ヨブ記 34:1-12
エリフはまた答えて言った、 「あなたがた知恵ある人々よ、わたしの言葉を聞け、あなたがた知識ある人々よ、わたしに耳を傾けよ。 口が食物を味わうように、耳は言葉をわきまえるからだ。 われわれは正しい事を選び、われわれの間に良い事の何であるかを明らかにしよう。 ヨブは言った、『わたしは正しい、神はわたしの公義を奪われた。 わたしは正しいにもかかわらず、偽る者とされた。わたしにはとががないけれども、わたしの矢傷はいえない』と。 だれかヨブのような人があろう。彼はあざけりを水のように飲み、 悪をなす者どもと交わり、悪人と共に歩む。 彼は言った、『人は神と親しんでも、なんの益もない』と。 それであなたがた理解ある人々よ、わたしに聞け、神は断じて悪を行うことなく、全能者は断じて不義を行うことはない。 神は人のわざにしたがってその身に報い、おのおのの道にしたがって、その身に振りかからせられる。 まことに神は悪しき事を行われない。全能者はさばきをまげられない。」
エリフは更に、ヨブが自らの正しさを主張するために語った言葉を引用して、それが過ちであることを立証するための弁論を試みます。ただ、エリフの年の若さの故か、説明の言葉がわかりにくい面があります。まず手始めにヨブが、自分は正しいのに神は自分を正しくない者として扱い、神と共に歩んでも何の益もないではないか、と言った言葉に対し、しかし神は決して悪を行われないと反論しました。私たちが勘違いしやすいこと、いや、サタンが私たちの心に囁きかける常套手段が、神は自分に悪を行うと疑わせること、まさにこれです。神は最善以外を決してなさらないお方です。神のなさることは必ず私たちの益になるのです。これを取り違えることが、神の御心をわからなくさせる原因の一つです。
https://www.bible.com/bible/81/job.34.1-12.ja1955
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ヨブ記 34:13-21
「だれかこの地を彼にゆだねた者があるか。だれか全世界を彼に負わせた者があるか。 神がもしその霊をご自分に取りもどし、その息をご自分に取りあつめられるならば、 すべての肉は共に滅び、人はちりに帰るであろう。 もし、あなたに悟りがあるならば、これを聞け、わたしの言うところに耳を傾けよ。 公義を憎む者は世を治めることができようか。正しく力ある者を、あなたは非難するであろうか。 王たる者に向かって『よこしまな者』と言い、つかさたる者に向かって、『悪しき者』と言うことができるであろうか。 神は君たる者をもかたより見られることなく、富める者を貧しき者にまさって顧みられることはない。彼らは皆み手のわざだからである。 彼らはまたたく間に死に、民は夜の間に振われて、消えうせ、力ある者も人手によらずに除かれる。 神の目が人の道の上にあって、そのすべての歩みを見られるからだ。」
神のもう一つのご性質、それは誰に対しても平等かつ公平で、人を偏り見られないお方だと言うことです。それは弱者を不当に扱うことがないだけでなく、この世の王や君主たちのように力ある者に対しても、不当に扱われないということです。正しい者は正しいとし、悪しき者は悪とする、神の目は実に公明正大で、人の歩む道を色眼鏡なしで正しく見られます。
https://www.bible.com/bible/81/job.34.13-21.ja1955
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ヨブ記 34:22-28
「悪を行う者には身を隠すべき暗やみもなく、暗黒もない。 人がさばきのために神の前に出るとき、神は人のために時を定めておかれない。 彼は力ある者をも調べることなく打ち滅ぼし、他の人々を立てて、これに替えられる。 このように、神は彼らのわざを知り、夜の間に彼らをくつがえされるので、彼らはやがて滅びる。 彼は人々の見る所で、彼らをその悪のために撃たれる。 これは彼らがそむいて彼に従わず、その道を全く顧みないからだ。 こうして彼らは貧しき者の叫びを彼のもとにいたらせ、悩める者の叫びを彼に聞かせる。」
人の目を避けて誰に知られないように隠れて悪を行ったとしても、神の目には悪は決して闇に隠されることなく、すべてが白日の下に晒され暴かれます。そして神は決して悪を放置されないお方で、必ず罪を裁かれます。たとえ悪人が大いに栄えるようなことがあっても、主が定められた裁きの日には、一夜の内にも一気に形勢逆転して滅ぼされます。神に聞き従わず、義の道を顧みない者の末路は、実に悲惨なものです。このようにして神は弱き者、虐げられている者の叫びに答えられます。
https://www.bible.com/bible/81/job.34.22-28.ja1955
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ヨブ記 34:29-37
「彼が黙っておられるとき、だれが非難することができようか。彼が顔を隠されるとき、だれが彼を見ることができようか。一国の上にも、一人の上にも同様だ。 これは神を信じない者が世を治めることがなく、民をわなにかける事のないようにするためである。 だれが神に向かって言ったか、『わたしは罪を犯さないのに、懲らしめられた。 わたしの見ないものをわたしに教えられたい。もしわたしが悪い事をしたなら、重ねてこれをしない』と。 あなたが拒むゆえに、彼はあなたの好むように報いをされるであろうか。あなたみずから選ぶがよい、わたしはしない。あなたの知るところを言いなさい。 悟りある人々はわたしに言うだろう、わたしに聞くところの知恵ある人は言うだろう、 『ヨブの言うところは知識がなく、その言葉は悟りがない』と。 どうかヨブが終りまで試みられるように、彼は悪人のように答えるからである。 彼は自分の罪に、とがを加え、われわれの中にあって手をうち、神に逆らって、その言葉をしげくする」。
神が沈黙して何も答えられないことを非難する者は、詰まるところ自分が神に成り代わろうとしているのです。というのも、人の本分は創造主なる神に聞き従うべきことであるのに、神が自分の意のままにならないことに苛立ち、怒りの矛先を神に向けていることに他ならない、まさに主客転倒も甚だしいことなのです。ヨブがあくまでも己の正しさを主張し、それなのにどうして災いに遭わなければならないのかと神に申し立てたことは、まさにこの罪に当たるのだというのがエリフの指摘です。私たちも時折、行き場のない怒りを神に向かってぶつけていないか、自らを省み、悔い改める必要がないでしょうか。
https://www.bible.com/bible/81/job.34.29-37.ja1955
エリフはまた答えて言った、 「あなたがた知恵ある人々よ、わたしの言葉を聞け、あなたがた知識ある人々よ、わたしに耳を傾けよ。 口が食物を味わうように、耳は言葉をわきまえるからだ。 われわれは正しい事を選び、われわれの間に良い事の何であるかを明らかにしよう。 ヨブは言った、『わたしは正しい、神はわたしの公義を奪われた。 わたしは正しいにもかかわらず、偽る者とされた。わたしにはとががないけれども、わたしの矢傷はいえない』と。 だれかヨブのような人があろう。彼はあざけりを水のように飲み、 悪をなす者どもと交わり、悪人と共に歩む。 彼は言った、『人は神と親しんでも、なんの益もない』と。 それであなたがた理解ある人々よ、わたしに聞け、神は断じて悪を行うことなく、全能者は断じて不義を行うことはない。 神は人のわざにしたがってその身に報い、おのおのの道にしたがって、その身に振りかからせられる。 まことに神は悪しき事を行われない。全能者はさばきをまげられない。」
エリフは更に、ヨブが自らの正しさを主張するために語った言葉を引用して、それが過ちであることを立証するための弁論を試みます。ただ、エリフの年の若さの故か、説明の言葉がわかりにくい面があります。まず手始めにヨブが、自分は正しいのに神は自分を正しくない者として扱い、神と共に歩んでも何の益もないではないか、と言った言葉に対し、しかし神は決して悪を行われないと反論しました。私たちが勘違いしやすいこと、いや、サタンが私たちの心に囁きかける常套手段が、神は自分に悪を行うと疑わせること、まさにこれです。神は最善以外を決してなさらないお方です。神のなさることは必ず私たちの益になるのです。これを取り違えることが、神の御心をわからなくさせる原因の一つです。
https://www.bible.com/bible/81/job.34.1-12.ja1955
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ヨブ記 34:13-21
「だれかこの地を彼にゆだねた者があるか。だれか全世界を彼に負わせた者があるか。 神がもしその霊をご自分に取りもどし、その息をご自分に取りあつめられるならば、 すべての肉は共に滅び、人はちりに帰るであろう。 もし、あなたに悟りがあるならば、これを聞け、わたしの言うところに耳を傾けよ。 公義を憎む者は世を治めることができようか。正しく力ある者を、あなたは非難するであろうか。 王たる者に向かって『よこしまな者』と言い、つかさたる者に向かって、『悪しき者』と言うことができるであろうか。 神は君たる者をもかたより見られることなく、富める者を貧しき者にまさって顧みられることはない。彼らは皆み手のわざだからである。 彼らはまたたく間に死に、民は夜の間に振われて、消えうせ、力ある者も人手によらずに除かれる。 神の目が人の道の上にあって、そのすべての歩みを見られるからだ。」
神のもう一つのご性質、それは誰に対しても平等かつ公平で、人を偏り見られないお方だと言うことです。それは弱者を不当に扱うことがないだけでなく、この世の王や君主たちのように力ある者に対しても、不当に扱われないということです。正しい者は正しいとし、悪しき者は悪とする、神の目は実に公明正大で、人の歩む道を色眼鏡なしで正しく見られます。
https://www.bible.com/bible/81/job.34.13-21.ja1955
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ヨブ記 34:22-28
「悪を行う者には身を隠すべき暗やみもなく、暗黒もない。 人がさばきのために神の前に出るとき、神は人のために時を定めておかれない。 彼は力ある者をも調べることなく打ち滅ぼし、他の人々を立てて、これに替えられる。 このように、神は彼らのわざを知り、夜の間に彼らをくつがえされるので、彼らはやがて滅びる。 彼は人々の見る所で、彼らをその悪のために撃たれる。 これは彼らがそむいて彼に従わず、その道を全く顧みないからだ。 こうして彼らは貧しき者の叫びを彼のもとにいたらせ、悩める者の叫びを彼に聞かせる。」
人の目を避けて誰に知られないように隠れて悪を行ったとしても、神の目には悪は決して闇に隠されることなく、すべてが白日の下に晒され暴かれます。そして神は決して悪を放置されないお方で、必ず罪を裁かれます。たとえ悪人が大いに栄えるようなことがあっても、主が定められた裁きの日には、一夜の内にも一気に形勢逆転して滅ぼされます。神に聞き従わず、義の道を顧みない者の末路は、実に悲惨なものです。このようにして神は弱き者、虐げられている者の叫びに答えられます。
https://www.bible.com/bible/81/job.34.22-28.ja1955
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ヨブ記 34:29-37
「彼が黙っておられるとき、だれが非難することができようか。彼が顔を隠されるとき、だれが彼を見ることができようか。一国の上にも、一人の上にも同様だ。 これは神を信じない者が世を治めることがなく、民をわなにかける事のないようにするためである。 だれが神に向かって言ったか、『わたしは罪を犯さないのに、懲らしめられた。 わたしの見ないものをわたしに教えられたい。もしわたしが悪い事をしたなら、重ねてこれをしない』と。 あなたが拒むゆえに、彼はあなたの好むように報いをされるであろうか。あなたみずから選ぶがよい、わたしはしない。あなたの知るところを言いなさい。 悟りある人々はわたしに言うだろう、わたしに聞くところの知恵ある人は言うだろう、 『ヨブの言うところは知識がなく、その言葉は悟りがない』と。 どうかヨブが終りまで試みられるように、彼は悪人のように答えるからである。 彼は自分の罪に、とがを加え、われわれの中にあって手をうち、神に逆らって、その言葉をしげくする」。
神が沈黙して何も答えられないことを非難する者は、詰まるところ自分が神に成り代わろうとしているのです。というのも、人の本分は創造主なる神に聞き従うべきことであるのに、神が自分の意のままにならないことに苛立ち、怒りの矛先を神に向けていることに他ならない、まさに主客転倒も甚だしいことなのです。ヨブがあくまでも己の正しさを主張し、それなのにどうして災いに遭わなければならないのかと神に申し立てたことは、まさにこの罪に当たるのだというのがエリフの指摘です。私たちも時折、行き場のない怒りを神に向かってぶつけていないか、自らを省み、悔い改める必要がないでしょうか。
https://www.bible.com/bible/81/job.34.29-37.ja1955