創世記 16:1-4
アブラムの妻サライは子を産まなかった。彼女にひとりのつかえめがあった。エジプトの女で名をハガルといった。 サライはアブラムに言った、「主はわたしに子をお授けになりません。どうぞ、わたしのつかえめの所におはいりください。彼女によってわたしは子をもつことになるでしょう」。アブラムはサライの言葉を聞きいれた。 アブラムの妻サライはそのつかえめエジプトの女ハガルをとって、夫アブラムに妻として与えた。これはアブラムがカナンの地に十年住んだ後であった。 彼はハガルの所にはいり、ハガルは子をはらんだ。彼女は自分のはらんだのを見て、女主人を見下げるようになった。
あなたの子孫は海の砂、満天の星のようになるとの約束を信じて義と認められたアブラムでしたが、それから10年経っても約束の子は授かりませんでした。するとアブラムの妻サライは、当時の他民族の習慣に倣って、エジプト人の女奴隷ハガルを側室としてアブラムに子を産ませようとしました。アブラムもその言葉に従ってハガルによって子宝を授かりましたが、この失敗が今日まで続くイスラエル民族を苦しめる紛争の元凶となりました。神の約束はあくまでも神の祝福を受け継いだセム民族のアブラムとサライから産まれる子に対する契約であり、そこに神の呪いを受けたハム民族のハガルが介入してはならなかったのです。しかしアブラムとサライは主の約束を待ちきれず、人の知恵、しかも神を畏れぬ他民族の習慣に従って子孫を残そうとしました。神の定められた時を待つことができないとき、後々まで禍根を残す大失敗を犯してしまいますから注意が必要です。
https://www.bible.com/bible/81/gen.16.1-4.ja1955
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創世記 16:5-9
そこでサライはアブラムに言った、「わたしが受けた害はあなたの責任です。わたしのつかえめをあなたのふところに与えたのに、彼女は自分のはらんだのを見て、わたしを見下げます。どうか、主があなたとわたしの間をおさばきになるように」。 アブラムはサライに言った、「あなたのつかえめはあなたの手のうちにある。あなたの好きなように彼女にしなさい」。そしてサライが彼女を苦しめたので、彼女はサライの顔を避けて逃げた。 主の使は荒野にある泉のほとり、すなわちシュルの道にある泉のほとりで、彼女に会い、 そして言った、「サライのつかえめハガルよ、あなたはどこからきたのですか、またどこへ行くのですか」。彼女は言った、「わたしは女主人サライの顔を避けて逃げているのです」。 主の使は彼女に言った、「あなたは女主人のもとに帰って、その手に身を任せなさい」。
子を授かったことを知った女奴隷ハガルから見下されるようになったサライは、その責任を夫のアブラムに押しつけました。元々は自分の提案から始まったことなのに、責任転嫁するとは、アダムとエバの時代から変わらない人の罪の深さを思い起こさせます。そしてアブラムも自分で解決しようともせず、責任放棄して妻サライに任せました。過ちを犯したならばその事実を認め、神の御前に遜って悔い改め、解決策を問うことが信仰者の本来の在り方です。その結果サライはハガルを虐待し、二人の間には決定的な分裂が生じました。女主人サライの前から逃亡したハガイを、主は荒野にある泉のほとりで出会い、サライの元に帰って、元通り主人として仕えるようにと命じます。サライとの不仲のきっかけとなったのは、子を授かった優越感に浸り、主人を見下すようになった傲慢でしたから、ハガルもまた謙遜を学ぶ必要がありました。
https://www.bible.com/bible/81/gen.16.5-9.ja1955
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創世記 16:10-16
主の使はまた彼女に言った、「わたしは大いにあなたの子孫を増して、数えきれないほどに多くしましょう」。 主の使はまた彼女に言った、「あなたは、みごもっています。あなたは男の子を産むでしょう。名をイシマエルと名づけなさい。主があなたの苦しみを聞かれたのです。 彼は野ろばのような人となり、その手はすべての人に逆らい、すべての人の手は彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵して住むでしょう」。 そこで、ハガルは自分に語られた主の名を呼んで、「あなたはエル・ロイです」と言った。彼女が「ここでも、わたしを見ていられるかたのうしろを拝めたのか」と言ったことによる。 それでその井戸は「ベエル・ラハイ・ロイ」と呼ばれた。これはカデシとベレデの間にある。 ハガルはアブラムに男の子を産んだ。アブラムはハガルが産んだ子の名をイシマエルと名づけた。 ハガルがイシマエルをアブラムに産んだ時、アブラムは八十六歳であった。
更に主はハガルにもその子孫繁栄を約束し、アブラムとの間に産まれる子をイシマエルと名付けるように命じました。その名の意味は、神は聞き入れてくださるという意味です。そのときハガルは、エル・ロイ、主は見ておられる、と主の名を呼びました。そのようにしてアブラムの子として生まれたイシマエルは、後のアラブ民族の祖先となりました。イスラエル民族とアラブ民族の敵対関係はこのときから始まったのです。神の声に聞き従わず、この世の基準や人の考えに寄り頼む結果は、自分だけに留まらず後々の代にまで深刻な問題として爪痕を残すこととなります。何事も神の御心を求め、神の時を待ち望んで耐え忍ぶ者こそ、真の祝福を受けることができます。
https://www.bible.com/bible/81/gen.16.10-16.ja1955
アブラムの妻サライは子を産まなかった。彼女にひとりのつかえめがあった。エジプトの女で名をハガルといった。 サライはアブラムに言った、「主はわたしに子をお授けになりません。どうぞ、わたしのつかえめの所におはいりください。彼女によってわたしは子をもつことになるでしょう」。アブラムはサライの言葉を聞きいれた。 アブラムの妻サライはそのつかえめエジプトの女ハガルをとって、夫アブラムに妻として与えた。これはアブラムがカナンの地に十年住んだ後であった。 彼はハガルの所にはいり、ハガルは子をはらんだ。彼女は自分のはらんだのを見て、女主人を見下げるようになった。
あなたの子孫は海の砂、満天の星のようになるとの約束を信じて義と認められたアブラムでしたが、それから10年経っても約束の子は授かりませんでした。するとアブラムの妻サライは、当時の他民族の習慣に倣って、エジプト人の女奴隷ハガルを側室としてアブラムに子を産ませようとしました。アブラムもその言葉に従ってハガルによって子宝を授かりましたが、この失敗が今日まで続くイスラエル民族を苦しめる紛争の元凶となりました。神の約束はあくまでも神の祝福を受け継いだセム民族のアブラムとサライから産まれる子に対する契約であり、そこに神の呪いを受けたハム民族のハガルが介入してはならなかったのです。しかしアブラムとサライは主の約束を待ちきれず、人の知恵、しかも神を畏れぬ他民族の習慣に従って子孫を残そうとしました。神の定められた時を待つことができないとき、後々まで禍根を残す大失敗を犯してしまいますから注意が必要です。
https://www.bible.com/bible/81/gen.16.1-4.ja1955
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創世記 16:5-9
そこでサライはアブラムに言った、「わたしが受けた害はあなたの責任です。わたしのつかえめをあなたのふところに与えたのに、彼女は自分のはらんだのを見て、わたしを見下げます。どうか、主があなたとわたしの間をおさばきになるように」。 アブラムはサライに言った、「あなたのつかえめはあなたの手のうちにある。あなたの好きなように彼女にしなさい」。そしてサライが彼女を苦しめたので、彼女はサライの顔を避けて逃げた。 主の使は荒野にある泉のほとり、すなわちシュルの道にある泉のほとりで、彼女に会い、 そして言った、「サライのつかえめハガルよ、あなたはどこからきたのですか、またどこへ行くのですか」。彼女は言った、「わたしは女主人サライの顔を避けて逃げているのです」。 主の使は彼女に言った、「あなたは女主人のもとに帰って、その手に身を任せなさい」。
子を授かったことを知った女奴隷ハガルから見下されるようになったサライは、その責任を夫のアブラムに押しつけました。元々は自分の提案から始まったことなのに、責任転嫁するとは、アダムとエバの時代から変わらない人の罪の深さを思い起こさせます。そしてアブラムも自分で解決しようともせず、責任放棄して妻サライに任せました。過ちを犯したならばその事実を認め、神の御前に遜って悔い改め、解決策を問うことが信仰者の本来の在り方です。その結果サライはハガルを虐待し、二人の間には決定的な分裂が生じました。女主人サライの前から逃亡したハガイを、主は荒野にある泉のほとりで出会い、サライの元に帰って、元通り主人として仕えるようにと命じます。サライとの不仲のきっかけとなったのは、子を授かった優越感に浸り、主人を見下すようになった傲慢でしたから、ハガルもまた謙遜を学ぶ必要がありました。
https://www.bible.com/bible/81/gen.16.5-9.ja1955
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創世記 16:10-16
主の使はまた彼女に言った、「わたしは大いにあなたの子孫を増して、数えきれないほどに多くしましょう」。 主の使はまた彼女に言った、「あなたは、みごもっています。あなたは男の子を産むでしょう。名をイシマエルと名づけなさい。主があなたの苦しみを聞かれたのです。 彼は野ろばのような人となり、その手はすべての人に逆らい、すべての人の手は彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵して住むでしょう」。 そこで、ハガルは自分に語られた主の名を呼んで、「あなたはエル・ロイです」と言った。彼女が「ここでも、わたしを見ていられるかたのうしろを拝めたのか」と言ったことによる。 それでその井戸は「ベエル・ラハイ・ロイ」と呼ばれた。これはカデシとベレデの間にある。 ハガルはアブラムに男の子を産んだ。アブラムはハガルが産んだ子の名をイシマエルと名づけた。 ハガルがイシマエルをアブラムに産んだ時、アブラムは八十六歳であった。
更に主はハガルにもその子孫繁栄を約束し、アブラムとの間に産まれる子をイシマエルと名付けるように命じました。その名の意味は、神は聞き入れてくださるという意味です。そのときハガルは、エル・ロイ、主は見ておられる、と主の名を呼びました。そのようにしてアブラムの子として生まれたイシマエルは、後のアラブ民族の祖先となりました。イスラエル民族とアラブ民族の敵対関係はこのときから始まったのです。神の声に聞き従わず、この世の基準や人の考えに寄り頼む結果は、自分だけに留まらず後々の代にまで深刻な問題として爪痕を残すこととなります。何事も神の御心を求め、神の時を待ち望んで耐え忍ぶ者こそ、真の祝福を受けることができます。
https://www.bible.com/bible/81/gen.16.10-16.ja1955