残したものは、滅ぼすいなごがこれを食った。 酔える者よ、目をさまして泣け。すべて酒を飲む者よ、うまい酒のゆえに泣き叫べ。うまい酒はあなたがたの口から断たれるからだ。
ヨエル書のキーワードとなる一つが「いなご」です。聖書には一言で「いなご」と記されていますが、原語ではその種類が8つの単語で分類されており、そのうちの4種類のいなごがヨエル書に登場します。最初の「かみ食らういなご」とはヘブル語では「ガーザーム」という単語で、主にオリーブやイチジクなど果実の木に被害を及ぼす種類のようです。次に出てくる「群がるいなご」は「アルベ」という単語で、突然風に乗って大群で押し寄せては農作物を食い荒らす羽根を持ついなごで、出エジプト記の災いなど聖書にも最もよく出てくる種類です。3番目の「とびいなご」は「イェレク」という単語で、先に出てきた「アルベ」の幼虫で植物の葉を食い荒らします。最後の「滅ぼすいなご」は「ハースィール」という単語で、これもまたバッタやイナゴの幼虫を指すものだそうです。すなわちヨエル書では徹底的なイナゴの襲来により農作物に壊滅的な打撃を受け、激しい飢饉に見舞われたことがわかります。今まで豊かだった国は突然の天災で貧困に陥り、神様の祝福の象徴であるぶどう酒を飲むことなど到底できない状況に瀕します。今は何一つ不自由のない暮らしをしていても、その祝福の上にあぐらをかいて霊的な堕落に気付かずにいると、ある日突然、災いに見舞われて状況が一変します。私たちに必要なことは、順境のときにも神様の祝福に感謝する心を失わないことです。
http://bible.com/81/jol.1.4-5.ja1955
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ヨエル書 1:6-8
一つの国民がわたしの国に攻めのぼってきた。その勢いは強く、その数は計られず、その歯はししの歯のようで、雌じしのきばをもっている。 彼らはわがぶどうの木を荒し、わがいちじくの木を折り、その皮をはだかにして捨てた。その枝は白くなった。 あなたがたは若い時の夫のために荒布を腰にまとったおとめのように泣き悲しめ。
イナゴの襲来による飢饉の後に、敵国の襲来について言及されています。これはイナゴの被害に重ね合わせる形で、やがて敵国の大群が押し寄せて国を滅ぼすことを預言したものと思われます。一時の繁栄に酔いしれていると、ある日突然、思っても見なかった危機に見舞われることを警告する神様の裁きの預言です。私たちは常に信仰の目を見開いて、神様が警鐘を鳴らす御言葉に耳を傾ける霊的な敏感さを持ち合わせることが肝要です。
http://bible.com/81/jol.1.6-8.ja1955
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ヨエル書 1:9-13
素祭と灌祭とは主の家に絶え、主に仕える祭司たちは嘆き悲しむ。 畑は荒れ、地は悲しむ。これは穀物が荒れはて、新しい酒は尽き、油も絶えるためである。 小麦および大麦のために、農夫たちよ、恥じよ、ぶどう作りたちよ、泣け。畑の収穫がうせ去ったからである。 ぶどうの木は枯れ、いちじくの木はしおれ、ざくろ、やし、りんご、野のすべての木はしぼんだ。それゆえ楽しみは人の子らからかれうせた。 祭司たちよ、荒布を腰にまとい、泣き悲しめ。祭壇に仕える者たちよ、泣け。神に仕える者たちよ、来て、荒布をまとい、夜を過ごせ。素祭も灌祭もあなたがたの神の家から退けられたからである。
素祭と灌祭は共に、神様の御前に捧げる動物の犠牲に添えて備える穀物とぶどう酒の捧げもので、神様に仕える祭司たちを養う食糧となるものです。いなごの被害により大飢饉に陥ったため、これらの捧げものも絶えて祭司たちも飢饉に瀕します。私たちは神様に仕えているから関係ないと、世の中に背を向けて隠遁生活を送っていたとしても、巡り巡って必ず影響が出てきます。私たちは決して社会に無関心でいてはなりません。この世の中の人々の祝福と平和を願い、喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣き、天においても地上においても神様の御心に適うようにと祈り求める私たちでありますように。
http://bible.com/81/jol.1.9-13.ja1955
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ヨエル書 1:14-20
あなたがたは断食を聖別し、聖会を召集し、長老たちを集め、国の民をことごとくあなたがたの神、主の家に集め、主に向かって叫べ。 ああ、その日はわざわいだ。主の日は近く、全能者からの滅びのように来るからである。 われわれの目の前に食物は絶え、われわれの神の家から喜びと楽しみが絶えたではないか。 種は土の下に朽ち、倉は荒れ、穀物がつきたので、穀倉はこわされる。いかに家畜はうめき鳴くか。牛の群れはさまよう。彼らには牧草がないからだ。羊の群れも滅びうせる。 主よ、わたしはあなたに向かって呼ばわる。火が荒野の牧草を焼き滅ぼし、炎が野のすべての木を焼き尽したからである。 野の獣もまたあなたに向かって呼ばわる。水の流れがかれはて、火が荒野の牧草を焼き滅ぼしたからである。
ヨエル書のもう一つのキーワードは「主の日」です。これは災いの起こる特定の日を指す言葉で、近未来的にはアッシリヤやバビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマ帝国など、イスラエルを脅かした超大国の襲来を指し、終局的には罪にまみれた地上に神様の裁きが成し遂げられる世の終わりの日を象徴する言葉です。主の日に備えて私たちが為すべきことは、まことの神を信じる者が集まって聖会を開き、主の御前に叫び求めることです。私たちクリスチャンはこの世の罪を神様の御前に執り成す祭司として先に召し出された者ですから、この世の悪をただ嘆き悲しむだけでなく、心を砕いて主の御前にへりくだり、自らの罪として悔い改めて主の憐れみを叫び求める祈りの執り成し手でありたいと願います。
http://bible.com/81/jol.1.14-20.ja1955
ペトエルの子ヨエルに臨んだ主の言葉。 老人たちよ、これを聞け。すべてこの地に住む者よ、耳を傾けよ。あなたがたの世、またはあなたがたの先祖の世にこのような事があったか。 これをあなたがたの子たちに語り、子たちはまたその子たちに語り、その子たちはまたこれを後の代に語り伝えよ。
ヨエル書の記された年代ははっきりとは特定されていないそうですが、次のアモス書に預言が引用されていることから、アモスよりも先の年代、そして内容的にみるとおそらく預言者エリヤとエリシャの時代に南ユダ王国で活動した預言者であろうと研究されているそうです。その内容は、当時に起こったイナゴの大群による飢饉に重ね合わせて、その後に起こる大国の脅威に警鐘を鳴らす預言です。私たちは歴史上に起こった事実から神様の発せられた警告を読み解く賢さが求められています。
http://bible.com/81/jol.1.1-3.ja1955
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ヨエル書 1:4-5
かみ食らういなごの残したものは、群がるいなごがこれを食い、群がるいなごの残したものは、とびいなごがこれを食い、とびいなごの残したものは、滅ぼすいなごがこれを食った。 酔える者よ、目をさまして泣け。すべて酒を飲む者よ、うまい酒のゆえに泣き叫べ。うまい酒はあなたがたの口から断たれるからだ。
ヨエル書のキーワードとなる一つが「いなご」です。聖書には一言で「いなご」と記されていますが、原語ではその種類が8つの単語で分類されており、そのうちの4種類のいなごがヨエル書に登場します。最初の「かみ食らういなご」とはヘブル語では「ガーザーム」という単語で、主にオリーブやイチジクなど果実の木に被害を及ぼす種類のようです。次に出てくる「群がるいなご」は「アルベ」という単語で、突然風に乗って大群で押し寄せては農作物を食い荒らす羽根を持ついなごで、出エジプト記の災いなど聖書にも最もよく出てくる種類です。3番目の「とびいなご」は「イェレク」という単語で、先に出てきた「アルベ」の幼虫で植物の葉を食い荒らします。最後の「滅ぼすいなご」は「ハースィール」という単語で、これもまたバッタやイナゴの幼虫を指すものだそうです。すなわちヨエル書では徹底的なイナゴの襲来により農作物に壊滅的な打撃を受け、激しい飢饉に見舞われたことがわかります。今まで豊かだった国は突然の天災で貧困に陥り、神様の祝福の象徴であるぶどう酒を飲むことなど到底できない状況に瀕します。今は何一つ不自由のない暮らしをしていても、その祝福の上にあぐらをかいて霊的な堕落に気付かずにいると、ある日突然、災いに見舞われて状況が一変します。私たちに必要なことは、順境のときにも神様の祝福に感謝する心を失わないことです。
http://bible.com/81/jol.1.4-5.ja1955
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ヨエル書 1:6-8
一つの国民がわたしの国に攻めのぼってきた。その勢いは強く、その数は計られず、その歯はししの歯のようで、雌じしのきばをもっている。 彼らはわがぶどうの木を荒し、わがいちじくの木を折り、その皮をはだかにして捨てた。その枝は白くなった。 あなたがたは若い時の夫のために荒布を腰にまとったおとめのように泣き悲しめ。
イナゴの襲来による飢饉の後に、敵国の襲来について言及されています。これはイナゴの被害に重ね合わせる形で、やがて敵国の大群が押し寄せて国を滅ぼすことを預言したものと思われます。一時の繁栄に酔いしれていると、ある日突然、思っても見なかった危機に見舞われることを警告する神様の裁きの預言です。私たちは常に信仰の目を見開いて、神様が警鐘を鳴らす御言葉に耳を傾ける霊的な敏感さを持ち合わせることが肝要です。
http://bible.com/81/jol.1.6-8.ja1955
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ヨエル書 1:9-13
素祭と灌祭とは主の家に絶え、主に仕える祭司たちは嘆き悲しむ。 畑は荒れ、地は悲しむ。これは穀物が荒れはて、新しい酒は尽き、油も絶えるためである。 小麦および大麦のために、農夫たちよ、恥じよ、ぶどう作りたちよ、泣け。畑の収穫がうせ去ったからである。 ぶどうの木は枯れ、いちじくの木はしおれ、ざくろ、やし、りんご、野のすべての木はしぼんだ。それゆえ楽しみは人の子らからかれうせた。 祭司たちよ、荒布を腰にまとい、泣き悲しめ。祭壇に仕える者たちよ、泣け。神に仕える者たちよ、来て、荒布をまとい、夜を過ごせ。素祭も灌祭もあなたがたの神の家から退けられたからである。
素祭と灌祭は共に、神様の御前に捧げる動物の犠牲に添えて備える穀物とぶどう酒の捧げもので、神様に仕える祭司たちを養う食糧となるものです。いなごの被害により大飢饉に陥ったため、これらの捧げものも絶えて祭司たちも飢饉に瀕します。私たちは神様に仕えているから関係ないと、世の中に背を向けて隠遁生活を送っていたとしても、巡り巡って必ず影響が出てきます。私たちは決して社会に無関心でいてはなりません。この世の中の人々の祝福と平和を願い、喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣き、天においても地上においても神様の御心に適うようにと祈り求める私たちでありますように。
http://bible.com/81/jol.1.9-13.ja1955
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ヨエル書 1:14-20
あなたがたは断食を聖別し、聖会を召集し、長老たちを集め、国の民をことごとくあなたがたの神、主の家に集め、主に向かって叫べ。 ああ、その日はわざわいだ。主の日は近く、全能者からの滅びのように来るからである。 われわれの目の前に食物は絶え、われわれの神の家から喜びと楽しみが絶えたではないか。 種は土の下に朽ち、倉は荒れ、穀物がつきたので、穀倉はこわされる。いかに家畜はうめき鳴くか。牛の群れはさまよう。彼らには牧草がないからだ。羊の群れも滅びうせる。 主よ、わたしはあなたに向かって呼ばわる。火が荒野の牧草を焼き滅ぼし、炎が野のすべての木を焼き尽したからである。 野の獣もまたあなたに向かって呼ばわる。水の流れがかれはて、火が荒野の牧草を焼き滅ぼしたからである。
ヨエル書のもう一つのキーワードは「主の日」です。これは災いの起こる特定の日を指す言葉で、近未来的にはアッシリヤやバビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマ帝国など、イスラエルを脅かした超大国の襲来を指し、終局的には罪にまみれた地上に神様の裁きが成し遂げられる世の終わりの日を象徴する言葉です。主の日に備えて私たちが為すべきことは、まことの神を信じる者が集まって聖会を開き、主の御前に叫び求めることです。私たちクリスチャンはこの世の罪を神様の御前に執り成す祭司として先に召し出された者ですから、この世の悪をただ嘆き悲しむだけでなく、心を砕いて主の御前にへりくだり、自らの罪として悔い改めて主の憐れみを叫び求める祈りの執り成し手でありたいと願います。
http://bible.com/81/jol.1.14-20.ja1955