ヨブ記 36:1-12
エリフは重ねて言った、 「しばらく待て、わたしはあなたに示すことがある。なお神のために言うべき事がある。 わたしは遠くからわが知識を取り、わが造り主に正義を帰する。 まことにわたしの言葉は偽らない。知識の全き者があなたと共にいる。 見よ、神は力ある者であるが、何をも卑しめられない、その悟りの力は大きい。 彼は悪しき者を生かしておかれない、苦しむ者のためにさばきを行われる。 彼は正しい者から目を離さず、位にある王たちと共に、とこしえに、彼らをすわらせて、尊くされる。 もし彼らが足かせにつながれ、悩みのなわに捕えられる時は、 彼らの行いと、とがと、その高ぶったふるまいを彼らに示し、 彼らの耳を開いて、教を聞かせ、悪を離れて帰ることを命じられる。 もし彼らが聞いて彼に仕えるならば、彼らはその日を幸福に過ごし、その年を楽しく送るであろう。 しかし彼らが聞かないならば、つるぎによって滅び、知識を得ないで死ぬであろう。」
神が与える災いについて、エリフはヨブや3人の友人たちとはやや異なる見解を持っていました。それは、罪の結果としてもたらされる裁きだけがすべてではなく、私たちの過ちに気付かせ、罪から遠ざかり神に立ち帰るために与える懲らしめであるというものです。これは因果応報の考え方よりも一歩進んだ、神の愛のご性質を含み入れた義の見解です。神は私たちが罪を犯しても回復の道を与えられる、やり直しのチャンスを与えられるお方です。
https://www.bible.com/bible/81/job.36.1-12.ja1955
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ヨブ記 36:13-21
「心に神を信じない者どもは怒りをたくわえ、神に縛られる時も、助けを呼び求めることをしない。 彼らは年若くして死に、その命は恥のうちに終る。 神は苦しむ者をその苦しみによって救い、彼らの耳を逆境によって開かれる。 神はまたあなたを悩みから、束縛のない広い所に誘い出された。そしてあなたの食卓に置かれた物はすべて肥えた物であった。 しかしあなたは悪人のうくべきさばきをおのれに満たし、さばきと公義はあなたを捕えている。 あなたは怒りに誘われて、あざけりに陥らぬように心せよ。あがないしろの大いなるがために、おのれを誤るな。 あなたの叫びはあなたを守って、悩みを免れさせるであろうか、いかに力をつくしても役に立たない。 人々がその所から断たれるその夜を慕ってはならない。 慎んで悪に傾いてはならない。あなたは悩みよりもむしろこれを選んだからだ。」
せっかく神が私たちに与えてくださった罪の悔い改めのチャンスを自ら逃し、神に立ち帰らない者の末路は、永遠の滅びしかありません。ですから罪を悔い改めることのできる今という時を最大限に生かし、裁きを免れるように努めることが私たちに残された最後の道です。ヨブがそうしていたように、自分に災いが及んだのは何故かといって神に向かって怒りを発しているようでは、自ら首を絞めるようなものです。逆境の時には考えよ、との箴言の御言葉の如く、神が警告された戒めの真意を正しく受け止め、自らの正しさを自己主張するばかりではなく、己の中に罪の要素がないか日々悔い改めてきよめを求める私たちでありますように。
https://www.bible.com/bible/81/job.36.13-21.ja1955
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ヨブ記 36:22-33
「見よ、神はその力をもってあがめられる。だれか彼のように教える者があるか。 だれか彼のためにその道を定めた者があるか。だれか『あなたは悪い事をした』と言いうる者があるか。 神のみわざをほめたたえる事を忘れてはならない。これは人々の歌いあがめるところである。 すべての人はこれを仰ぎ見る。人は遠くからこれを見るにすぎない。 見よ、神は大いなる者にいまして、われわれは彼を知らない。その年の数も計り知ることができない。 彼は水のしたたりを引きあげ、その霧をしたたらせて雨とされる。 空はこれを降らせて、人の上に豊かに注ぐ。 だれか雲の広がるわけと、その幕屋のとどろくわけとを悟ることができようか。 見よ、彼はその光をおのれのまわりにひろげ、また海の底をおおわれる。 彼はこれらをもって民をさばき、食物を豊かに賜い、 いなずまをもってもろ手を包み、これに命じて敵を打たせられる。 そのとどろきは、悪にむかって怒りに燃える彼を現す。」
神をほめたたえることを忘れてはならない、とのエリフの戒めは、すべてのクリスチャンが謹んで受けるべき教訓です。人知をはるかに超越したお方であられる神のなされることには、私たちの理解が到底及ばない摩訶不思議なことがいくらでもあります。それらすべてを知る必要はありません。理解してから神を信じるという人がいますが、神のすべてを理解できるまで待っていたら切りがありません。最も大切なこと、神が私たちを愛してくださっていること、しかし罪を憎まれるお方であること、そして生まれながらの罪を赦すために御子イエスこの世にを送って救いの道を備えてくださったこと、キリストの十字架の購いを信じて罪を悔い改めること、最低限これらのことだけ理解すれば十分です。
https://www.bible.com/bible/81/job.36.22-33.ja1955
エリフは重ねて言った、 「しばらく待て、わたしはあなたに示すことがある。なお神のために言うべき事がある。 わたしは遠くからわが知識を取り、わが造り主に正義を帰する。 まことにわたしの言葉は偽らない。知識の全き者があなたと共にいる。 見よ、神は力ある者であるが、何をも卑しめられない、その悟りの力は大きい。 彼は悪しき者を生かしておかれない、苦しむ者のためにさばきを行われる。 彼は正しい者から目を離さず、位にある王たちと共に、とこしえに、彼らをすわらせて、尊くされる。 もし彼らが足かせにつながれ、悩みのなわに捕えられる時は、 彼らの行いと、とがと、その高ぶったふるまいを彼らに示し、 彼らの耳を開いて、教を聞かせ、悪を離れて帰ることを命じられる。 もし彼らが聞いて彼に仕えるならば、彼らはその日を幸福に過ごし、その年を楽しく送るであろう。 しかし彼らが聞かないならば、つるぎによって滅び、知識を得ないで死ぬであろう。」
神が与える災いについて、エリフはヨブや3人の友人たちとはやや異なる見解を持っていました。それは、罪の結果としてもたらされる裁きだけがすべてではなく、私たちの過ちに気付かせ、罪から遠ざかり神に立ち帰るために与える懲らしめであるというものです。これは因果応報の考え方よりも一歩進んだ、神の愛のご性質を含み入れた義の見解です。神は私たちが罪を犯しても回復の道を与えられる、やり直しのチャンスを与えられるお方です。
https://www.bible.com/bible/81/job.36.1-12.ja1955
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ヨブ記 36:13-21
「心に神を信じない者どもは怒りをたくわえ、神に縛られる時も、助けを呼び求めることをしない。 彼らは年若くして死に、その命は恥のうちに終る。 神は苦しむ者をその苦しみによって救い、彼らの耳を逆境によって開かれる。 神はまたあなたを悩みから、束縛のない広い所に誘い出された。そしてあなたの食卓に置かれた物はすべて肥えた物であった。 しかしあなたは悪人のうくべきさばきをおのれに満たし、さばきと公義はあなたを捕えている。 あなたは怒りに誘われて、あざけりに陥らぬように心せよ。あがないしろの大いなるがために、おのれを誤るな。 あなたの叫びはあなたを守って、悩みを免れさせるであろうか、いかに力をつくしても役に立たない。 人々がその所から断たれるその夜を慕ってはならない。 慎んで悪に傾いてはならない。あなたは悩みよりもむしろこれを選んだからだ。」
せっかく神が私たちに与えてくださった罪の悔い改めのチャンスを自ら逃し、神に立ち帰らない者の末路は、永遠の滅びしかありません。ですから罪を悔い改めることのできる今という時を最大限に生かし、裁きを免れるように努めることが私たちに残された最後の道です。ヨブがそうしていたように、自分に災いが及んだのは何故かといって神に向かって怒りを発しているようでは、自ら首を絞めるようなものです。逆境の時には考えよ、との箴言の御言葉の如く、神が警告された戒めの真意を正しく受け止め、自らの正しさを自己主張するばかりではなく、己の中に罪の要素がないか日々悔い改めてきよめを求める私たちでありますように。
https://www.bible.com/bible/81/job.36.13-21.ja1955
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ヨブ記 36:22-33
「見よ、神はその力をもってあがめられる。だれか彼のように教える者があるか。 だれか彼のためにその道を定めた者があるか。だれか『あなたは悪い事をした』と言いうる者があるか。 神のみわざをほめたたえる事を忘れてはならない。これは人々の歌いあがめるところである。 すべての人はこれを仰ぎ見る。人は遠くからこれを見るにすぎない。 見よ、神は大いなる者にいまして、われわれは彼を知らない。その年の数も計り知ることができない。 彼は水のしたたりを引きあげ、その霧をしたたらせて雨とされる。 空はこれを降らせて、人の上に豊かに注ぐ。 だれか雲の広がるわけと、その幕屋のとどろくわけとを悟ることができようか。 見よ、彼はその光をおのれのまわりにひろげ、また海の底をおおわれる。 彼はこれらをもって民をさばき、食物を豊かに賜い、 いなずまをもってもろ手を包み、これに命じて敵を打たせられる。 そのとどろきは、悪にむかって怒りに燃える彼を現す。」
神をほめたたえることを忘れてはならない、とのエリフの戒めは、すべてのクリスチャンが謹んで受けるべき教訓です。人知をはるかに超越したお方であられる神のなされることには、私たちの理解が到底及ばない摩訶不思議なことがいくらでもあります。それらすべてを知る必要はありません。理解してから神を信じるという人がいますが、神のすべてを理解できるまで待っていたら切りがありません。最も大切なこと、神が私たちを愛してくださっていること、しかし罪を憎まれるお方であること、そして生まれながらの罪を赦すために御子イエスこの世にを送って救いの道を備えてくださったこと、キリストの十字架の購いを信じて罪を悔い改めること、最低限これらのことだけ理解すれば十分です。
https://www.bible.com/bible/81/job.36.22-33.ja1955